不倫がはっきりわかったのが

5ヶ月目くらいだった。


それまではなんか変だなぁと思っていたけど

私は気づかないふりをしていたんだと思う。


まさか、

そんなはずはない、

と、ずっと言い聞かせて、、



いや、そもそもがおかしかった。


アメリカへは半年前に夫が先に行っていた。


私はほぼ1人で引っ越しをやってのけた。

引っ越しといえど、普通の引越しではない。

ほとんどを捨てなきゃいけない作業だった。


抱えている仕事も手放さなきゃいけなかった。


やっと終わりが見えてきた渡米1ヶ月前くらいの時

夫に言われた

「本当に来る?

日本にいる?」と。


はぁ?

何言ってるの


とりあわなかったけど、今思えば

そういうことだったんだと思う。


そして渡米初日

我々が空港に着いた時

お迎えに夫の姿はなかった。


大きなスーツケースを息子と押して地上に出た時に

どんな笑顔で迎えてくれるんだろう


私も息子もたまらなくワクワクしていたのに、、


え、いない、、


どこか違うところで待っているのかも!!


慌てて空港の無料Wi-Fiを繋げてLINE電話をした。


(どうしたんだろう、、)


やっと電話に出た夫は

我々のそんな心配をよそに

寝ていた。


そして今から出る

なんとも億劫そうな声が耳の中をこだまする。


できるだけ落ち着いた声で聞く。

そっか、じゃああと何分くらいかな


40分くらい

という答えに

え!そんなに?と思わず声が漏れた


いや、早く連絡しくれないとさ、出てくるのに時間かかったりするし、わからないじゃん!

イライラした声が頭の中に響く。


空港でソファに座り

それでもいろんな感情を打ち消して

息子も楽しみに待っていたから

空港も面白いよね、なんていいながら人間ウォッチングしたりして過ごした。


やっと会えた夫は

まったく嬉しそうではなかった。

疲れが顔面に出ていて、空気も重々しい。

歓迎ムードは期待していたそれとは雲泥の差だった。


私は成田空港で買った

渡辺和子さんの本

「置かれた場所で咲きなさい」を読み、心に留めておいたので、

青い空、ヤシの木に励まされて楽しいことを考えながら車から見る流れる景色に意識を集中した。


それからの日々

ましな日もあったけど

基本は空気が悪くて

イライラされて

私のことは邪魔者扱いだった。


ゴミを見るような目で見られている感じに

本当に意味がわからず辛かった。


とにかく行動はおかしかった。


それなのに気がつきたくなったんだろう

まさかね、

そんなわけない、

何度もそう言い聞かせて自分を誤魔化していた。

夫を信じていたかった。


そんなことも虚しく

事実を突き止めた時は

「やっぱりそうだったんだ」と答え合わせをするような感じもあったけど

それと同時に

その何倍もショックだった。

信じられなかった。

そして、私はまだ信じていたかったんだ、という自分に愕然とした。


そこから数日たって話し合うことになった。


夫は

やっと伝えられたことでスッキリしたのか

これまでの攻撃だった口調がましになり

そこから少しずつ話ができるようになった。


本当は自分から

言い出して欲しかった。


彼は最後まで逃げて

私が問い詰めたから吐いただけだった。

それが悲しかった。


離婚の意思はかたく

とはいえ今すぐにどうこうできることでもなく日々は過ぎていった。


以前とは打って変わって空気は穏やかになり

それは次第に日常になっていった。


でもそれはあくまで表面的なことで

私は絶望の日々だった。


深夜の1時2時まで帰ってこない

相手の家に行っている

うとうとするだけでちゃんと眠れない

帰ってきたら何食わぬ顔して起きる

おかえり〜

なんか食べた〜?と声をかけた


無視されたり

冷たくされることはなくなり

穏やかに話ができる今の方が数倍ましに思えた。


でも

傷ついてる心は癒えることはなかった。


当たり前だ。


不倫が公認になっただけで

状況は何一つ変わってないのだから。


何度も何度も深く傷ついた。


そんな私が離婚する気持ちを少しずつ固めていったのは

その後もどんどん事実が暴かれていったからだ。


こうして書いていると

夫が悪魔のように見えるだろう。


庇うわけではないけど

彼なりの言い分が

彼なりの正義があり

自分を守るために必死で

誰かを攻撃したり

誰かに頼っていないと

立っていられなかったんだろう。


それは間違っていると

世界中の人たちに後ろ指さされても

きっと彼なりの言い分がある。


それが世に言う「言い訳」だろうと。


だから

彼を悪者にしたくて書くのではない。


私の得た傷についてを書く。


いろんな種類の心の傷ができていったこと

これも間違いなく事実なのだから。


痛い

苦しい

息ができない

眠れない

親に申し訳ない

息子にも、、なんていえばいいのか、、


言葉にできない傷が私の心を埋め尽くしていった。


この傷も

辛かったことも

きっと少しずつは風化するであろう。


でも、これから私は

これで間違ってなかったと認識するためにここに書いておこうと思う。

  

私の数年後の私のために。