このブログのタイトルでもある
茨城から宇宙とつながる美容室ってあるけど
宇宙とつながるって
どういう事なんだろうって
ずっと思ってた

わはは〜

自分で書いといて
よくわかってないと言う😂


でもやっと最近少しわかって来た


あ、宇宙って私の中にあって
この体の中にあるってことやんか〜


遠い空の彼方にある
外宇宙もそうだけど
目の前のこの体の内側にもあるわけで


サムシンググレートとか
大いなるものとか
よくわかんないけど
イノチというものに生かされて
この体があり
この私がいる


どれだけイノチを信頼して
自分の体と伴走して行けるかって事が
生きるって事でもあり
肉体を脱ぐまで生きるのが
地球人としての人生ならば
命の刻限まで
この体と仲良く過ごしたいって思う


体の声を聞きながら
内なる宇宙と
つながっていきたいなと思う

と言っても
まだうまく聞けないんだけどね🤣


でも聞こうとする姿勢は
常に持っていたいよね



五十肩の右肩が痛かったり
右の股関節が痛かったりすると
なんとなく憂鬱になって
肩や股関節を責めてる自分を発見した


いやいや、肩や股関節に
失礼だよなーって思った


痛みや歪みすらも
今の自分を支えて
バランスを保ってくれてるとも
言えるのにさ


体は常にその主にとって
最善の努力をしてくれてる
どの瞬間も



福岡伸一氏の言葉を借りれば
歪みや不具合、不調が
イノチにとっての
動的平衡なのだ


自然というロゴスのゆりかごの中で
エントロピーの増大に抗いながも
生き延びようとするイノチの働き




野口整体で有名な野口晴哉さんの
お孫さんにあたる野口コーキさんの
インタビュー記事

その中で
晴哉さんは
病とは治療するものではなく
「経過」するものだと
言ってる

治すべきものではなく
生命の働きを経て過ぎるもの


炎症を起こしたり
腫れたりという症状も
殺菌や患部を守る働きであって
生きていくために必要な反応であり
死に向かって生きていくのが
生命である以上
老いや、死、病さえも
敵視するものではなく
肯定されるもの







〜以下抜粋〜

「つまり野口晴哉は病や体の変調というものも、基本的には無意識に働く生命運動の延長線上にあるものだと捉えたんです。

そうした生命の働きを活性化していくことができれば、人は何かに頼らずとも生きていくことができる。」


「生命の働きを邪魔せず、それに身を任せて生きていくと言えばいいんでしょうか。

筋肉にしろ心肺機能にしろ体の機能は使えば育っていくのだから、積極的に自然な流れに任せてその機能を使っていけば体が育っていく、もっと言えば生命の働きが育っていくわけですよね。

だから、自分で自分を治すと言っても決して自分の意思で能動的にコントロールするとかそういうことではないんです。

どちらかと言えば生命に対して受動的になるということでもある。」


「命の働きに自ら身を委ねるためのひとつの方法で、活元運動においては自分の身体が無意識に動いていくことが重要なのであって、意思で身体を動かすことが重要なのではない。

意思による介入というのはその動きを誘発するところまでなんです。

つまり、重要なのは介入の仕方と目的であって、それが体の変調を取り除くための介入なのか、不老不死のための介入なのか、それとも生命の働きが活性化するように誘導、誘発するための介入なのか、と。」


「むしろ、うちではどんな物を食べても食あたりしないとか、皆勤賞をとる子供のように1年に1度も風邪を引かない体の方が鈍くて不健康だと言われてましたね。

季節の変わり目には衣替えのように風邪を引き、毒を飲んだら排泄できる体の方が、適応能力が高く、健康なんだ、と。

だから無病というのはむしろ怖いことなんですよ。」


「別に健康になるために自然食品を食べるとかではなくて、大切なのは美味しいと感じることなんです。

何をするにしても気持ち良いとか、快が伴うかどうかの方が大切で、そこを大切にせず、それこそ食べたくもないものを意思の力によって無理に食べたりしていると、自分の生が何を快とするのかが分からなくなってしまいますよね。

逆に意思ばかりが肥大して、生の充実とは離れたところで依存的に何かを求め過ぎたりするようになってしまうかもしれない。」


「要はどれだけ生命を信頼できるかなんだと思いますね。

その上で、必要以上の外注はしないということですね。」


〜ここまで〜


み、耳が…痛いwww


サプリもすぐ飽きるけど
それでいいんだな🤣

ある程度の介入はするけど
あとは身体に委ねる

サレンダー



ただね、晴哉さんが生きてる時代とは
環境も変わってしまったから
そこはちょっと配慮が必要かも


電磁波や添加物やらケミカルまみれで
デトックスが間に合わない時代に
生きてる私たちだから
それなりの介入は致し方なし




それでも生命は
コントロールするものではないし
できるものでもない


身体の変調をただ経過していくもの


なかなか難しいけど
どれだけ自分のイノチを信頼できるか、だね


自分のイノチを感じて
身体の要求に耳を澄ます


身体はなんでも知っている

身体の声を聞いて
内なる宇宙とつながっていこう‼️







必要最低限の介入w↓