今日も今日とてhiko的日常生活 20200822【スイカ収穫の時が来た・・・と思う】 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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映画、写真、B級グルメ、格闘技、そして少しばかり日常を語る雑記帳です。

どうも、hikoです。

 

アップ日を間違えて掲載したようだ・・・ガハハハハッ!

 

今日も今日とてhiko的日常生活 20200821【シャープ製マスク当選の巻】

 

タイトルは「0821」なのに19日に掲載でした!

 

記事の多くはパソコンで入力していますが投稿日時の入力がメンドい・・・。

 

間違えて直すことなんどもありますので、そこンところよろしく。

 

自宅でスイカを栽培していますが、全然大きくならない。

 

果物屋で売ってるような大きさのスイカになるものだと思ってたけど

 

品種が違うのね、子供用の大きなゴムボールぐらいです。

 

てなわけで、いよいよ収穫します!

 

僕は大きさより、甘さ、ジューシーさを求めますが、果たして!?

 

 

日テレの24時間テレビ、好きなんですよ。

 

全部はみませんが・・・。

 

ただ「感動させるぞ」「涙ながさせるぞ」的な押し売り演出はノーサンキュー。

 

そもそもマラソンは間寛平から始まり、走る意義もしっかりしていましたが

 

今はチャリティー目的などから離れて、芸能人が汗水流して走っているところを

 

映すのが目的のバラエティーになっているような気がします。

 

ちょっとウィキから「間寛平」を抜粋-。

 

・24時間テレビチャリティーマラソンの最初のランナーである。番組スタッフが吉本興業間寛平の深夜帯10分程度の出演オファーをしたところ、当時のマネージャーである比企啓之から「10分とは言わず24時間走らせましょうか?」と提案された事がきっかけで、この企画が始まった

 

 第18回(1995年)は、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災宝塚市の自宅を失った間寛平

被災地の復興を願うため、神戸市内から日本武道館までの約600kmを1週間かけて走破した。

 

2008年(平成20年) - 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する。この間、日本には一度も帰国しない予定から芸能活動を休止し、当時のレギュラー番組を全て降板。

 

・2011年 - 1月21日、2年1か月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインし親交のある芸人と一般視聴者に祝福された。その後最終終着地、なんばグランド花月(NGK)に午後8時40分ゴールインし、先輩や後輩芸人、家族に囲まれて祝福された。この様子は2時間生放送特番を組まれた。番組のしめ言葉は本人とNGK内にいた全員での「アメマ」であった。

 

2012年8月、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)(前年2011年3月11日発生)で被災の岩手県宮城県福島県の3県を激励のためマラソンで走破。今度は西日本で幅広い層に震災復興支援を訴えるため発起人となり、翌9月の24日、家族で参加できる形式でのマラソン大会「淀川寛平マラソン」の詳細を発表。

 

 

僕(hiko)の昔の記事でこういうの書いたことがあります。

 

以下実話。

 

僕(hiko)が有楽町チャンスセターでジャンボ宝くじを買いに行列していたときのこと。

 

先頭の方から幼稚園ぐらいの子供を一人連れた若い女性が募金箱をもって

 

並んだ人たちひとり一人に向かって頭を下げて募金をお願いして回っています。

 

(なんの募金か忘れましたが)

 

その健気さに感動して僕のところに来たら少し募金しよう、と考えていました。

 

僕の一人前に並んだお客さんが、やはり子供を連れた若い女性だったのです。

 

で募金を募るその女性が、僕の前の人のところにきたところで

 

女性「募金をお願いします・・・」

 

僕の前の女性「(バッグから財布を出し100円を募金箱に投入)」

 

すると・・・

 

女性「100円も有難いのですが、もっと入れていただけると助かります(にっこり)」

 

お前ッ、何者だ!?チャリティーじゃねええだろ!

 

僕の前の女性、反対側に顔を向けてプイッ。

 

次、僕のところにきて「募金をお願いします」

 

ついさっきまで100円募金しようと思ったけど、やめた!

 

この出来事を友人に話したら

 

「うん、そういうのあると思うから、オレ街中での募金はしないんだよ。

 

24時間テレビはやってるけど・・。」と言ってました。

 

みんなが皆、変な募金チャリティーではないでしょうが

 

上述にあるチャンスセンターでの募金活動は、それまでの僕の募金活動や

 

チャリティーの意識を完全に変えたのは間違いありません。

 

それとか某所駅前で何の募金呼びかけだったかな・・・。

 

若い男性たち(黄色いTシャツを着ていた記憶がある)が、これ以上ないくらい大きな声で・・・

 

「募金を、お願い、

しまあああああああすっ!

 

たまたま通りすがりの僕の真横で、いきなり怒鳴るような発声に

 

本当に鼓膜が痛かったもン。あの呼びかけじゃ逆に引いて誰も寄り付かないよ。

 

 

24時間テレビは応援してますよ。

 

ただし放送コンテンツとか「押し売り」はノーサンキューでお願いします。

 

 

 

 

 

映画 『マイ・ウェイ(My Way)』  クライド・レイ 1972.

歌「マイ・ウエイ」をモチーフに映画化されました。

 

内容は平凡だったけど、最後のマラソンシーンでかかるマイ・ウエイはとても感動的でした。

 

 

 

映画「マイ・ウエイ」クライマックス