ネタがなかなか浮かばないので、ちょっと一息しようかな・・・・? (www)
ま、ゆっくり行きまひょう・・・・。(^ー^)
こう見えてもな、私は、関西人やねん。 コテコテやで、ppp・・・
ブログでは、「知るべき事を知っている」とか、「真実は誰も変える事が出来ない」など書いたり、
神話の歴史を明かしていたり、たまにスピ系も書いたりしているのだが、ええ歳したオッサン
なのだよ・・・ (^ー^;) (オッサンって言うな!! オジサンと言え!) (何のこっちゃ?)
私は、この世界では、1962年生まれ。 干支は、寅年で、血液型は、A型で、身体はガタ型・・・
今年で59歳になる。 {今はまだ58や!} {悪あがきすな・・・ }
秦氏の一族の末裔の一人として、自分の関係のある全国の神社やお寺とかに行きたいと思って
いる。 京都や、奈良とか、和歌山などは、大阪の隣りなので、若い時にはよく赴いたが、
その時は、家柄も知らず、役目も知らない時だったから、今思えば勿体ない気もする。
次に狙っているのは、伊勢の神宮に行きたいと思っている。 (誰か連れてって・・・ )
定年になったら多少は自由になるから、九州や、関東にも行きたいと思っているのだが、
旅行ではなくて、あくまでも役目としてなので、思い通りに行くかどうか? 不安でもある。
私の居る所は、大阪の 「大東市(だいとうし)」 という所で、最寄りの駅は、「住道」 というJRの
学研都市線にある。 元々は、子供の時は近鉄沿線の「東花園」と「瓢箪山」の間にある、東大阪
の「新池島」という所に住んでいたのだが、途中から大東市に引っ越して、今に到っているのだ。
と、言っても実家は、北楠野里であって、私は、朋来に住んでいる。 大東市の端っこなのだ。
画像の後ろに見えている山は、「生駒山(いこまさん)」と言って、麓には有名な「石切神社」があ
る。 此処は、何と神話の ニギハヤヒノミコト が祭神の神社なのだ。
ま、神話で言えば、アマテラス の孫である ニギハヤヒ が生駒を治めていた事になるので、
つじまじは合うのだが、子供の時は、そんな事など知らずに、よく遊びに来てたものだ。(^ー^)
「生駒山」 と言えば、歴史では、神武天皇と、長脛彦の軍勢とが戦った場所としても有名な所で
あり、この石切を、もう少し行けば、「枚岡神社」という フツヌシノミコト を祀っている全国でも
有名な神社がある。 子供の時は、何も知らずに桜の花見をしに両親と行ってたなぁ・・・・
今は大東市に住んでいるが、「石切神社」 なら自転車で、今でも行けるのだ。(^ー^)
ま、もっとも電車やバスに乗れば、何処でも行けるのだが、今は大腿骨を骨折してからの術後の
リハビリも含めて無理は出来ないのが現状であり、悔しい思いだ・・・・
リハビリだけでも半年掛かったが、完全には戻らないと医者からも言われて、トホホである。
父の田舎は、「淡路島」 であり、伊弉諾命には、挨拶もして、家の神棚には札を入れて祀ってい
たのだが、何度も行ける所ではないので、今では橿原神宮の神武天皇を祀っている。
或る時、神武天皇に逢いに行かねば、と何故だか思う様になって、何度か、光の玉も飛んで来た
のだが、仕事が忙しくてなかなか行けなくて、そんな時に光の玉がまた わ~って飛んで来て、
早く来い と言われている感があり、何とかして橿原神宮に行って、お札を貰って祀る事になった
のであった。 写真は橿原神宮で、右から嫁さん、長男、次男である・・・・。(www)
この時は、市内の梅田の隣りの曽根崎で勤務しており、お初天神のすぐ近くだったが、環状線の
「鶴橋」から近鉄電車で神宮に行ってたのに対して、後に会社も変わり、「柏原」で勤務する様に
なって、「住道」から「放出」で乗り換えて、「久宝寺」に行き、乗り換えて「柏原」に行く事で、何と
「樫原」から近鉄電車の乗り換えが出来て、「橿原」に行ける事が解った次第・・・・。
何だか、導かれている。 (^ー^)
秦一族の祖先は、タカミムスビであり、その象徴は、「鷹」 の伝説で残っている。
神武天皇の時代でさえ、高木神の象徴は、「金鵄(きんし)」 である。 これも生駒山の繋がりが
あるのは、偶然だろうか・・・・・?
因みに、私の嫁さんの名前は、「ひふみ」 というのだが、これって偶然なのか? 大神に聞いて
みたら、{7百万年前からの繋がりであり、会うべきにして出会っている}というメッセージを受けた
次第である・・・・。