人の心が社会を創る | ochiochiのブログ

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地球温暖化も仮想通貨も新型コロナもSDGsもウクライナロシアの問題も「善意なき資本」が方向づけている。

人の作る便利な道具は、人の心がある人が使う分には問題はない。
しかし、自分だけのことしか考えない「人としての心」のない人が使うと人の社会は狂いだす。

 

この言葉をもっと具体的に言えば、自動車がいい例だろう。

自動車は本当に便利なものだ。

しかしドライバーが常に安全を心掛けていればである。

もし誤った使い方をすれば、人をひき殺すことも出来る。凶器ともなり得るということです。

これは技術の持つ両刃の剣のようなものです。

いくら技術の粋を集めて心を込めて作っても、大きなものになればなるほど事故を起こせばそれだけの被害が出る。

それは何も人災だけに限らず、思いもよらない天災で起こり得ることなのだ。

 

さらに言えば、モノを作る人間も使う人のことを考えて作るだろう。いい加減なものを作っていたら、信用もなくなる。結果的にその会社の製品は売れなくなる。さらにさらに言えば、日本ほどアフターサービスに充実した国はあるまい。これこそが日本人の心なのだ。ただ儲かればいいというどこかの国のどこぞの企業とは違うのだ。

コンピューターは便利だ。
短時間で人間で出来ないことが処理出来たりする。
しかし、絶対に忘れてはいけないのは、人間がコンピューターを使うのであって、人間がコンピューターの僕になってはいけないということだ。

 

だから人を裁く裁判は絶対にコンピューターに判断させてはいけない。

AIが騒がれているが、騒ぐことは問題でもなんでもない。
しかしAIの扱いにも人の心がないとAIも人の社会を狂わせるものとなる。

AIがどんなに優秀でも食べ物を作ることは出来ない。
人は生物として食って寝る。
これをどうしようもないこと、不合理だといえるのか?

お金というものが存在する社会を生きる人間にとって、生まれて死ぬまでお金に悩まされる。
それにプラス人間関係が人生のすべてと言ってもよいだろう。

お金を多く積み上げたら、成功者となるようだ。
しかし間違ってはいけないのは、お金持ちが皆、人格者だとはいえないということだ。
努力して努力して頑張って頑張って稼いだお金なら尊敬する。


しかし、他人の財産をあの手この手で巻き上げて、お金持ちになった人間は尊敬には値しない。
そういう人は、人の心を踏みにじって、いわゆる成功者となったにすぎないからだ。

さて、巷ではデジタル化が叫ばれている。
人の労働を減らし、楽して管理しようとする。
それを別に悪く言うつもりはない。
デジタル化も人の心があれば、いいのだが、残念ながら、あるとは言い切れない。


合理化を進めることは悪いことではないが、必ず、それをすれば人がいらなくなる。

合理化を進めて、自らの居場所がなくなるという愚かなことを人間はやっている。。。


ちゃんと居場所を考えての合理化でなければ、合理化ではない。

お金とデジタル化が出たところで、お金もデジタル化しようとしている。
それも別に構わない。

お金にカタチが必要だとは思わないからだ。
ただし、再三言うように、そこにも人の心が必要なのだ。

ところが、詐欺を働く人間は後を絶たない。

むしろ増えている。
現代社会の経済の考え方は、いかに他人の財産を掠め取るか。しかも出来る限り楽をしてとおまけまでついている。これで詐欺が流行らないわけがない。

 

一生懸命他人のことを思いながら、仕事をする人間をバカにしているのだ。

お金を出せば何でも思いが叶うと信じているのでありましょう。

誠に愚か極まりないです。
そんな社会に成り下がっている。

 

つまり、家はお金で変えても、家族はお金では買えないということがわかってないんですね。


これが実はベーシックインカムの中に見え隠れしている。
お金でしか測れない社会は実に虚しい。
お金がなくても物々交換でも出来れば、社会は潤うのだ。

インフレだとか叫んだところで、それはお金で測った社会だからそうなる。

 

このお話が分からない人には、お金って何ですか?と質問したい。

話を戻そう。
お金がデジタルになると困ったことがまったく起こらないのか?

電気に依存するため、もし万が一電気が使えなくなったら、どうなるのか?
また、お金がデジタル化で管理されていると、銀行にとっては預金封鎖が簡単に出来る。さらに最寄りのところに当該の銀行がなければ、取り付け騒ぎすら空回りするし、こんな都合のよいことはない。

 

取り残されるのは、無垢な国民らであろう。

 

それはあたかも、例のワクチンを医学の知識の何もない人たちが勧め、多くの被害を生んだことに酷似している。

 

日本人は、論理的にどうしても貧しい民族である。しかし本家本元の仏教徒もビックリするような「天台本覚論」という考え方をする民族でもある。戒律という無駄なものをとっぱらう考え方を持っている。実は非常に合理性の考えのある民族といえる。

 

悪いのは集団になった時、そこで間違った考え方があっても立ち止まって考えることもせず、ただひたすらそれをやることに意義を感じてしまう民族でもあるのだ。

 

大東亜戦争で多く悲劇を経験し、もう戦争はしたくないと考える日本人はたくさんいる。

日本人に限らず、戦争の悲劇を常に人は嘆いているではないか。

 

なのに戦争がなくならないのは、誰かが仕掛けてそれに従ってしまう人が多いからだ。

 

また話が横道に逸れてしまいましたが、お金のデジタル化によって預金封鎖の話に戻しましょう。
こんなことあり得ないだろうと思うは、勝手。

しかしつい最近、中国では「民主活動家らの口座を無断で3000人以上の口座を凍結・閉鎖した」とニュースになった。

権力というのは暴走すれば、こんなことも簡単に出来てしまうのだ。

日本も名目こそ民主主義だが、いまや一党独裁の国に成り下がっているではないか。
国民の選挙によって選んだ人によって、国民自身が苦しめられてるという本末転倒が起きている。
この根本的原因は、国民の「あきらめ」。
これに尽きる。

「奴隷(slave)」という言葉がある。
奴隷とは、人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人のこと。

我々日本人の今の状態とこの言葉を比較してみよう。

マイナカード紐づけ問題を見てみれば、一体、どこに国民の名誉や権利や自由が認められているのか?
国民はまさに権力者たちの所有物並みの扱いではないか。

 

例のワクチンでは、人体実験されているのに、喜ぶ者までいる始末だ。論理性の欠如の際たる例として、後世に語り継がれることでありましょう。

権力者である自民党の人間たちは以下のように考えているのではないだろうか?

奴隷に考えさせる時間を与えちゃいけない。
働いて働いて、働かせて、考える時間なんて与えちゃいけない。
低賃金で金も与えるな!増税でさらに搾り取れ!
美味しいものなんて味で胡麻化して、もっともっと病気を蔓延させ、医者や製薬会社に貢がせろ!
どうせ国民は医療なんてちっともわからないんだから、適当な病気を蔓延させればいい。
円をもっと安くして、海外なんかへ行かせない。
円安は輸出大企業のメリット。
余暇なんてとんでもない。
少子化対策なんて口ではいいことを言いながら、男女の恋愛なんて軽視。お金で何でも解決すると刷り込まれている。恋愛はドラマだけにしておきなさいと言わんばかり。
スポーツで適当な愛国心を煽り、映画やドラマで洗脳し、ゲームなど娯楽をちょっと与えて、人生の大半の時間を無駄に過ごさせて、何も考えさせちゃいけない。
南海トラフ地震が来る来ると言って煽り、防災に備えるというが、実際、巨大地震が来たら何が出来るというのだろう???
奴隷には、何も必要ない。

まさにナチス自民党ではありませんか。
ここまでバカにされてもナチス自民党を応援する人がいるのが不思議だ。

いいですか!
本題はここから。
そんなクソみたいな野郎(自民党)に支配されているという認識があるなら、変えようとは思わないのか?

まずは、考え方が政治へのあきらめプラス上記のように何でもあるから便利と考えるのは、根本的に誤った考え方を生みやすい。
誰も救ってくれない社会に生きていたらと想定して考えてみることが大事だ。

人はモノを作り、お金によって円滑に社会生活という分業を営む、これが人間としての生き方の根本だろう。
だから労働は隣人愛となる。

しかし今は労働は生活のための資金を稼ぐだけの存在と成り下がっている。
そんな考えで仕事をしていたら、どんな社会が出来上がるのか?
その実験結果が現代である。

便利なことがあふれているのに、何と問題の多いことか。。。

 

社会は神様が創ったものではない。

向こう両隣にチラチラするただの人が作ったものだ。

夏目漱石の『草枕』の冒頭はまさに人間社会とは何ぞやといっている。

だから、人がその気になれば、変えることも出来る(作為の契機がある)。