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こんにちはマダムサトコです。 本日は 創世記 16章7節から読んでいきましょう。

 

7 主の使いは荒野の 泉のほとり シュル ヘの道にある泉のほとりで 彼女を見つけ 

 

8サライの女奴隷 ハガル。 あなたはどこから来てどこへ行くのか」 と尋ねた。 彼女は答えた。「 私の女主人 サライのところから逃げているところです。」

 

 

この表記の中で 荒野の 泉のほとり という表現があるんですけれども、 これはまあいわゆる 砂漠の中のオアシスということをイメージすると絵が浮かびやすいかもしれませんね。

 

 また ハガル が 女主人であるサライからいじめられ、 きっと 心は疲れていた 傷心していたことだと思います。 それがサライから離れることで、 また 物理的に オアシスを見つけたことで心の中にも潤い また ほっとできるという気持ちがこの荒野の泉という言葉に含まれているような気がします。

 

 9節 そして主の使いは彼女に言った。 「あなたの女主人のもとに帰りなさい そして彼女のもとで身を低くしなさい。」

 

 

これは主の使い と書いてありますので まあ 今の私たちの言葉で言う”神様の声が聞こえた”という表現になると思います。 神様はハガルが身重であること、 そして 砂漠で女一人で 到底 生きていけないということも含めて 「元の場所に戻りなさい。 そして 身を低くしていなさい」と 諭しています。

 

これは奴隷だから身を低くしているということではなく、人間として それまでの経緯や関係もあったことを含めて、急に自分が偉くなったということをせずつつましく生きておきなさい ということでもあるかと思います。

 

10節また主の使いは彼女に言った。 「あなたの子孫は私が大いに増やすので 数えきれないほどになる。」

 

 

この約束は「あれ? アブラハムが神様に言われたことだよね?」 というのとほぼ同じ内容になっています。 それもそのはず、 この ハガルの子供の父親はアブラハム ですから。

 

アブラハムがサラを通してまた ハガル を通して多くの人々の父となるという予言がここで ハガル にも伝えられています。

 

 11節 さらに 神の使いは彼女に言った。「見よ。あなたは身ごもっている。男の子を産もうとしている。その子は イシュマエル と名付けなさい。 主があなたの苦しみを聞き入れられたから。

 

 

この箇所は実は 伏線を張っている箇所です。 しかしこの伏線の回収はかなり後ですので 今ここで ネタバレをしておきたいと思います。

 

この箇所は新約聖書でマリアが受胎告知をされた時の大天使 ガブリエルの言葉とほぼ同じです。

 

 

 マタイの福音書の1章23節から引用します。「見よ 処女が身ごもっている。 そして男の子を産む。 その名は インマヌエルと呼ばれる。」

 

 

ということで 伏線回収がかなり後になりますけれども、 生まれた母は違えども アブラハムの子供であるということで、 主はこの ハガルの子供にも大いなる祝福を与えてくださるということが ここからわかります。 

 

ちなみに マリア様にはその子はインマヌエルと呼ばれるともおっしゃっておられ、このインマヌエルは神様があなたと共にいるという意味です。 

 

 

一方 ハガルの子供は1シュマエル と名付けられています。苦しみを聞き入れたという意味で、神様の救いがある一方、この ハガル と聖母マリア いろいろ違うことがわかると思います。

 

 12節 彼は野生のロバのような人となり その手はすべての人に逆らい すべての人の手も彼に逆らう 彼は全ての兄弟に敵対して相撲 

 

 

 

なんかさっきまでとってもいいこと言ってたのに、いきなりここで「あんたの子供は嫌われもんだよ」と。

 

あの~ すいません、 それは言わなくても良かったんじゃないの。。。 っていうようなことをおっしゃっておられます。

 

まず 野生のロバというのが ”間抜け” とか ”粗暴”とかまあそういったあまり良くない意味です。 

そして ”その手は全ての人に逆らい”とは つまり”人が言うことに何でも手を挙げて反対という人たちになる”ということですね。

”全ての手も彼に逆らう” これは 人々が みんなあいつをやっつけろと言って 手を挙げている姿を想像していただくと なんだかな と思う節ですね。

 

”彼は全ての兄弟に敵対して 住もう” 兄弟 と書いておりますけども ここでは全ての人類に人間にと訳しますと、

とっても喧嘩っぱやって、喧嘩に勝ったら勝ったで 戦利品を奪っていく。 

戦利品の中にある人々をこき使い、 それによって使われる方も ストライキを起こす。

 

まあこんな絵を考えると「ちょっと ろくでもなさすぎませんか」 と言いたくなるんですけれども、 それでも主がそのように語られた。 そんな人生を歩むと言われてしまった子供であっても、神様が「戻って産みなさい」と言ってくれたということが ハガイにはとっても大きかったと思います。


マウントを取った愛人が叩き出されて、そして困っているところに神様の使いがやってきていろいろ語ってくれたという場面です。

 

これを見ますとやはりアブラハムの子供だから数は増やしてあげる。 それが大いなる祝福。 ただし 人々と争う人物になるだろうとのこと。

 

これはなかなか聞いててあんまり スッキリしない感じがしますけれども、 物事には何でも 表裏一体です。

 

このハガイの子供に対しては神様のご計画外の、人間である アブラム やサライの勝手な行動によるできた子供ではあるんですけれども、 それでも”人間を愛し アブラハムの子供だから祝福してあげよう”という神様のお気持ちがここで現れているかもしれません。

 

 またこの人に反抗し人と戦うものになるというのはもしかしたら”神を顧みない人間になる”ということを もしかしたらおっしゃっておられるのでしょうか。

 

人を人とも思わない人間は、

神様が作った神様の霊がそのうちに いる者と思わない。

自分のことばかりを考えて他人を顧みない。

このような”人間の形はしているけども心が欠如しているものになる”、 なぜなら人間が人間の自分勝手な行動でできたことだから。

 

 まあこんなことが書かれているかもしれません。

 

本日はですね まあなんだかんだ言いながらも「人間は苦しい時に神様を求める 苦しい時に 神様の言うことに従う」ということがわかります。 

アブラハムの家にいる時に「主人の言うことを聞きなさい、 主人のもとで身を低くしなさい」と言われても 「何言ってんのよ! 私はねここの 族長の子供妊娠してるんだから!!」ということで全く神様の言うことを聞こうとはしなかったでしょう。

 

それゆえに ハガイは逃げ出したことも 砂漠の中で苦しんだことも神様と出会うのに必要な過程だったかもしれませんね。

 

また子供についての描写が結構 微妙ではあるんですけれども、ある 意味 これは上に立つ人たちの描写でもあるかなと思います。

 

人をまとめるのにはある程度の粗暴さもまた 必要となりますし、 多くの人々の意見が自分に向かってきますし、 自分も自分の意見を多くの人々に向かって言う。 そしてそれが意見が対立してくる、 これは当事者としては当たり前のことではあるので、 読み方によっては統治者になるかもよ という 慰め だったかもしれませんね。

 

何にせよ 苦しい時辛い時ほど 神様の声 というのは聞こえてきますので、 皆さんもそういう時に聞こえてきた声には敏感になってその声に従ってみるのもいいと思います。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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