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こんにちはマダムサトコです。 本日は 創世記15章4節から読んでいきましょう。

 

4 すると主の言葉が彼に望みこうせられた そのものがあなたの後をついではならない ただあなた自身から生まれ出てくるものがあなたの後を継がなければならない

 

 

この時 アブラハム 御年80歳妻のサラは65歳。 この高齢夫婦は子供がないということが一番の悩みでした。 しかし神様は「あなた自身から生まれ出てくるものがあなたの後を継がなければならない」とおっしゃる。 「今目の前に子供もいないし自分は80歳妻は65歳 どうやって私自身から子供が生まれるんだよ!」と アブラハムは思ったでしょう。

 

これ 人間的に考えると神様もかなり無理筋なことを言っているように聞こえますが、 「神にできないことはありません!」 そういうことですね。

 

5節 そして彼を外に連れ出して仰せられた。「 さあ 天を見上げなさい 星を数えることができるなら それを数えなさい」 さらに仰せられた 「あなたの子孫はこのようになる」

 

 

この箇所以前では神様はアブラハムに「あなたの子孫はこの地のちりのようになる」土のようですね、たくさんの数の子孫ができるとおっしゃっておられましたけれども、 ここでは”星の数のような子孫”ができるとおっしゃっておられます。

 

ここで私たちなら「ちょっとぉ、旦那は80歳で 私は65歳でどうやって私たちから 新しい子供が生まれるのよ!」 と思うんですけれども、

 

 6節 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認めた。

 

 

私たちが「65歳と80歳の夫婦から 子供なんて 生まれやしないわ」 というのは私たちの勝手な思い込みであって、アブラハムは主を信じた自分から 子孫が生まれると信じた。 そして神様はそれをよしとされたということです。

 

7節また彼に仰せられた。「私はこの地を あなたの所有として あなたに与えるためにカルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である」

 

 

これは2023年の現在でも、また昭和生まれの私が子供の頃から続いている戦乱でもある、ヨルダン川は西岸 並びに ガザ地区の紛争の元がまたここに隠れています。

 

「神が この ヨルダン川は西岸をアブラハム ユダヤ人の祖である アブラハムに与えると言ったのだから、この土地はユダヤ人のものである」という主張の根源がここにあります。

 

8節 彼は申し上げた 「神よ主よ、 それが私の所有であることをどのようにして知ることができますでしょうか」

 

 

それはそうですよね。今で言う ヨルダン川は西岸には多くの民族が入り乱れて、土地はそれぞれ 部族 民族が勝手に自分たちのものだと言っていました。 この土地をどうして私がそれを持ってるって言ってるんですか!というまあいたって真っ当な質問をここでしています。

 

現在の私たちで言う「だって証拠がないじゃない」というやつですね。 証拠があるなら この目の前に見せてよ というところでしょうか。

 

9節すると彼は仰せられた「私のところに3歳の雌牛と3歳の 宮城 と3歳のおひつじと山鳩とそのひなを持ってきなさい」

 

10節 彼はそれら全部を持ってきて それらを真っ二つに切り裂き その半分を互いに向かい合わせにした しかし 鳥は切り裂かなかった。 

 

 

 

これは何を表しているかというと、神様に対する 捧げ物ですね。 神様というのは私たちの目に見えないんですけれども、私たちが その存在を認め、 神様の私たちにしてくださったことを感謝して捧げ物をすることでその存在が表される、ということです。

 

捧げ物の内容に関しては 細かいことは分かりませんけれども、 この牛 ヤギ 羊と見るとそれはその当時にアブラハムが持っていた家畜の中から持ってこいと言ってるように見えます。

 

そしてそれを半分に切って互いを向かい合わせにした、これを想像するとうわあと思うシーンですけれども、これは神様に捧げ物をしたこと、そして 向かい合わせにしたというのは「この関係が神様と自分が向かい合わせで そして合わせると一つになる」というような意味があったと私は 推測しています。

 

しかし 鳥は切り裂かなかったというのですけれども、これは鳩でありまして 鳩は平和の使い とか 神様の使い ということなのでここでは切り裂かずそのままにしておいたということだと思います。

 

本日は80歳と65歳のカップルが子供ができるよと 神様に言われ 「そんなものでき...るかもしれない」と神様の言葉を信じ そしてその神様を信じた証拠として捧げ物を捧げたというシーンです。

 

この箇所を読むと人間っていうのは本当に自分の勝手な思い込みで”どうせできない”と思っていることが本当に多いんだなと思います。

 

今の80歳と65歳と考えると なんとなく体調的に絶対無理だろうなと思うんですけれども、寿命が 400年とか500年とかの時代の80歳だと今で言う二十歳ぐらいの感じであったとすれば それは全然できるでしょうねというような感じでしょうか。

 

この年齢の書き方というのが 聖書ではちょっとよくわからないところがあるんですけれども、何にせよ 

 

自分勝手にできないと思うことはよくない 

できると信じて その信じた証として捧げ物をする

 

これはキリスト教とかでももちろん 仏教とかでも同じような 習慣 ってありますよね。

 

お願いをする、祈願をする時に 捧げ物も一緒にする。

例えば 中華 寺院とかですと茹でた鶏や 加茂谷 果物なども一緒に捧げたりしますし、

日本の神社とかですとお酒とお米とスルメとかそういったものを捧げますね。

現在では金銭等が一般的かもしれませんけれども、まあ 同じように 捧げ物をしているということで この当時の習慣が今も続いていることがわかります。

 

 今日の箇所は「あなたの所有とするためにあなたに与えるために カルデア人の売るから あなたを連れ出した」という箇所が私には少し印象的でした。

戦争や震災などで生まれ故郷を離れなければならなくなった人たちに、

それは神様が新たに住む場所 活躍の場所をあなたに与えるため。 

長年住み慣れたという と聞こえはいいんですけれども、引っ込んでいたとも言えるかもしれない その場所からあなたを連れ出したのだ。

 

と こういう風にも読める気がします。

 

長年 慣れ親しんだ土地であっても、その暮らしが 本当にあなたの持って生まれた賜物を用いて活動できていましたか? というようなことも ここで問われているような気がします。

 

このままでいいやと思っていた場所から、私たちが私たちの賜物を用いて大いに活動できる場に移動したのだと。神様が導いてくださっていると考えると、

 

今 いろいろな状況の中で苦しんでいる人たちも少しはこれから先の希望が明るく また光の一筋が見えるかもしれませんね。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

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