このブログでは、
ビジネスの世界、特に社長という
資本主義のチャンピオンを育て、
世に送り出すという願いでお送りしています。
こんにちは
「がっちゃん」こと、かぎやまひでゆきです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
さっそく、きょうのコンテンツです。
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■ビジネスにおける恩讐とは~その1
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たった今、菊池寛の「恩讐の彼方に」というタイトルを
ふと思い出しましたので、予定を変更してお話したいと思います。
まずは恩義の話から。
私の父が、
昭和40年頃に約350区画くらいの住宅団地を
造成販売開始しました。
南面傾斜の日当たりバツグンの住宅団地で、
今でも国土地理院の地図に「鍵山団地」と記されています。
当時の販売価格が、
長崎の田舎とはいえ
坪当たり9000円だったと記憶しています。
でも、
当時のサラリーマンの月収が
20000円~30000円だったこと思えば
この価格が妥当だったかとは思います。
今、その土地の地価は30~40倍くらいですかね。
当時は確かに安かったと思うんですけど…
じつは、
この宅地分譲を機に父の会社は飛躍的に成長し、
長崎では、今で言うデベロッパーの地位を
確立させていただきました。
その時にお世話になったのが、
当初その地区の農協組合長、後に県議・国会議員となられた
N先生です。
父は、この恩義を絶体に忘れることなく、
国会議員となられた時には、
娘(私の姉です)を秘書として差し出し、
その方の二男さんを自分の会社に向かい入れ、
地元事務所の秘書給与を全額賄うといった
全面的なバックアップを行いました。
今こそ申し上げられますが、
年間数千万円以上になっていたと思います。
団地造成販売で得た利益は、
おそらく当時数千万円程度でしょう。
たぶん、N先生の事務所の経費1年分程度くらい?
それくらいにN先生に「尽くした」というか「入れあげた」と思われます。
損得で考えると1年分くらいでも十分ですよね。
でも、のちのちを考えるとそれくらいはいいのかな?
なんて考えてしまうのは
父のDNAを受け継いでしまった
私だけでしょうか?
讐の話は次回以降に。
こんな風にみていくと、
「世の中の不思議や仕組み・仕掛けが面白くて仕方がない。」
そう思ってしまいます。
ご参考になれば幸いです。
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またお会いしましょう。
がっちゃんbyかぎやまひでゆき