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こんにちはマダムサトコです。 本日は 創世記15章17節から読んでいきましょう。

 

15 さて日は沈み、暗闇になった時、その時 煙の立つかまどと、燃えている松明が、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。

 

 

想像だけしてもなかなかにおぞましい図ですね。 真っ二つに割られた動物が2つ 向かい合って 並べられているんですけれども、 その間を 火が通り過ぎていったという場面です。

 

これは何を意味するのかというと、この2つに裂かれた動物というのが アブラハムと神様との約束の証でしたね。 その間を 火が走る、これは現在の言葉で言うんであれば 心霊現象の一つのように考えると わかりやすいかもしれません。

 

けれども「神様がこの約束の上を駆け抜けた」という風に考えるとまるで この神様とアブラハムとの約束は必ず遂行されるということが目に見えて示されたということだと思います。

 

そしてこの「目に見えた 約束」というのは アブラハム自体は何もしてませんよね。 神様との約束を守ります、という意味で動物を2つに割き向かい合わせで置いていた。 そこまでです。 それでも「神様が約束を遂行する」というのを示してくださったということは、

 

アブラハムの勝手な自分の思い込みによる行動ではなくて、

神様の恩恵で

神様の恵みで

この約束が遂行される約束を行うのは神様である。

ということを示しているように思います。

 

18節 その日 主はアブラムと契約を結んで 仰せられた。「私はあなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大川ユーフラテス川 まで。 19節ケニ人 ケナズ 人 カデモニ人 へテ人 ペリジ人 レファイム人、 エモリ人 カナン人 ギルガシ人 エヴス人を」

 



ここからどこまでの土地を アブラハムにあげるかということを話しています 地図を用意しましたけれども。

 

 

ここからここまでですね。 エジプトはナイル川 から そして ユーフラテス川 まで 非常に大きな土地、そしてそこにいる 10の民族の名前を挙げており、これらもアブラハムにあげるということを言っています。

 

しかし土地 というのは有用なんですけども、そこに住んでいる人間が本当に有用かどうか というのは 現在の価値観ではなかなか判断しにくいところだと思います。

 

この当時は 土地 以上に人間の人的資源というのも 非常に必要でした。 羊をはじめとした家畜を放牧して暮らしているのが普通の時代でしたから、たくさん人がいればその分家畜も増やせるゆえに、人間というのは必ず必要なものだったんですけれども

「人が集まれば争いが生まれる」という言葉もある通り、これらの人々がまたアブラハムの人生に いろいろ作用をしてきます。

 

創世記 16章1節 アブラムの妻サライは彼に子供を産まなかった。彼女には エジプト人の女奴隷がいてその名を ハガル と言った。

 

 

流れた年月がどれぐらいかは分かりません けれども 妻のサライがアブラムに子供を産まなかったとありますので まあ 最低でも1年は経ってるでしょうね。

 

また神様が アブラムとサライに子供をあげると言ったのに、子供がなかなか生まれない。 これによって アブラムとサライの信仰心は結構揺れたんじゃないかと私は思っています。

 

このエジプト人の女奴隷というのは、アブラムが カナンの地へ行けと言われたのに ネゲブに行ってしまって、飢饉になってもカナンには戻らず エジプトに行った。

 

神様の言葉に従わない行動をした時に、それでもエジプトで財産を与えられ、その中に人的資源である女奴隷もいたということで、 ここまで一緒に来た女奴隷 だとは思いますけれども、今の流れから見ると このエジプト人女奴隷”ハガル” というのは ”アブラムの不信仰の象徴”でもあったと言えるのではないでしょうか。

 

この不信仰の象徴 が この後どうなるのか見ていきましょう。

 

2節 サライはアブラムに言った 「ご存知のように 手話私が子供を産めないようにしております。 どうぞ私の女奴隷のところにお入りください。 多分彼女によって私は子供の母になれるでしょう。 アブラムはサライの言うことを聞き入れた。

 

 

ここで 色々また伏線や引っ掛け問題 のようなところが入ってますね。まず サライ は「主は私が子供を産めないようにしております」と言っており、 神様によって必ず子供が与えられると信仰していない。 ここが神を信じる心が揺さぶられている、もしくは 信仰心が欠如していたシーンです。

 

そして 「どうぞ私の女奴隷のところにお入りください」、これは「神様が子供を与えてくれないのなら 私はそれ相応の努力をするわよ」 と言っているシーンです。 それが自分で子作りをするのではなく女奴隷のところにアブラハム を行かせてという、他力本願 かつ 神様の目から約束を信じないとっても勝手な行動をしています。

 

本日の冒頭シーンではアブラハムと神様の約束は”アブラハムの努力によらず アブラハムの行為によらず、神様が守ってくれる”というシーンがありましたけれども、 ここでのサライの行動はそれの真逆を行っているということですね。

 

またここで 「彼女によって私は子供の母になれる」と言っているのはもう諦めた人のセリフですよね。 希望を持っていない、神様を信じていない、このような心境が この言葉の端々から伺います。

 

アブラムはサライの言うことを聞き入れた。 これも大きな間違いです。 アブラハムとして自分も神様が子供を与えてくれるという約束を信じていなかった、 そして自分ができることを自分で何とか行動しようとしたということが ここから現れています。

 

またアダムとイブのアダムが神様の木になっている 知恵の実を食べてはいけないと言われたのに、神様言うことではなくイブの「これを食べましょう」という妻の声に従っています。 

アブラハムがここで神様の”お前の努力によるのではなく主が与える”と言っている言葉を信じず、 妻の言うことを聞いて 妻以外の女性のところに入った。 この辺りはアブラハムとサラの夫婦の不信仰の様子が非常に細かく よく書かれています。
 

また 聖書の最初の方、初めての人類である アダムとイブの話の伏線回収もここで行われています。

 

本日はまず 前半部分が”非常に大きな土地を与える”と言っておられるところですね。 そして この言葉が2024年現在のイスラエル ハマス 紛争で塩ニスト(敢えて誤字です) と呼ばれる人たちが主張している領土に結構 近いと思います。

 

そして”この地に住む多くの民族もアブラハムに与える”というような感じで書いてあるんですけれども、ここに残存した民族がまたアブラハム そして アブラハムの子孫と対立関係になっていく。 それが2024年現在まで2000年や 何千年以上続いているという歴史になっています。

 

中東 あたりの紛争のことは 聖書を読んでいないと なかなか理解できないと言われる所以はこの辺りにあるのではないかと思います。

 

今日は非常に 対照的な内容だなと思います。 前半は「人間の努力によるところではなく神様の恵みで全て与える」という大いなる約束、そして後半は人間が勝手な努力をして神様の約束を邪魔する部分となっております。

 

でも人間としてはこのサラや アブラハムの気持ちは非常によく分かりますよね。 「私たち 年寄りだし 何度 交渉を重ねてもなかなか子供ができない。 もうさ、自分達でっていう こだわりをやめて、 あそこにいる若い女に任せてしまいましょうよ」 と言いたくなる。

 

言いたくなるのは分かっても、そこは神様の約束を優先するべきと思いながらも、自分がこの立場だったら やっぱりそうしちゃうかな という気持ちや 心の揺れ、 神様の言葉をこのまま 信じてていいのかどうか という信仰のブレ、 こういったものは非常によくわかります。

 

ということで、非常に神の民っぽい部分とドロットロの人間的な部分が今日は皆さんと共に読めた箇所でした。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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