年の初め | 猫婆のシングル珍道中

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人生は珍道中。
ボケ防止のためにブログやります!

12月中に

一年の振り返りをしようか

なんて思っていたけど

故郷から友人がやってきたり

娘が友達を連れてきたりして

年内の休日はほとんどなく終わってしまった。

 

年始の勤務が終わったら

一年のまとめと新年の抱負

気分新たにブログに乗せようかなー

そんなふうに考えながら

1月1日は普段より少し静かな病棟で

仕事をしていた。

 

患者さんがいるホールで仕事をしていたら

テレビから緊急速報が流れ

それと同時に床がぐらんぐらんと大きく揺れて

なかなか止まらかった。

 

テレビから、能登と周辺の地震速報。

あーこれ、実家も揺れているだろうな、と。

ちらっとテレビに目をやりながら

大丈夫ですかー

もう大丈夫ですよーと

患者さんに声をかけて回った。

 

落ち着いたころ

仕事休みの娘に連絡をして

娘経由で実家の様子を伺ってもらった。

 

姪っ子に連絡がついて

とりあえず全員無事、

猫2匹含め家族全員で避難所へ向かった、

と知らせてくれた。

 

夜に帰宅し

あらためてLINEで義理姉から。

私の母が自力では歩けず

避難所滞在は耐えられなかったため

自己責任で自宅に戻ったと。

家の中はぐちゃぐちゃ

塀も崩れてしまったとのこと。

(今日のLINEでは

もう一回大きい余震があったら

家が倒壊すると思う、とのこと)

 

能登ではないので

全国区のニュースでは

私の地元のことはほとんど情報がない。

 

年末にこちらに遊びに来てくれていた友人が

みんな中学校の避難所に集まっていて

避難中の生徒や卒業生が

毛布やあたたかい飲み物を配ってくれていると

教えてくれた。

 

*****

 

今日仕事が休みで

やっと実家に電話ができた。

母はなんとか生きているのと

長男(孫)が帰省していて

助けに加わっているのを知った。

電話口で最初は弱弱しい感じだった母も

話しているうちに声に張りが出てきて

「気持ち強くして頑張るよ」と言ったので

ようやく安心できた。

 

弱った母一人なら

うちで引き取れるから、と伝えておいた。

 

私は何もできない。

お金はないし、遠くて手助けもできない。

できることは・・・ない。

 

少ない情報だけど

故郷の町はがたがたになっているよう。

昭和風情の美しい漁村の街並みがえぐられ

悲しさが増す。

 

北陸の家は雪の重さに耐えられるよう

屋根瓦がずっしり重い。

なので家自体が地震の揺れにはそんなに強くない。

また冬場はほとんど雨か雪。

テレビつけていても

余震の速報が出るたびに

これ以上はやめてほしいと祈るばかり。

 

そこに航空機の事故のニュースも。

あってはならない大事故、

立て続けの大きな事件にめまいがした。

 

でも、、、

 

災害地には全国から支援が向かっていること

避難地の内部でもお互いが助け合っていたり

日頃の備えが功を奏していたり

航空機事故では奇跡的に被害が抑えたりと

 

地獄の中にも人がもたらす光があることを

あらためて思い知らされた気がする。

 

だから・・・

非力な私は何やってもあかんと思うんじゃなくて

この地で何があっても

自分なりに小さな光となれるよう

ちゃんと生きていなきゃだめだと思い直している。

 

これが新年の抱負かな。

小さな光になれるよう

自他のために今を大切に生きる。

 

 

せこくしがない五五ババアのブログだけど

日々自分を省みる機会として

細々と続けていきたい。

 

今年も小さなことにでもブーブー文句言って

生活できることに感謝して

丁寧に生きていこう。


みなさま、かみさま、

よろしくお願いします。


↓↓↓

看護ルーからいただいた。

ありがとうございます。

もう何年使っているかな。

かわいい卓上カレンダーです。