「愛」とは何か? 世間では、「愛」を求める歌が多い。
本当の「愛」というものを知らないが故に、どの時代に於いても、人間は、「愛」を求め続ける。
「愛」は、求めて得られるものなのか?
個人的な、人間の「愛」であれば、簡単に得られるだろう。 しかし、
それは、「愛」というものを知る段階のものであって、「愛」そのものではない。
それを「愛」だとする人間は、「愛」故に苦しみ、「愛」故に哀しみ、怒りさえ生じる事もある。
人間を対象としているだけの個人的な「愛」とは、「差別」の始まりでもある。
だから、特別な人間を作り、その他の人間とは、別扱いをしてしまう・・・・
本当の「愛」とは、大自然そのものであり、宇宙全体的なものであり、善悪の差別もない。
「愛」に始まりはなく、「愛」に終わりも無い。
「愛」とは、芽生えるものではなく、初めから在るものなのだ。
「愛」は、減るものでもなく、増えるものでもない。
人間にとって、身近で、一番「愛」を与えてくれているのは、地球の意志である 【ガイア】 だ。
本当の「愛」を知らない人間たちに、ガイアは、嘆いている・・・・
善人、悪人の区別なく、動物や、生きとし生けるもの全てに「愛」を与えている。
自然の法則、 大自然の恵み、 人間だけで「愛」は計れるものではない。
人間の「愛」には、「裏切り」 もあるだろう。 「憎しみ」 もあるだろう。 そして 「エゴ」 もある。
だが、本当の「愛」には、それが無い。 それが何であろうとも、平等に与えられているのだ。
小さな 「愛の様なもの」 にこだわっていては、解らないものだ・・・・
だが、スピリチュアルの者達にも、警告をしておく・・・・
愛だ、愛だ、と、「愛こそすべて」 みたいな事を言うほど、「愛」に執着し、「愛」の束縛を受ける。
素人のスピラー達にも言っておくが、「愛」は、金で買えるものではない。
スピリチュアルを金儲けの道具にしている者は、鏡返しを受ける様になるだろう・・・・
スピリチュアルを、金で買おうとしても、買えるものではない。
大よその大先生方は、スピリチュアルと言いながら、’心理学’ で集客し、誘導している。
スピリチュアルで、救われた人間が、いるのか・・・・?