最近、私は、
「これから自分の人生を、一体どうしていきたいんだろう」
と、自分に聞いています。
夢や理想を考えることも、もちろん大切。
でも、それと同じくらい、
私は何が嫌なのか。
本当は何をしたくないのか。
一つひとつ自分を知っていくことも、大切だと感じています。
そして、ふと思ったんです。
病気で苦しんでいた頃の私は、一体、理想の元気な自分の姿を思い描いていたのだろうか、と。
実際は、そんなこと一つもしていませんでした。
ただ、目の前の痛みと向き合う。
恐怖と向き合う。
絶望感や、惨めさや、悲しみと向き合う。
あと少ししか生きられないであろう、自分の人生を一生懸命労う。
動き過ぎていた自分を休ませる。
少しでもやりたい、小さなことを叶えてあげる。
人の心を満たそうとしていた気遣いを、自分を満たすために使ってあげる。
そう。
私は何一つ、理想の自分を思い描いていなかったんです。
でも、少しずつ元気になっていきました。
目の前の痛み、絶望感、恐怖、悲しみ、惨めさは、
人のことを考えたり、
どう思われるかを悩んだり、
未来を不安に思ったり、
自分を責めたり、
過去を後悔したりする暇を、
私に与えませんでした。
すさまじい痛みと恐怖の前では、ただ今ここで、本当の私と一緒にいるだけ。
本当の私と、手をつないでいる状態。
「ただ、今の自分と一緒にいたい」
「本当の自分で生きたい」
あの痛みは、そんな自分からのメッセージだったんじゃないかと、
最近の私は思うのです。
ただ痛みを感じる。
ただ恐怖を感じる。
ただ、今の自分を満たすことだけを考える。
「今まで自分をいじめて、人を満たすことばかり考えていて、ごめんね」
それは、私が私に懺悔する時間でした。
そして、
「こんなに自分に酷いことをしてきたのに、それでも生きてくれていて、ありがとう」
「命をつなぎとめて、たくさんの苦難にも耐えてくれて、ありがとう」
そうやって、自分を抱きしめる時間でもありました。
私は元気になってから、キラキラした情報を見て思っていました。
「理想の未来を描きましょう」
「夢が叶った自分を思い浮かべましょう」
もちろん、それで前向きになれる人もいると思います。
アファメーションも、
夢を描くことも、理想の自分を思い浮かべることも、間違いではありません。
でも私は、夢を描いて元気になったわけではありません。
キラキラした世界を妄想して、元気になったわけでもありません。
そもそも当時の私には、夢なんて描けなかった。
期待することさえ、怖かったのです。
根暗なまま。
怖がりなまま。
悲しんでいる自分も、
怒っている自分も、
「どうせ無理」と諦めている自分も、
追い出さず、一緒に生きていただけ。
夢を描くより先に、
今の自分や、これまで一生懸命生きてきた自分を労う。
抱きしめる。
「ずっと本当の自分を留守にさせて、ごめんね」
「それでも命をつないで、ここまで生きてくれて、ありがとう」
夢を描けない自分を変えようとするのではなく、その自分を置き去りにしない。
今の私には、それこそが大切な時間だと感じています。
夢を描けない人にも、ちゃんと希望はある。
それが、今こうやって元気に生きている私の生き方です。