悠楓(とおか)です

ご訪問有難うございます



ただ書き留めたブログです

読みづらいかもしれません。

そう感じたら、スルーでお願いします。





 前回の続き


9月は大切な人とお別れした月

1人目は母

2人目は、叔母

叔母について書き留める



9月に感じる、空が高く、秋晴れの明るさと

空気の爽やかさが肌に触れた時

身の置き場のない

どうしようも無い喪失感



身体はだるく、いつまでも眠りについてしまう


突然訪れた
大好きな人との永遠のサヨウナラを
思い出さないように、考えないように



ひたすら眠るだけ…



その人を偲ぶことが出来ない時間が続いた








………

叔母の居る自宅へと


ひどい雨の中、車を走らせ


所々大きく水が溜まった道路を走り


叔母が帰ってきている自宅に着いた


周辺には見慣れた親戚の車が


数台停めてある


中に入り、部屋に通される


ベッドの上に横たわる叔母の姿があった


苦しそうで、この間までの

穏やかな姿とは、全然違う



叔母の片方の手がバタバタと動いていて

上に上がっては、下に落ちる を繰り返し

その手を受け止めるしか出来ない

ただただ、受け止める


時間が過ぎてゆく…




離れたく無いが

また、朝くるよ。と声をかけて

自宅へと戻った


叔母との別れは数時間後だった

静寂の中で電話の音が鳴った









………

叔父から

癌だったと聞かされる

余命宣告も受けていたが

私には、心配するから話さない。と

叔母は決めていたことを知る

………


いつから叔母は自分の命のことを知りながら

どんな気持ちで交流してくれていたのか

何故、言ってくれなかったのだろうか

私は、叔母との会話の中で
何か叔母を傷つけるような言動を
してなかっただろうか…頭の中は混乱

………

再び自宅へと向かう

安らかな顔で眠っていた叔母を見た瞬間

声を出して泣いた

嗚咽する、そんな姿は

身内にも見せた事は無かった


………





離れかけた、縁を繋いでくれた叔母

また、こうなる事で

私は、身内の付き合いは、距離が出来るだろう

無理に望んで繋いだ縁では無い

そんなことをボンヤリと考えたりもした



小さな頃から、浮いていた私

受け入れられていないと

距離を取って生きてきたから

ひとりぼっちは

いつものこと

………



叔母とのお別れには

沢山の方が弔問に来てくださった


その中で、叔母の親友に初めてお会いした

叔母との思い出話を聞く

とっても、心が落ち着く

その方が、親友というのもうなずけた




叔母は、とても人を大切にしてきた事がわかる


そして、その方は

「あなたの事を知っているよ。」と言ってくださった

「いつも、私を心配していたんだよ。」と

話してくださった

また涙が止まらなくなった


隣にならなければ

話すことはなかったであろう




時々、思い出す、親友のその方を

お元気かしら?と

いつまでも、お元気でいてほしいな。と


そして見えない縁に感謝クローバー



………




「あなたを知っている。

あなたの事を心配していたんだよ。」


この会話、どこかでも、同じ事を言われた。と

記憶の片隅に思い出された


お寺に行った時に、記憶はよみがえり

はるか昔に

お寺の方から

同じ事を言われた

私の亡くなった祖父が

生前、よく話していたよ。と教えてくださった

そして弔問に訪れた

お知り合いの方にも

同じ事を言われた



それくらい、私を心配してくれてたんだね

一緒にいた頃は

わからなかった


………



いつだったか

別の叔父から

私が、母や祖父が亡くなり

どんどん離れて疎遠になってしまう事が

心配だったと言われた

たまにで良いから顔を見せてとも

普段寡黙な人で、話なんて

まともにした記憶がない人

そんなふうに考えていたことに

驚いた


………


叔父や叔母が、良くうちに来ていた

あれは、私と家族の様子を

見に来ていたようで

けど、私には疎ましかった


………


受け入れられていないと感じ

何も話さなくなった私

1人悩んで

苦しかった学生時代

大切なことは

身内の誰にも話さず


早くここから出ていきたいと

一人暮らしを始めた その日

清々した気持ちを、鮮明に今でも覚えている

………


こんな風になったのは何時から?

なんでこうなった?

時間と共に、きっかけが生まれ

向き合ってみようと思えた






立場が違えば、見え方も違い

心の在り方で、捉え方も変わる

その歳になって
大人の気持ちがわかる時があるのかも知れない


いつのまにか、ズレていった家族




そうか、苦しかったのは、私だけじゃなくて

相手も、どうしたら良いのかわからなかったんだ



自分が相手に持っている前提が変わった時

私が、相手から受け取り感じることも

私が発する言葉も

変化した




人間は万能じゃない

適度な距離感って、大切だと感じてる

家族だからと、全てが理解出来て

受け止められるわけではない

理想的な素敵な家族も、世の中には

存在しているけど

そうじゃない家族もいる





向き合っても良いと思える時がきたら


動いてみる

恐れはあるけど

良くも悪くも

区切りをつけられるのではないかと思ってる


【自分を大切にする】を前提にして

前を向いて生きるために




まだ向き合えないと思うなら

無理しない

そのままにしておくも良し




優しい人が苦しくなるんだと感じてる



そして全ては自己責任、自分次第…となると

あぁ苦しいショボーンって思うこともあるけど

やっぱり、自分次第なんだと思う

人に自分の期待や何かを預けると

結果が悪かった時に

責めたくなるから




見えてる世界が、自分を表している




………



強さと優しさが
穏やかさの中に内包されている
叔母の笑顔

有難う。あなたと出会えた事に感謝です。

卵焼きの味、忘れません。