一から二、そして九から三へ(二戸郡一戸町→二戸市) | 日本一周(分割)自転車紀行

日本一周(分割)自転車紀行

2010年、MR4F(折りたたみ自転車)で突然西へ。
東海道、山陽道、山陰道を駆ける。

そして2年後、再び自転車に跨る…

ただし、自転車走行ではなく自転車旅行。
観光も食事も目的だし、宿泊はホテル。
普段は自転車に乗らない。

これでも日本一周できる…のか?


国道4号を北へ走る。

小鳥谷(こずや)駅の手前でバイパスと別れ、
少し回りこんで街へ。

間もなく左折して民家の中を抜けて走ると、
「藤島のフジ」が見えてくる。


「藤島のフジ」は樹齢数百年、高さは20mもある、
日本一大きなフジとして
国の天然記念物に指定されている。

しかし、すぐ隣のカツラの樹に巻き付いていたものの、
その重みでカツラの枝が折れてしまったため、
今は鉄骨の櫓と支柱で支えられている。


フジが開花するのは春から初夏。

それゆえに花を見られると思ったのだが、
今の姿にまったくその気配は感じられない。

まるで真冬に来ているかのような寂しい姿である。


考えてみると東北は桜の開花時期も東京より1ヵ月遅い。
フジの開花時期も大きく遅れているのだろう。

桜の満開には間に合わず、
フジの開花には早すぎるというのも悲しいものだ。



小鳥谷駅の方へ
小鳥谷駅の方へ向かう

小鳥谷の街を進む
小鳥谷の街中を進む

藤島のフジ
藤島のフジ




再び駅前の通りに戻りさらに北上。

バイパスと合流すると、
左側に川がやって来る。


東北で川といえば、
とにかく北上川。

石巻市からずっと
北上川を遡る形で走ってきた。


しかし北上川の水源は岩手町。

先ほど通った沼宮内の先には
「北上川源流公園」があり、
この川はもう北上川ではない。


ここはもう国道4号最高地点を越えた、
いわば青森側の地。

この馬淵川(まべちがわ)は、
八戸市に向かって下る川だ。

しばらく馬淵川とともに走ると、
国道4号と別れて左折。

馬渕川を渡り県道274号を進む。


当初の予定ではこのまま走り抜けるつもりだったが、
間もなく「御所野縄文公園」の標識が見えてくる。

存在自体は事前に調べていて知っていたが、
時間が厳しいので寄る予定はなかったスポットだ。


しかし標識を見てしまうと、
無視する訳にはいかない。

右折して国道4号を越えて東へ。
間もなく「御所野縄文公園」に着く。



馬渕川沿いに入る
馬淵川沿いへ

一戸町内へ
一戸町内へ




「御所野縄文公園」は
なぜか渓谷を挟んだ向かい側に駐車場があり、
屋根付きの木製歩道橋を渡ることになる。

なんでも「きききのつりばし」といい、
木材としての「木」、奇抜の「奇」、
渡る喜びの「喜」を表しているのだそうだ。


つりばしを渡ると資料館があり、
その奥に遺跡群が広がっている。

「御所野遺跡」は縄文時代中期の拠点集落跡で、
4000~4500年前のものだと考えられている。

東北北部から道南の円筒土器文化圏内の東南端に位置し、
南の大木式土器文化圏からの影響を強く受けている。


そして500年の長期に渡った定住集落ということで、
竪穴式住居などが再建されている。

竪穴式住居といえば吉野ヶ里遺跡公園が思い起こされるが、
あちらは弥生時代にムラからクニへと
発展していく過程のもの。

2300~1700年前あたりだろうか。

さすがに再建されたものだけでは
両者の区別はつかないが、
4000年前というのは凄い。


ざっと早足で回ると駐車場へ戻る。

再び国道4号を越えて県道274号に戻ると、
また北へと走り出す。



つりばし内
きききのつりばし

竪穴式住居
御所野縄文公園

屋根付き建物
屋根付きの建物もある




一戸駅を越えると間もなく国道4号に合流。

少し走ると正面に小さな山が見え、
大きな岩が見える。

正面にあるやや尖った岩が男神岩、
少し右に見える丸みを帯びた岩が女神岩だ。


この2つの岩は古くからの謂れがあるもの。

男神と女神は幼い頃からの許嫁だったのだが、
男神が心変わりして鳥越山に心を奪われる。

女神は鳥越山を絞め殺そうとするが
失敗して大淵に身を投げる。

その後、里人が祠を建て、
雨乞いの神として祀ったという。


ここらは目の前に流れる馬渕川を中心とした、
馬仙峡なる観光名所。

ただ、一関市の厳美渓のように川沿いで見るのではなく、
高所に上って見下ろすものらしい。

さすがに今日の日程でそこまで寄るのは厳しいので、
そのまま国道4号を進み二戸駅へと向かう。


二戸駅は東北新幹線の停車駅だけあって、
やはり大きい。

周囲は閑散とも住宅街とも言えないような、
微妙な大きさの街だ。

ちょうど青森県との県境にある市であり、
今日の宿泊地にしようとしていたところでもある。


本来、盛岡市の次の目的地として
相応しいのは八戸市。

しかし盛岡駅から八戸駅までは
およそ130kmある。


130kmといえば、
僕が1日で走れるギリギリの距離。

通常の行程ならばそれほど問題ではないのだが、
出発日ともなるとそうはいかない。

ほぼ寝ないで始発で出発してから
130km走るのはさすがに厳しい。

そこで、その中間あたりにある都市を探したら、
ここ二戸駅が候補に上がったというわけだ。


盛岡駅から二戸駅まではおよそ80km。
初日としては本来ちょうどいい距離である。

ただ、やはり問題は2日目以降だ。

名物も多い八戸駅までは50kmと近すぎるが、
その先に適した目的地はない。

その次の目的地である青森駅は
八戸駅から110km程度とちょうどよく、
結局、八戸駅に泊まるのが一番いいのは間違いない。


現在の時刻は15時過ぎ。

なかなか悪くないペースだし、
さほど疲れもない。

残り50kmを3時間程度と考えれば、
時間的にも体力的にも問題なく八戸駅に到着できそうだ。



二戸へ
二戸市街へ

男神岩
男神岩

女神岩
女神岩

二戸駅へ向かう
二戸駅へ向かう

二戸駅
二戸駅




少し気持ちに余裕も出てきたので、
駅横の「カシオペアメッセ・なにゃーと」へ立ち寄る。

ここはいわゆる物産センターで、
「なにゃーと」は青森県南部から岩手県北部にかけて伝わる
盆踊り「ナニャトヤラ」に由来しているのだそう。

2階にはレストラン「戸々魯」があるので、
遅ればせながら昼食をとることにする。


「戸々魯」は普通のレストランだが、
「ひっつみ定食」が目を引くので注文する。

ひっつみは小麦粉を使った汁物の郷土料理。

要するに一関市で食べたはっとと同じ。

さらに言えば、熊本県のだご汁、
大分県のだんご汁と同じ、
すいとんの一種である。

同じ料理が名前を変えながら土地土地にあるのは、
本当に不思議であり驚きでもある。

味もほとんど変わらない。
日本人としてホっとする味だ。



なにゃーと
カシオペアメッセ・なにゃーと

ひっつみ定食
ひっつみ定食

ひっつみ
ひっつみは平たい




店を出ると再び自転車にまたがり、
二戸駅の東側へ出ると正面に馬渕川が見えてくる。

ここも馬仙峡であるはずなのだが、
どうも景色がいいというわけではない。

川辺まで建物があるのが最大の要因だろうか。

大崩崖という名物もあるのだが、
どうにも微妙である。

やはり高いところから
見下さなければいけないのだろう。


そのまま馬渕川沿いを進み右手に折れると、
間もなく九戸城跡が見えてくる。

なぜ二戸市に九戸城なのか疑問に思うが、
そもそも今日は一戸町から二戸市と通ってきた。

そしてこの先は三戸町だし、
今日の目的地は八戸市だ。

これだけ数字が並べば
とても偶然とは思えない。


何でももともと律令制下における北端は
現在の奥州市から盛岡市あたりまでで、
奥六郡と呼ばれていたという。

しかし平安時代の延久蝦夷合戦の結果、
岩手県の北部から青森県も朝廷の支配下となり、
建都された糠部郡が「四門九戸の制」により
一戸から九戸まで分けられた。

盛岡の北から一戸が始まり、
北へ向かって七戸まで行った後、
海岸側へ折り返して八戸、九戸と名付けられている。


ただ九戸村があるのは二戸市の東で、
九戸城とは直接は関係ない。

もともとは九戸村を領していた九戸氏が、
ここに九戸城を築城して移ったのだそうだ。

通常、城の名称は地名がつくものだが、
九戸城は九戸氏から来ているからややこしい。


なお、九戸氏は奥州の覇者・南部氏の一族。

南部氏の祖である南部光行には6人の息子がおり、
三戸南部氏を継いだ実光以外は、
それぞれ一戸氏、八戸氏、七戸氏、四戸氏、
そして九戸氏の祖となった。

南部氏の六男が九戸を治め九戸氏を名乗った後に、
二戸の地に移り九戸城を築城したということ。

何だかややこしい話である。


ただ、九戸城が歴史で最も有名になったのは、
九戸政実の乱だろう。

南部晴政は「三日月の 丸くなるまで 南部領」
と謳われるほど領土を広げ南部氏全盛期を築き上げたが、
晴政の没後、南部家内は後継者問題で分裂した。

石川信直が三戸南部家当主となり、
豊臣秀吉の奥州仕置に従軍したが、
宗家の家臣となることに反発した
九戸政実が挙兵した。

しかし、蒲生氏郷ら奥州再仕置軍により
九戸城は包囲されて降伏。

その後、蒲生氏郷が九戸城と城下町を改修した後、
南部信直が三戸城から居を移して福岡城とした。


この乱は、豊臣秀吉の天下統一における最後の乱で、
東北地方の戦いとしては珍しく有名である。

ただ、福岡城と改められたはずなのに
現在は九戸城として知られ、
実際に建てられている石碑も
「九戸城跡」となっている。


九戸城跡には何も再建されてないのだが、
ただの広場というわけではなく、
堀の跡などの遺構がある。

そして城跡にはよくあることだが、
一面に桜が植えられていて、
散り際の姿を見せてくれている。


5日ほど前だったら、
ここも満開だったのだろう。

この後も同じような景色を見続けるのかと思うと、
本当に残念である。



馬仙峡だが…
馬仙峡だが…

鳥がいる
橋に鳥が

九戸城へ
九戸城へ向かう

九戸城の案内図
フタを開けると案内図が入っている

九戸城
九戸城跡

九戸城跡全景
九戸城跡はしっかりと跡がある

桜が少し残っている
桜が残っているといえば残っている




九戸城を後にすると、
再び西へ進み馬渕川を渡る。

すぐに左手に見えてくるのが「短角亭」だ。


ここ「短角亭」はその名の通り短角牛を出す焼肉店。

入り口の先には「国産牛肉トレーサビリティ実施店」として、
今日のメニューに対応した個体識別番号が書かれている。

なかなか期待感を煽る掲示だ。


そもそも短角牛とは南部牛をもとに
改良を重ねた岩手の特産牛で、
脂肪が少なく肉本来の旨味を味わえる。

ただ日本では脂身が多い霜降り肉が好まれるため、
昔と比べ生産農家が激減してしまったという。

一方で近年は健康ブームもあり見直されており、
その希少性もあり人気になっている。


本来はガッツリと食べたいところだが、
何しろまだ50kmほど走らなくてはいけないうえ、
1時間半前にひっつみ定食を食べたばかり。

何皿も食べるのは厳しそうなので、
「短角牛ステーキ定食」を注文する。


運ばれてきた短角牛は、
美しい赤色をしている。

脂身に慣れた身には物足りないかとも思ったが、
とんでもない。

ほどよい脂と肉の旨味が絶妙で、
非常に美味しい。

もちろん脂身が乗った牛肉も大好きなのだが、
これは比較できるものではない。

それぞれがそれぞれに美味しい。
そうとしか言いようがない。



短角亭
短角亭

トレーサビリティ
個体識別番号が書いてある

短角牛ステーキ定食
短角牛ステーキ定食

短角牛ステーキ
美味しそう




満足すると店を出ると、
国道4号に合流して再び北へ向かう。

時刻は17時20分。

日没に対する不安はあったのだが、
意外とまだ明るい。

昨年10月に東北に来た際は17時には日が落ちていたが、
5月というのが大きいのだろう、
明らかにまだ1時間以上はもちそうである。

とは言え、まだ先は長いので、
途中で日が暮れるのは避けられない。

先を急いで走る。


ここら辺の国道4号は、
何とも言えない寂しい感じ。

建物が続いているわけでもなく、
自然が広がっているわけでもない。

かといって無理やり切り開かれた感じでもない。

建物はまばらで道も広くなく、
県道のような雰囲気だ。


しばらく走ると、
金田一温泉駅が見えてくる。

名探偵のような不思議な名称の駅だが、
ここらは二戸市金田一で、
れっきとした地名らしい。


そもそも金田一氏は南部光行の4男である四戸氏の分流で、
南部信直からここ金田一を拝領し、
金田一氏を名乗ったのだという。

つまり金田一氏の源流である温泉郷である。


他の温泉地にもあるような歓迎の塔があり、
しばらく進むと「歓迎 金田一温泉」の看板がある。

看板には「ぺどろ」と「もんぜ」なる
不思議なイラストが描いてある。

作家の三浦哲郎がかつて金田一に疎開し、
ここを舞台に書いた小説「ユタとふしぎな仲間たち」
に登場する座敷わらしなのだそうだ。


ここからはしばらく馬渕川沿いに走る。

そして馬渕川から離れたと思ったら、
青森県三戸町へと入る。

いよいよ本州の折り返し点が見えてきた。



二戸から北へ
さらに北へ

金田一温泉駅
金田一温泉駅

歓迎
イラストが歓迎してくれる

再び馬渕川沿い
再び馬淵川沿いへ

三戸町へ
いよいよ青森県へ





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2014年5月2日

盛岡駅(盛岡市)~青森県境(二戸市)
走行距離:約90km

再び、東北の地へ
(盛岡市)
みちのくのトンネルに待っていたものは…
(盛岡市→滝沢市→盛岡市→岩手郡岩手町→二戸郡一戸町)
■一から二、そして九から三へ
(二戸郡一戸町→二戸市)