溝延の南東部に位置する舟戸地区(溝延12区)に、村岡旦那と呼ばれる昔から続く大きな地主(庄屋)がいました。その屋敷には大きな蔵があったそうです(今も現存?)。

 

昭和の初め頃、村岡旦那の蔵の中から、大名が参勤交代などで使う奴道具一式が発見されました。

長い眠りから覚めた奴道具は、村岡旦那のはからいにより舟戸部落に寄付され、舟戸の男衆により奴行列として日の目を見ることになったのです。

当時、すでに奴行列の伝統があった谷地高関から師匠を招き、高関奴の詩や振りなどを伝授してもらったのでした。そしてその後は、男衆により独自の節や詩などを育みつつ、溝延神奴は現在のスタイルを確立していったのです。

 

今も脈々と受け継がれる伝統は、毎年8月の溝延八幡神社祭典の際、舟戸神奴会による奴行列として奉納されています。


谷地高関奴の流れを組む溝延舟戸神奴の話、溝延翁の昔ばなしとして聞きました。
 

(舟戸毘沙門天 舟戸公民館脇・旧村岡旦那屋敷付近)

祭り当日の早朝、男衆はこの毘沙門天に参拝し、出発地の溝延八幡神社へ向かいます。


それにしても、一体なぜ村岡旦那屋敷のお蔵に奴道具があったのでしょうか。気になりますが、今となっては謎です。

 

 

舟戸毘沙門天 舟戸公民館 

河北町大字溝延632-2

 

(溝延翁談話 参照)


 【溝延散策に役立つカモビックリマークmachi歩きMAP(参考)』爆弾

 

≪交通アクセス≫

河北町路線バス 南部線 ※「舟戸」バス停下車