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こんにちはマダムサトコです。 本日は 聖書の創世記第3章14節から15節までを読んでいきましょう。
新改訳聖書より引用しております-------
神である主は 蛇に仰せられた
お前がこんなことをしたので お前はあらゆる 家畜 あらゆる野の獣よりも 呪われる。
お前は一生 腹ばいで歩き 塵を食べなければならない。
私はお前と女との間に またお前の子孫と女の子孫との間に敵意を置く。
彼はお前の頭を踏み砕き お前は彼のかかとに噛みつく。
引用はここまでです------
神は罪によってもたらされる 呪いについて話しています。
神様が人を呪うのではなく、 罪による 当然の成り行きをこれから人に告げていきます。
神様が恐ろしいのではなく、 自分たちが犯した罪が恐ろしい。 つまり 人間が神に背を向ける、神から離れるということが恐ろしいのです。
次に蛇そのものに対する呪いがあります。そして 蛇の中で働いた悪意に対する呪いもここに書いてあります。
またこのお前 の子孫と女の子孫との間に というのは、最終的に人間を神の愛で 贖う キリストを表しています。
キリストが反キリストである悪魔と対峙すること、それは”お前は彼のかかとに噛み付く” というところで表せされており、
それに対してキリストは”蛇の頭を踏み砕く”ということで悪魔に勝利することが書いてあります。
神が人間に作られたエデンの園は人間が住むのに最適な場所でしたので、神様は人間が罪を犯してもご自分のもとに 人間を引き戻そうとしてくださいました。
それは 聖書の中では「神様が人間を神様のもとに呼んでくださる、 再び呼び戻してくださること、でありそれを贖いと呼んでいます。
贖いとは「罪や呪いの中にいる人間を救い出して 再び 神様の身元に呼んでくださること」です。
この箇所はカルトや正しくない聖書の解釈で「神様はこれほど恐ろしいんだ」という説明によく用いられる箇所ですけれども、
ここをよく読むと
神様が怖いのではなく神様に背を向けた私たちの罪が恐ろしい
ということがわかります。
また人間が罪を犯すと蛇と同じように一生 腹ばいで歩き チリを食べる、つまり
人間として持って生まれた与えられたものを使うことなく、
高い視線で物を見ることがなく、
地に腹をつけて歩く、また
豊かな食べ物が豊富にあるのにチリを食べなければならない。
この記述も私は「私たちが神様によって作られた通りの人生を歩まないとこのようになるのだなあ」と思うところでもあります。
実際 皆さん どうでしょうか 自分が 「自分らしく生きている」と思える時は仕事でやっても生活であっても気持ちも安定し、視線も高いところから見ることができるのではないでしょうか。
反対に「こうじゃない気がする、これじゃない気がする」と思いながらも他の要因、 例えばお金 、例えば 他人にどう評価されるか、を気にして 行動すると
お金や名誉はあるかもしれない
でも私は腹ばいで地を歩き
塵を食べているような気持ちになる
ということはあったのではないでしょうか。
日本では 聖書を読む人、いわゆるキリスト教と呼ばれる人はそれほど多くはないんですけれども、これまでの人生にいろんな困難があった人が 「聖書に出会って 新たな人生の道に気がついた」ということが結構頻繁に見受けられるような気がします。
自分が神様に背を向けて生きてきた。それゆえ 自分が 腹ばいで地を這うような生活をしてきたのではないか、と気がつくのだと思います。
もし今皆さんが「お金はある。 名誉はある。 でも今のこの生活が何かが違うような気がする」という思い、 もしくは「生活には何の不自由もないのになぜ私はこのように いつもそこを歩き いつも 砂をかむ思いで生きているのだろうか」と思うところがあれば。
ぜひ 聖書を読んでみてください。
そして神様があなたをどのように作られたのかを知ってください。
そして 祈ってみてください。
「神様、どうか私があなたに作られたように私の人生を生きていくことができますように。」
この祈りは私の実体験の中でも非常に強く働いた祈りです。
今人生でいろんな悩みの中にあったり分岐点にいる方は、 どうかこの祈り 「神様が作った通りの私の人生を歩めますように」と祈ってみてください。
神様は助けを求めるあなたの声を聴き、必ず神様が作った通りのあなたの人生に戻れるように 新たな道を示してくれます。
それがあなたを作った神様のあなたに対する大きな愛です。
それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。
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