こんにちは
ミウラはり灸漢方院です
『ロストケア』観て来ました。
今、日本が直面する重たいテーマです
親族による介護殺人
1年間に約45件 8日に1件の割合で起きているそうです
数年前に障害者19人を殺害した相模原障害者施設殺傷事件とは
全く意味を異にします
『これは、介護なんです。喪失の介護。ロストケアです』
『僕は、42人を救いました。』
『僕が殺らなければ、家族が殺っていたかも知れない。』
この映画の中で、
介護を知らない状態で自分の思い通りに生きていられる人を安全地帯にいる人
介護されたり、介護したりして立ち行かなくなってしまった人たちのことを
穴に落ちてしまった人と表現しています
この映画を観終わって思ったことが、松山ケンイチ扮する介護士・斯波宗典のやったことは
法的にも、常識的にも悪いことだとは理性では理解するが、
『心のどこかで理解できる』『あり得ること』という思いが払拭できないということ
森山直太郎さんの映画の挿入歌も「さもありなん」とのタイトルが付いている
僕自身は、介護らしい介護をすることもなく、周りの人に助けられて
父母を送ることができました
しかし、穴に落ちた人々はその穴の中で膝を付き動けなくなるとこの映画でも表現しています
斯波宗典の最初の殺人は、実の父親である
脳梗塞から認知症を発症して、斯波宗典も介護で仕事に行けなくなり、いよいよその日食べるものを買うお金も底を付いた
認知症がひどくなる父親にも時々まともなるときがある。
その時に、『おまえを覚えているうちに殺してくれ』と哀願され、犯行に及ぶ
それがバレなかったのをきっかけに、穴に落ちた人たちを救うためという信念の元犯行を重ねる
ほんとうに「さもありなん」
では、現実問題として、どうしたらこういう悲劇を起こさないように出来るのか
今回の映画でも
京都で起こった介護殺人でも、一番初めに福祉課に生活保護の申請に行ってるが無下に断られている
やはり、この生命のセーフティネットである生活保護がうまく機能していないことが、一番の問題
そして、介護者の孤独と介護される方の生活の質の向上(介護されるだけではなく趣味などを通して、自分が必要とされているという状態作り)
介護者の孤独問題は、周りが目を向けてほしい
助けて!って声を出せない人に声をかけてほしいと思います
そんなときは
市会議員も県会議員も何の役にも立たないですよ
周りで気づいた人の声かけが、その人を助けることになるかもしれないです
そこから、行政などのサービスに繋げてほしいと思います
介護される側の生活の質の向上という問題は、主に通所・入所などの施設で行ってくれると思うが、これもお金が無いと通えない
介護の世界って医療の世界よりビジネスライクであると感じることが多いです
それは、全ての事業所が法人であることにもよるかもしれない
映画の中で、斯波宗典が勤務する訪問介護事業所の職員が亡くなった利用者のお通夜に行くシーンがあるが、実際には入所施設ならまだしも、通所にしろ、まして訪問介護事業所からお通夜や葬儀に来ることなんて先ずない
以前、ふたり年寄りがいて、それぞれに訪問介護を受けている家で、おひとりが亡くなった時には
お悔やみに来たけど、2人目が亡くなった時には梨のつぶてだった。そんなもんですよ
うちは、ちがうよ!って事業所あったらごめんなさい
この映画を観てこころに残るシーンや、感じるところは観る側の置かれたそれぞれの状況によっても変わると思います
パッと一見して介護職かなと思われるグループもいたし、老夫婦もおられました
それぞれの立場でグッと胸に来るところも違うかと思います
僕は、大友検事が母親を殺害された被害者の娘に調書を取りに行った時に
遺族の無念の想い・怒りなどの感情を聞き取りたかったのに、娘から出た言葉は
『わたしは救われたんです。母親も…。』でした
これは、グッときましたね…。
この作品のテーマでしたし…。
また、反対に
法定の場面で
昼夜働いて認知症の父親の介護疲れで、穴に落ちて、今まさに崩壊寸前で動けなくなっている状況を観て、自分の信念に基づいて殺害した、救ったと信じている娘から、『人殺し!お父さんを返せ!』と叫ばれた時
松山さんはどのような気持ちで斯波宗典を演じたのか気になりました
書きだすと色々あるのですが、それぞれが実際に観て感じることが大事かなと思います
それぞれ置かれている立場が違うのですから…。
しかし、松山ケンイチさん、やっぱり上手ですね
榎本明さん扮する斯波宗典の父親は、脳梗塞で右の片麻痺を発症しているという設定なので
もう少し言語障害が出るんちゃうかということも氣になったけど、そこはやはり榎本さん上手でした
【ネタばれについて】
よく、映画の解説やブログなどでは、ネタばれ注意とか、ネタばれを書くなというのも見受けられますが
映画ほど、事前情報を入れて観た方がいいと思います
観る側もテーマを持って観た方が、深掘りして観れます
という僕は、めんどくさいので事前には、調べないのですが、観た後でこのように深掘りするタイプです
そう言えば、鬼滅の刃の無限列車を観た時、事前情報は
・鬼退治の映画らしい
・めっちゃ泣けるらしい
ということで行ったのですが、これいつ泣けるんやろう…。
えっ、もう後ちょっとしか時間ないで…。って結局泣きどころがわからず、終了。
でんでん、泣けんやん!って横を見たら1列皆さん号泣…。
この映画って事前に3話くらい観てないと、特に【惨殺】を観てると流れもわかるし
炭次郎の歌で一気に映画の物語の中に入って行けるんですね
だから、ネタばれ大いにあり、出来ればこの原作も読んでみたい、読んでから映画を観てもいいかもしれないですね
原作では、大友検事は男性の設定ですが、映画では長澤まさみさんが演じています
ここは、映画のように、女性の設定が良かったと思います
さて、親はみなさんの協力を頂き、穴に陥ることもなく
無事に送れることができました
次は、僕自身の番、送る側から送られる側
介護する側から、介護される側
出来ることなら、子どもには何の迷惑もかけず、自分のことが自分で出来るうちに
総括したいなって思います
みなさんもそう思っているけど、中々そうならないんですよね
そういう意味では、ガンなどの病死というのは、認知症に比べると気が楽かもしれないですね(あくまでも僕の考えですけど)
介護
まだまだ、親が若い世代の人には現実味のわかない問題ですが
一瞬で介護の世界になることもあります
僕自身は両親が同時に介護状態になったときに、ほんとにどうしていいか…。
何をどう進めて行ったいいのか
どのような介護をしたいのか
どのような介護が出来るのか
在宅なのか、入所なのか
今のうちからすこしづつ考えておく必要もありますね
今日も素晴らしきことが滝の如く現れますように!