4年生から日能研に行きだして、日々の家での勉強は嫁に任せていました
ちいさい頃、文字なども上手に教えていて覚えも速かったので受験準備の8つの大事なことのセオリー通り
母親に任せていたのです
4年生も終盤に近づいた時、うちのアドバイザーが『かずきん、成績どうなってるの?』って聞くので
言われてみれば、ちゃんとしてるやろという思い込みから、成績なども僕は管理してなかったので
家に帰った時に、嫁がちょうど実力テストを見ていたので
『ちょっと貸して』と取り上げると
『返してよ!わたしが今解いてるんやから!わたしの方が和樹より成績ええねん』って
もうね、楽しくクイズしてます〜!!って・・・・。
聞いたとき耳を疑いましたわ
大人ですから4年生くらいの問題って解けるんですよね
『おまえの、クイズのために毎月4万も5万も払てんのと違うぞ!』って怒り心頭に達しました
こんな調子ですから、日々の勉強もしてなかったと思います
そこから僕が子どもの勉強を見ることにしました
ここから、『母親の狂気』、いや、『母親の呑気』が『父親の狂気』に変わります
母親がその役目を出来ないのだから仕方ないですね
直ぐにその実力テストを仕事場に持ち帰り、もう一人のスタッフと3人でこいつの受験に向けた
『チーム・ミウラ』が結成されます
・5年生から教室を塚口から西宮本校に変えました
・勉強を僕が見るために、生活スタイルを変えます
・具体的には、学校から帰ってきたらうちの治療所に来させて、塾までの間勉強をします
・塾から帰ってきたら、ここでご飯を食べてそれからまた勉強をします。復習です。
・よる遅くまでしますから、そのままここで寝て朝起きて自宅に帰り、お風呂に入って学校に行くという
ルーティーンになります
※もうね、完全に合宿状態です
これを受験まで行いました
・ベッドをひとつ潰して勉強をさせていましたので、その横には患者さんが治療を受けているという状態で
隠れてゲームをしたりしていたので、よく怒鳴っていました。
時には、シバいていたので、今でも『よく怒られてましたね〜』って患者さんに言われます
どっちかいうと、調教に近い状態でやらせていたかもしれません
・勉強は、僕が国語や社会、物理以外の理科、アドバイザー役のスタッフが算数担当、もう一人のスタッフが漢字と食事、その他メンタル担当
・こんな風に役割を決めてやってくれました
・やはり僕一人では、極、極、普通の親ですから中々難しかったので、本当に助かりました
・こいつの合格はみんなの協力の賜物です
・嫁は、何やってたかな・・・。塾でお弁当がいる時にお弁当担当かな・・・。
なんせ、4年生が塾に行くだけで何もしてなかったので、5年生で取り返さないといけないので、本当に大変でした
5年生で、ある程度志望校の偏差値まで上げないと行けません
まさに『父親の狂気』状態です
それに本人の自覚が足りません
子どもの行っていた小学校では、受験する子はクラスに1人いるかいないかです
自覚が足りないので、みんなが遊んでいる、その中で簡単に誘惑に負けてしまいます
ある時なんか、塾に行く日なのに来ません
家に電話すると、友だちの家に行って帰ってこーへんって・・・。
なんで、ちゃんと管理せーへんねん!とせんでもええ夫婦喧嘩もするようになる
それで家を聞いて迎えに行って
ピンポンを鳴らしたら、本人もそこで気がついたのか、顔色を変えて出てきた
『おまえ、何しとんねん!』とビンタでシバいて、お友だちの親御さんに挨拶をして連れて帰りました
しかしね
僕は、成績が悪くて怒鳴ったり、しばいたことはありません。
これだけたくさんの、人の協力のもと多額のお金もかけて受験というものをさせてもらってるのですから
本人にそれだけの自覚がないんなら、やめるべきだと思います
『何度、もう、やめてまえ!!』って怒鳴ったかわかりません
『どないすんねん!もう辞めるか?辞めたら怒られることもないし、朝から晩まで好きなだけゲームもできるぞ』『もう、疲れたし、お金もかかるから辞めてくれ』っていうても、
『いや、受験します』と口だけは、偉そうなことを言うんです
6年生の頃、おんなじ事で怒ってると周りのスタッフから、『そんなに言うて、ほんまにやめる言うたら、どうするんですか!』って言われたけど、
『受験なんて、本人がしたくないと言うものを無理矢理させるものでもないし、
みんなにも迷惑かけて、お金をかけて時間も潰して、近くの中学校に行ったらええねん』って
言うてました。
その背景には、心のどっかで『受験は辞めないやろうなという何となくの確信』みたいなものがあって
また、ほんまにやめるならそれはそれで良しと言う、『親の覚悟』もありました
つけ加えるなら『親の疲労』と・・・。
受験だけが人生ではないですからね。いや、ほんと。
もう、受験まで、本当にこんなことの繰り返し・・・。
これが、極、極、普通の子なのかと思いますけど・・・。
製造ラインが僕ですから、それも致し方ないのかと思います
ある日、激おこしている僕をおかんが見て
『おまえ、なに偉そうにいうてんねん!かわいそうに!おまえなんか何にも勉強なんかしてへんかったくせに!』って
『おれのときとはちゃうねん!!』と
ここでも、せんでええ親子ゲンカにもなります
進学塾は、成績によってクラス編成が変わり、席順も成績順になるシビアな世界です
4年生の1年間塾に行くだけでほとんど勉強をしてなかったから、ほぼほぼ一番下のクラスからの出発やったように記憶しています
日能研の当時のクラス分けは、名前は覚えていませんが、『灘・甲陽・六甲そしてそれらの滑り止めに関学』を目指す選ばれし者だけが行ける、『ロイヤルクラス』と僕は呼んでいた賢いクラス(正式な名前は知らない)の下に
4組・3組・2組・1組さんと続いていたと記憶しています
うちの子は2組さんくらいやなかったでしょうか・・・。
そこを5年生の最終4組さんまで上がったと思います
次回へつづく〜。