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こんにちはマダムサトコです。本日は 創世記 13章1節から読んでいきましょう。

 

 

これはアブラムが「サラは私の妹です」と言って妻を宮廷に入れたことで得た財産を全部持って出てきたというシーンですね。 この所有物の中には 奴隷 すなわち 使用人も含まれていました。 

 

今奴隷と聞くと非常に人権侵害しているような とんでもない制度のように聞こえますけれども、生活を維持するための使用人(例えば 身の回りを色々整えてくれる家庭内のお手伝いさんのようなもの)だったり会社でいう従業員だったり、そういった 人的資源も含んでいると思われます。

そしてもちろん 家畜ですね。その当時には砂漠で行える仕事と言うと羊飼い 等が主でしたから、

放牧をするもの (羊や山羊他)

放牧を管理するもの(聖書では奴隷と訳されている使用人)

が一緒に送られたと考えてもいいかと思います。

 

 

アブラムはサラを妹だと偽ってパロからこの財産をせしめたわけですけれども、これは現在で言うところの 詐欺でせしめた お金なんじゃないの? と言いたくなるシーンです。

 

これが 詐欺でせしめたお金じゃないというところは、12章の最後のところで

 

 

ファローが「全て与えたものを持っていけ」と言っているところから詐欺ではなく”与えられたものである” となります。

 

またこのシーンはアブラムが地上の富に非常に心を奪われているというシーンでもあります。 目に見える豊かさですね。 これに目がくらんではいたでしょうね。

 

 

つまりこのアブラムのベテルを出て カナンに行かずネゲブに行って、 ネゲブが飢饉に陥ったにもかかわらずからに戻らず エジプトに行った。

 

エジプトで危機に遭って、それでも金銀を持って最初のところに戻ってきたというシーンですね。

 

先に4節を読んでみましょう 

 

 

つまりなんだかんだ 神様の声を聞かずにうろうろと放浪していたけども、最後は神様に金銀 地上の富を与えられて再び神様のところに戻ったというシーンですね。

 

これはまるで私たちが「俺は一代で名前をあげてやる」 などと言ってあれこれ 事業を頑張って失敗してを繰り返し、色々な 遠回りを繰り返しているにもかかわらず、一番の危機の時に「神様によって救って欲しい」と祈ったら自分の身もまた金銭的な恵みも与えられ、神様のところに結局は戻ったというシーン とも言えます。

本日は アブラハムが地上の富を喜び 同時に 神様に感謝するというシーンです。 現在の価値観で読んでいくと詐称、嘘で得た金銀を持ってそれを 喜ぶ なんて詐欺集団 そのものじゃないか! と 私たちは思いますけれども

 

神様が与えた

 

ここが 現在の詐欺集団とは大きな点です。

奪ったのではなく本人(この場合ではパロですけども )があげると言ったんだから それは恵みであるという解釈です。

 

一般的にはクリスチャンと言うと 品行方正とか 質素とかそういう言葉がなんとなく浮かびますけれども、 クリスチャンというのはお金のことは 祈っていけないと言ったりします。

 

けれども このシーンは

金銭的繁栄を祈っていいし 

金銭的繁栄を大いに喜んでいいし 

金銭的繁栄を神様に大いに感謝すればいい

というシーンでもあると私は考えています。

 

そして 祈れば与えられるという希望のシーンでもあります。

 

こういうことを言うと「祈ったって何にもならないわよ」と無神論者 という方はおっしゃる かもしれませんが、

 

祈れば与えられるのであれば 

祈らなければ与えられない

ということになり、実際 祈りなんてバカバカしいと思っている人たち ( 私にもそういう風に言ってくる人達っていうのも いらっしゃるんですけれども)が十分に与えられているなと思ったことはあまりないので、 

 

やっぱり 祈ること祈りは大切である、とこのよ章を見て改めて思いました。

 

アブラハム 当時 75歳。 祈っただけで地上の豊かさ 金銭がもたらされた。

 

だったら 今皆さんが

何々教を信じるか信じないか とか 

聖書や神様は うさんくさいとか

自分の中の思い込みは捨ててもしくは脇に置いといて 

 

金銭的繁栄が豊かに与えられますように 

私が非常に喜ぶように与えられますように

と祈るのは非常に大事なことなのかなとも 思ったりします。

 

数週間前に久しぶりにテレビに出たという芸能人が言ってましたけれども、 「お金って欲しいんじゃなくて必要なもの なんですよね」 という この言葉 私は本当に深く頷きました。

 

この現代では何をするにもまずは ”資金が必要”ですね。 きっとその芸能人も本人が歌を作ったり曲を書いたりということはしているんですけれども、それを編成するまた 演奏してもらう プロモーションをかける 多くの人に知ってもらう こういったところにやっぱり 資金が必要となって、「お金とは様々な行動をする時に必要なもの」 という捉え方で発言していたんだなと思います。

 

私自身も 今はこうやって YouTube で 聖書の話を少しずつアップしてますけれども、「私に与えられた賜物を用いて行動Aを起こしたい 行動 B を起こしたい」と考えた時に 「神から与えられる資金が十分にありますように」というのも 並行して 祈っています。

 

ということで 本日は アブラハムが成長のもととなる資金をどのように 得たかというようなお話でした。

 

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ということで 本日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

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