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こんにちはマダムサトコです。
本日は聖書の創世記1章24節から25節まで読んでいきましょう。
新改訳聖書より引用しております-------
ついで神は地はその種類に従って生き物、家畜や、這うものその種類に従って、野の獣を生ぜよ」とおおせられた。するとそのようになった。
神はその種類に従って野の獣、その種類に従って家畜、その種類に従って地のすべての這うものを作られた。
神は見てそれをよしとされた。
引用はここまでです----------
ここでは陸上の生き物を作られた様子が書かれています。そして人間以外ですね、様々な動物が先に作られたということがわかります。
そしてそれをよしとされたというところで、神がご自身の想像を満足しておられる様子がここでも見て取れます。
なぜ動物が人間より先に造られたのかという点で、私は人間が動物を用いて地上で生きていく。という姿をここで思い浮かべます。
現代の私たちに
身近な動物というと犬や猫をはじめとしたペットが、私たちの目に見える身近な動物ですけども、当時は家畜として人間の仕事を手伝い、また仕事ができない年齢になったらその肉を食べる、命をありがたくいただくということで、人間のためになるように。先に動物を作ったのではないかと思います。
現在では動物愛護という名の下に動物を労働に使うことは何かしらよくないイメージが多いんですけれども、本来この特に西暦2000と何十年という中でのほとんどの部分では、家畜を使って農耕をする家畜を使って物流をする、家畜を食べるということが普通でした。
そしてそれはこの聖書に基づいてその種類に従って、ということで彼らは人間のために神様が作ってくださったのだと私は考えます。現在では菜食主義、その他多くの思想が私たちの生活のまわりにたくさんありますけれども、
私はこの「神はその種類に従って」という言葉に非常に多くの感銘を受けます。
その種類に従ってということは、そのように生きるということが、その命が全うできる生き方でもあるのあると私は考えます。
そうしますと、働くために作られた動物を働かせない。食べるために作られた動物を食べないというのも、この神の作られた目的に沿って、私たちが行動していない。
しかもそれが様々な政治的な思惑が。あることも多々あります。
様々な思想が多く、私たちの中に入り込んできますけれども、皆さん、私も含めて、私たちは主に作られたものであり、主の言葉を守るということで私たちの中に軸が一本通るのではないでしょうか?
それでは、今日はここまでにします。ご視聴誠にありがとうございました。
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