それでは名著『逝きし世の面影』からの

続きのシェア逝ってみよう~






どうやら江戸庶民は定職にもつかず

ちょっと働いては享楽に興じ

呑気に気楽に生きていたようだ


外国人が「不精者」と

評したくらいなのだから

よっぽどだろう


ある程度の衣食住は保障され

お上は干渉せず

独立と自由を大いに享受していた庶民


華の大江戸文化が勃興したのも

そんな背景からなんだろう


また特筆すべきは

江戸庶民は喜怒哀楽もおおいに表現して

感情も開放させていたようだ


男子泣くに非ずなどという言葉はなく

大の男も大切な人の死や

悲しい場面では

オイオイと声を出して大泣きをした


そして楽しいことでは無邪気に笑い転げ

様々な感情を抑圧することなく

イノチを大いに味わい楽しんでいた


また庶民には差別や競争や羞恥心

罪悪感が

ほとんどなかったようだ


そこはまさにアダムとイブの楽園

ヘビにそそのかされて

リンゴを食べる前の世界が

繰り広げられていた


なぜならば公然たる裸体と

混浴の習慣が根付いていた



そこいらで行水をする人

暑ければ衣服をまとわず生活する人

外で目を引くことがあれば素っ裸で

風呂から飛び出してくる人

風呂屋から裸のまま家に帰る人

もちろん男も女も


生活に隠し事がないように

裸体をも隠さないおおらかで自然な情景


それは性的羞恥心を知らない

天真爛漫さであり

肉体という人間の自然さに

何ら罪を見出していなかった日本人の姿


彼らの性意識は抑圧を知らず

開放されていた


それはキリスト教との

決定的な違いでもあった


また春画や春本のはばかりない横行

性器の形をした駄菓子を売る店

それだけでなく卑猥な絵画、彫刻、玩具は

どの店にも堂々と飾られ

父は娘に

母は息子に

兄は妹に買っていく

ドッカーーーン( ̄□ ̄;)


性器信仰についても盛んで

性についてはまったく陰のない

肯定意識が浸透していた


春画をペリー艦隊の水兵に与えたり

ボートに投げ込んだり

水兵を手招きし卑猥な仕草でからかったり

江戸時代の人々は

性を笑いの対象ととらえていたらしい


それは人間性についての

リアリズムに基づく

ある種の寛容であり

人間の欲望を一種の自然の一部として

受け入れるリアリズムだったという


江戸時代の日本人には

性を精神的な憧れや愛に昇華させる志向が

まったくといっていいほど欠落していた


日本人は愛によっては

結婚しないというのは

欧米人の間では有名で

愛情が結婚の動機になることはなかった


キリスト教によるところの

「言葉の高貴な意味における愛」は

存在しなかった


当時の日本人にとって

男女は相互に惚れ合うもので

それは性的結合であり

同時に家庭的義務を生じさせた


一方で

「言葉の高貴な意味における愛」などという

いつまで永続可能かわからないような観念に

その保証を求めることはしなかった


異性間の情愛は

人情に基づく妥協と許し合いで

その情愛を保証するものが

性生活だった


だから結婚も性も

彼らにとっては

自然な人情に基づく

気楽で気易いものだった


夜這いの慣行を持つ農村部では

結婚前の娘は

性的な自由を享受していた


ちなみに江戸時代における

離婚率の高さは有名で

三行半という言葉は

女性のために用意されたものだった


離婚歴は当時の女性にとって

なんら再婚の障害にはならなかったし

家や旦那がいやなら

いつでも出ていく権利が

女性に認められていた


またこの本には書かれていないが

「姦通罪」などという

妻の不倫を取り締まる法もあったが

表向きは禁止されていたものの

実際には抜け穴があって

内々に治められていた


徳川時代の女性は

現実は意外にも自由奔放で

地位も確立されていて

男性に対しても驚くほど

平等かつ自主的だった



江戸時代における性は

男女の和合を保証するよきもの

朗らかなものであり

従って恥じるに及ばないもの


男女の営みはこの世で

1番の楽しみと同時に

おおらかな笑いを誘うもの


当時の日本人にとっての性意識は

ことさら意識的である必要のないほど

あっけらかんと明るく

のどかな解放感で満ち溢れていた


それくらいだから

遊女や売春を幕府が保護して

社会もまたそれを恥と

思っていなかったのも納得できる


幕府は遊郭に対して保護と監督を行い

身売りされる当人や家族も

嬉々として献身し

身分の高い人が客をもてなす

社交の場でもあった


売春の淫靡さや陰惨さはどこにもなく

祭りのような

あっけらかんとした明るさが漂い

社会の中で肯定的な位置を与えられていた


面白いことに伊勢神宮の

外宮と内宮を結ぶ道沿いには

女郎屋が軒を連ねていた


伊勢神宮だけでなく

巡礼地の神社がほとんど常に

女郎屋に囲まれていた

それは精進落としのためだった


買春、売春は決して

後ろめたく薄汚いものではなく

まさにこの国では宗教とも

深い関連を持っていた


性は生命のよみがえりと

豊饒の儀式だったのだ


礼儀正しく謙虚で

つつましい日本人の性質が

性においては天真爛漫

豊かな野性に満ちていたその矛盾に

多くの外国人は驚きを隠せなかったが

同時にそこから社会の

親和性、調和性も感じとっていた


江戸時代は

聖と俗

善と悪

清と濁

2極を併せ持った悪をも

抱き参らせてしまうような

懐の深い社会だったんだね



さて次回は「子供の楽園」という章から

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