快晴下の坂道(尾鷲市→熊野市) | 日本一周(分割)自転車紀行

日本一周(分割)自転車紀行

2010年、MR4F(折りたたみ自転車)で突然西へ。
東海道、山陽道、山陰道を駆ける。

そして2年後、再び自転車に跨る…

ただし、自転車走行ではなく自転車旅行。
観光も食事も目的だし、宿泊はホテル。
普段は自転車に乗らない。

これでも日本一周できる…のか?


翌2019年5月25日。

目覚めるとシャワーを浴び、
朝食を食べに食堂に向かう。


普段は朝食など食べないのだが、
旅館の朝食ともなれば話は別。

食べないわけにはいかない。


朝食は干物の定食。

何でも三重県南部の尾鷲市から熊野市あたりは
干物が名物なのだそう。

開きではない丸干しは熊野生まれとも言われ、
ここらの特産品だ。


尾鷲市は底引き網や定置網などで
様々な魚介類が獲れる地。

その豊富な魚介類を
長期間保存するための調理法である。



朝食
朝食をいただく

干物
名物の干物




朝食を食べ終えると準備をして、
再び車で賀田駅まで送ってもらう。

旅館側も手慣れていて、
電車の発車時刻に合わせてくれる。


何しろ尾鷲駅方面の電車は
1日11本しか走っていない。

8時47分発を乗り過ごすと、
次の電車は11時59分。

9時前の出発は僕には早いが、
さすがに12時では遅すぎる。

四国でも味わったことではあるが、
電車利用の場合は自由が効かなくなるのも仕方がない。



賀田駅
賀田駅へ




賀田駅からJR紀勢本線に乗り込むと、
25分後、9時12分に尾鷲駅に到着。

自転車置き場から自転車を取り出すと、
さっそく走り始める。


線路を超えて国道42号に合流し、
南下していく。

そしてJR紀勢本線が左手に離れていくと、
間もなく大きな岐路を迎える。


直進する国道42号は内陸を通り、
最終的に海沿いの熊野市に出る。

一方、左折して国道311号に入ると海沿いへ行き、
細かい海岸線に沿って熊野市へと向かう。


国道42号は内陸をショートカットするだけに、
距離的に言えば圧倒的に近い。

また、国道311号は海沿いではあるが、
当然平坦というわけではない。

昨日のように坂ばかりであり、
坂の度合いとしては国道42号と変わらない。

それならば国道42号がよさそうなものだが、
嫌な予感がしたので事前に少し詳しく調べてみた。


道中には2km近い長いトンネルが2つあるが、
なぜかどちらも歩道がない。

これが自転車旅行において、
最も危険なシチュエーションだ。


かつてロクに調べず走った、
山口県の欽明路トンネル。

歩道もほとんどなく狭く長いトンネルは、
車がすぐ横を猛スピードで走り抜けていく。

本当に死と隣り合わせであり、
可能な限り避けるべき道である。


やはり国道42号も危険らしく、
報告も複数上がっている。

選択肢がないならばいざ知らず。
多少の回り道を避けて走るような道ではない。

そこで左折して国道311号に入る。


実はこの交差点の手前にも岐路があり、
ずっと海沿いを走る県道778号という選択肢もあるにはあった。

しかしこれは相当な大回りであり、
選択肢には入らなかった。



尾鷲駅
尾鷲駅

走り始める
尾鷲の町を走り始める

岐路を迎える
岐路を迎える




つまり国道311号もある程度ショートカットする道であり、
海に出るまでは内陸を通る。

そのため国道311号はすぐ上り坂に。

そしてこの上り坂こそが
今日のハイライトだ。


昨日の延長のような上り坂。

昨晩休んだとは言え、
走り続ける体力がまったくない。

早々に自転車を降りて、
引きながら上っていく。


今日も雲ひとつない青空。

昨日ほどではないものの、
最高気温は28.5℃とかなり暑い。

ここまで快晴が続くことも
そうそうないのではないだろうか。


景色が映える点で青空はいい。

見た目は爽快だし本来ならば歓迎すべきはずだが、
もはや悪条件にしか感じられない。



上っていく
坂を上っていく

どんどん上っていく
さらに上っていく




大汗をかきながら延々と坂を上っていくと、
ようやくトンネルへ。

ここ八鬼山トンネルも長いトンネルだが、
一応歩道があるので安心だ。

直射日光からも解放され、
上り坂のトンネルを進んでいく。


トンネルを抜けるとすぐに下りへ。

激しい下り坂を一気に下っていくが、
下り切る前にヘアピンカーブが待ち受ける。


下り坂のヘアピンカーブは
無駄に減速する必要があるのが難点。

何のための下り坂なのか…
走るたびにいつも思う。



八鬼山トンネル
八鬼山トンネル

下っていく
下っていく




ヘアピンカーブを抜けると左手に
九鬼駅が見えてくる。


九鬼と言えば九鬼嘉隆。

もともとは志摩国の国衆だったが、
織田信長に仕えると水軍を率いて活躍。

志摩国の領有を認められ、
鳥羽城を築いた。


しかし家督を守隆に譲った後に、
関ケ原の戦いでは西軍に参与して自害。

一方、東軍に加わった守隆は
鳥羽藩の初代藩主となった。


もともと九鬼氏はここ紀州九鬼浦の出であり、
少し東にある九鬼城は南北朝時代に
九鬼隆信により建てられたという。

ただ、今は何の遺構も残っておらず、
特にそれらしい跡も案内もない。



九鬼駅
九鬼駅




九鬼駅から海沿いに出るが、
またあっという間に上り坂に。

少し内陸に向かいトンネルを潜り、
下るとまた海沿いに。

もはや馴染みの行程だ。


ただ、ここからしばらくは
それほど高い上り坂がない。

そして比較的大きめな集落が現れると、
そこは今朝旅立った賀田駅周辺。

時刻は11時半。
3時間ぶりに帰ってきた形だ。


昼時と言えば昼時。

しかし残念ながらここらに飲食店の情報はなく、
実際に走ってみてもその気配はない。


そのまま賀田駅の横を通り抜け、
さらに尾鷲シーサイドビューの横を過ぎる。

またすぐ上り坂になり、
トンネルを3つ抜けると熊野市に入る。



すぐに上り坂に
またすぐ上り坂に入る

賀田駅周辺
賀田駅周辺へ

尾鷲シーサイドビュー
泊まった尾鷲シーサイドビューの横を通る




熊野市に入るとなぜか急に道が狭くなる。

車がすれ違うのは難しいんじゃないかというレベルだが、
思えば今日途中からほとんど車を見ていない。

あまり影響なく変わらず上り下りしていく。


左手に「『神の戦ひたる処』望むビューポイント 甫母町」
と書かれた看板が見える。

甫母町はここから南に突き出た
小さな半島にある町。

先端には楯ヶ崎があり、
中程には阿古師神社なる神社がある。

また、西側の対岸には室古神社がある。

看板を読むと、
ここらは日本書紀の伝説の地らしい。


何でもここは神武天皇東征軍の上陸地。

天照大御神の第五世代の直系子孫である磐余彦尊は
葦原中国を治めるために兄や子と高千穂を出発し、
筑紫国、安芸国、吉備国を経て軍兵を整える。

そして河内国から世界の中心「中洲」の大和国に向かうが、
戦になりいったん引いて海路南へ。

熊野に差し掛かると海が荒れ狂い、
憤慨した兄の稲飯命は海に入り鋤持神となり、
三毛入野命は常世に去った。

一方、磐余彦尊は息子とともに
熊野の荒坂津に進み上陸。

そして最終的に大和国を平定して、
橿原宮に初代神武天皇として即位した。


磐余彦尊が上陸した荒坂津は
楯ヶ崎のやや西。

阿古師神社の祭神は三毛入野命であり、
室古神社の祭神は稲飯命である。


熊野市に入るなり現れた、
日本書紀の世界。

日本史で習ったわけでもないので、
さすがに都度調べないと分からない。


ただ、この磐余彦尊の上陸地。

日本書紀では「荒坂津またの名を丹敷浦」とされており、
実際の場所については諸説あるのだが、
この時点ではまだ知る由もない。



熊野市へ
熊野市へ

道が狭くなる
急に道が狭くなる

景色がいい
坂を上っていくので景色がいい

神の戦ひたる処
神の戦ひたる処




ここから坂を下って海沿いに入るが、
やはりまた上り下ってを繰り返す。

二木島駅周辺を通りまた上り坂に入る。


JR紀勢本線が走っているのは
基本的に国道311号よりだいぶ内陸。

それゆえ道中に線路を見かけることはほとんどなく、
海沿いの集落に突然駅が現れる感じだ。


そして僕はもう完全に力が残っていない。

今日最初に挑んだ八鬼山ほどの坂はないのだが、
上り坂があるたびに自転車を引いて歩いている。

今日だけであればさほどではないはずなのだが、
やはり一昨日、昨日の疲れが残っており、
信じられないほど進みが悪い。



二木島駅周辺へ
二木島駅周辺へ

二木島駅
二木島駅




再び内陸をショートカットして、
トンネルを抜けて海沿いへ。

ここ新鹿(あたしか)海岸は日本でも有数の遠浅で
透明度が高い海と白い砂浜が特徴。

確かに遠目に見ても白浜が美しい。

そもそもリアス式海岸が続いているので、
砂浜というのが珍しい。


集落に入ると今度は新鹿駅が現れる。

Google mapでは、この先の海沿いに
「歩絵夢」なる喫茶店があるはず。

国道311号から離れてないので寄ってみる…
のだが、案の定開いている気配すらない。

これもまた三重県南部の日常だ。



トンネルで新鹿へ
トンネルを抜けていく

新鹿海岸
新鹿海岸




また上り坂に入ると、
今度は海近くに行くことなく波田須駅近くへ。

ここには「徐福茶屋」があるのだが、
営業日と営業時間が特殊であり、
やはり今は開いていない。



徐福茶屋
徐福茶屋




山の中から下りに入り、
トンネルを抜けてさらに下ると再び海沿いへ。

大泊駅周辺に入ると、
ようやく国道42号に合流。

そして左手の海沿いを少し進むと、
ついに鬼ヶ城センターが見えてくる。


ここは「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として
世界遺産に登録された「鬼ヶ城」に隣接する建物。

熊野市の特産品や伝統工芸品、
お土産などが販売されている。

そして何と言っても食堂があるのがポイントで、
結局、今日走り始めてから初の休憩であり食事である。


今日は本当に休む所がなかった。

もちろん道の駅やファミレスなどは存在せず、
コンビニすらまったく見ていない。

たまに見つけた自販機で水分補給したのみである。

この点は昨日にも増して過酷な環境下であり、
疲れが増強される要因でもあった。

ようやく訪れたスポットに安堵し、
足早に食道へと向かう。



国道42号に合流
国道42号に合流

鬼ヶ城センター
鬼ヶ城センター




食堂に入り注文したのは、
熊野地鶏と野菜カレーとめはり寿司のセット。

熊野地鶏は三重県在来種とニューハンプシャー種を交配したオスに、
名古屋コーチンのメスを掛け合わせた地鶏。

熊野地方で10年の歳月をかけて
開発された地鶏なのだという。

カレーで食べて味の違いが分かるわけではないが、
こういった背景も美味しいものである。



熊野地鶏と野菜カレー
熊野地鶏と野菜カレー




一方のめはり寿司は、
まさに熊野地方の名物。

麦飯または白米の握り飯を高菜で包んだもので、
もともとは山仕事や農作業の弁当として始まった。

確かに、野菜とご飯を同時に味わえ、
しかも高菜とご飯の相性がいいのだから美味しい。

カレーとのセットはご飯とご飯の組み合わせだが、
味わいがぜんぜん違うので気にならない。



めはり寿司
めはり寿司




久し振りの食事をとり、
たっぷりと水を飲み休むと1階へ。

ちょうど外でソフトクリームを売っているので、
新姫ソフトクリームを食べる。


新姫は熊野市で偶然発見された新種の柑橘類で、
タチバナと温州ミカンが自然交配した交雑と推定されている。

どちらかというとスダチに近い、
酸味が強い柑橘なのだそうだ。


一見、ミカンか何かのブランド名かと思いきや、
まさかの新種。

熊野の奥深さと言うか、
名物が次から次へと出てくる。



新姫ソフトクリーム
新姫ソフトクリーム




ソフトクリームを食べながら、
鬼ヶ城センターの横の道を奥へ。

間もなく正面に鬼ヶ城が見えてくる。


鬼ヶ城とは熊野灘の荒波に侵食された無数の海食洞が、
地震による隆起で階段状に並んだ海岸景勝地。

熊野灘に面して1km続いており、
志摩半島から続くリアス式海岸の最南端でもある。


鬼ヶ城の名称にも伝説がある。

桓武天皇の時代にこの地に隠れて海を荒らし回り
鬼と恐れられた海賊・多娥丸を坂上田村麻呂が征伐。

その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれており、
後に鬼ヶ城と謂われるようになった。

また、小高い山頂には室町時代に有馬忠親が
隠居城として築城した鬼ヶ城本城があったそう。

この山頂とやや北西にある熊野古道・松本峠は、
ハイキングコースとして整備されている。


今日は土曜日だけあって、
鬼ヶ城センター自体もなかなかの人出。

鬼ヶ城を歩き進める人も多く、
僕も後についてまず鬼ヶ城を歩いてみる。


鬼ヶ城は基本的に切り立った岩場なのだが、
そこに柵がついた道が整備され、
歩けるようになっている。

そして所々に開けた場所があり、
様々な姿を見せてくれる。


ただ、そこそこ距離も長く、
道には階段もありそれなりに歩きづらい。

また、周回するコースではなく一本道なので、
基本的に同じ道を戻ってくる必要があり、
進めば進むほど戻るのが大変になる。

多くの人は車を駐車場に止めているため、
途中で引き返しているようだ。


僕も自転車を置いてきている都合上、
ある程度進んだら引き返そうかとも思うが、
せっかくだから歩き切りたい気もする。

そうこう思いながら進んでいると、
ますます引き返しづらくなる。


そもそも道自体は非常に狭いので、
折り返してすれ違うのもなかなか億劫。

そんな微妙な思いのまま進んでいると、
結局最後まで歩ききって鬼ヶ城の西側へ出る。



鬼ヶ城
鬼ヶ城

千畳敷
所々開けている

海沿いを進む
海沿いを進む

階段もキツイ
階段もキツい

飛渡り
飛渡り




「さて…」
ここからどう進むのかは難しい。

自転車を置いた鬼ヶ城センターまで戻る必要があるのだが、
さすがに来た道を引き返す気にはなれない。

すぐ上に鬼ヶ城センター方面まで戻るトンネルがあるのだが、
どうやら自動車専用のようだ。

どこかに歩行者・自転車専用の
トンネルがあるのだろうか…


スマホで地図を見ながらキョロキョロしていると、
ちょうど後ろから老夫婦が歩いて来る。

だいぶ年を召した感じに見えるが、
よくあの鬼ヶ城をここまで歩いてきたものだ。

この先のことを聞いてみると、
このまま熊野市駅に向かうのだそう。


もともと熊野市駅からバスで鬼ヶ城センターに向かったようで、
確かに歩いて来た人なら熊野市駅に向かうだろう。

地図を見ると熊野市駅は鬼ヶ城センターとは真逆なのだが、
1kmほどはあり歩くには決して近くはない。

ただ話を聞くと、
「せっかくだから熊野の街を歩くのも悪くないか…」
とも思う。

やや迷いつつも、
熊野駅へと向かうことにする。



渡り切る
ようやく渡り切る




鬼ヶ城センターはかなり賑わっていたが、
熊野市街はだいぶ寂しい。

閉まっている店も多く、
厳しい地方の現状といったところだろうか。


ただ、そもそも熊野市は名古屋からも大阪からも遠く、
アクセスという点ではかなり悪い。

逆に言うと、こんな遠くまで
あれだけの客が来ていることが凄いことだ。


10分ほど歩いて熊野市駅に着くと、
タクシーに乗って鬼ヶ城センターに向かう。


何とも間抜けな感じではあるが、
もう歩きたくもないので仕方がない。

余裕があれば松本峠を越える予定だったが、
今日の状態ではもう無理だ。



熊野の街
熊野の町を歩いていく

熊野市駅からタクシー
熊野市駅からタクシーで鬼ヶ城センターへ




鬼ヶ城センターに着くと自転車に乗り、
少し戻って鬼ヶ城トンネルに向かう。

鬼ヶ城トンネルは自転車通行禁止だが、
ちゃんと横に歩道トンネルの案内がある。


ただ、歩道トンネルを抜けると、
なぜか出口は自動車トンネルと離れたところにある。

町中を抜けて熊野市駅へ。

そしてさらに進んで、
知り合いの実家を目指す。


今回の旅程はなかなか難儀した。

四日市市から紀伊半島を回る予定なのだが、
和歌山市までは5日はかかる。

帰る時間も考えると6日は必要であり、
今の状況的になかなか厳しい。


ならば分割でとなるのだが、
南紀白浜空港は和歌山市の1日分手前で、
分割する地としては奥過ぎる。

一方、電車を使うとなると、
帰るのにかなり時間がかかってしまう。


そもそもここ熊野市駅から名古屋駅まで
特急に乗っても3時間。

家に着くまで6時間かかる。

自転車を輪行して往復するとなると面倒であり、
奥に行けば行くほど厳しくなる。


次の旅程まで時間が空くならば仕方がないが、
それほど間を空けずにまた来る予定。

それゆえ、尾鷲市からこの先の新宮市あたりで、
自転車を置いていけるところはないか探していた。


有料の駐輪場などでもあればよかったのだが、
どうにも見つからない。

そこで見つけたのが、
熊野市出身の知り合いの実家だ。


幸いにも知り合いの実家は熊野市駅から遠くない。

事前に連絡をしていたので、
挨拶をして敷地内に自転車を停めさせてもらう。

そして再び熊野市駅へと歩いて戻る。


時刻は16時過ぎ。

次の名古屋方面の特急は17時50分発なので、
1時間半以上待ち時間がある。

電車はそれほど本数が少ないというわけではないのだが、
名古屋に行くには特急に乗らないと話にならず、
特急の本数は少ない。

駅前にはファミレスやカフェもないので、
土産物屋などを覗いて時間をつぶし、
特急に乗り込む。


改めて今日の行程を振り返ってみると、
60km程度の距離なのに獲得標高は1000m近く。

かなり厳しい道程だった。

昨日から続く地獄で疲れ果てており、
上り坂の大半は歩いていたため、
平均時速は13.6km/hと信じられないほど遅い。

それでも一応予定通り熊野市駅にたどり着いたので、
まあいいだろう。

自転車を置いてこれたので
身体も気持ちも身軽だ。


家に着いたのは23時半過ぎ。

長い旅程ではあったが、
いつも以上に次の旅路に前向きだ。



鬼ヶ城歩道トンネル
鬼ヶ城歩道トンネル

街を抜ける
また熊野の町を抜ける

再び熊野市駅
再び熊野市駅へ




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2015年5月25日

尾鷲駅(尾鷲市)~熊野駅(熊野市)
走行距離:約59km(google map)

サイクルコンピュータ(CATEYE VELO WIRELESS+)
走行時間:4時間31分34秒
走行距離:61.58km
平均速度:13.6km/h

■快晴下の坂道
(尾鷲市→熊野市)

地図の詳細
ルートラボ