黒服「えらく素直だな嬢ちゃん。悪い人は自分のことを
『悪い人です』なんて言ってくれねえぞ」
女「そうなの?」
黒服「自分のことを『悪い人です』なんていうやつは、大体いい人間だな」
女「じゃああなたはほんとは悪い人なの?」
黒服「どう見える?」
女「いい人に見える」
黒服「そうかそうか。なんかあんたと話してると、どうにも調子が狂うよ」
黒服「本題に入ろう。俺はな、あんたの記憶を消しにきたんだよ」
女「……どうして?」
黒服「どうしてだろうな。自分の胸に手をあてて考えてみな」
女「…………」
黒服「本当に胸に手を当てるやつは初めて見たな」
女「特に心当たりがない」
黒服「そうか、じゃあ俺が教えてやろう。あんた今日、工場に行ったろ」
女「工場?」
黒服「そう、工場だ。軍用通路抜けて、備品搬入口が
開放されてるのをいいことにそこから内部に入っただろう」
女「…………あー」
黒服「そこであんたが目にしたものはな、大体八割くらいが
『見ちゃいけないもの』だったんだよ」
女「なるほど」
黒服「状況は理解してもらえたかな」
女「なんとなく」
黒服「率直に聞くが、あんなところで何してた?」
女「なにって、散歩だよ」
黒服「散歩?」
女「そう、散歩。趣味なの」
黒服「散歩で軍用通路に入るか? 普通」
女「この先にはなにがあるのかなーって。わくわくした」
黒服「呑気なもんだな。あんた今、命があるだけかなり運がいいんだぞ」
女「そうなの?」
黒服「この辺に住む人間はな、関係者でもない限り、間違っても
工場周辺には近づかない。こんな時代だからな。
少しでもきな臭い場所に足を踏み入れれば即射殺される」
女「この国は法治国家だと思ってた」
黒服「法に従って射殺されるんだよ。有事緊急法や、軍の機密に関わる
十七規則くらいは知ってるだろう?」
女「一応。大学生だから」
黒服「その頭があるなら、そもそもあの辺には近づかないんだよ。まともな地元住人は」
女「あたし、ヤクザの情婦じゃないよ」
黒服「だろうな。知ってるよ。そんな報告は受けてない」
女「報告?」
黒服「俺たちはある程度、あんたの素性を調べてる」
女「プライバシー…………」
黒服「すまんがそういうのは諦めてくれ」
女「裸も見られたことだしね」
黒服「……あれは事故だ。わざとじゃない」
女「ほんとに? 国家権力はあたしの裸に興味はなし?」
黒服「あれ? 俺、自分の素性明かしたか?」
女「明かしてないけど、あなた、国営組織の人でしょ?
軍がどうとか言ってるし」
黒服「いやまあそうなんだけどさ。なんだ、えらく察しがいいじゃないか」
女「もう大学生だからね」
黒服「大学生ってすごいんだな」
女「お茶、もっと飲む? おまんじゅう食べる?」
黒服「あ、すまん。長居して悪いな」
女「いいの。お客さんなんてめったにないから、ちょっと楽しいの」
黒服「あんたの記憶を消しにきた人間でもか?」
女「あたしの記憶を消しに来た人間でも。はい、これ」
黒服「ありがとう。なんだ、この茶、やけに美味いな」
女「わかる? 葉っぱがいいやつなの」
黒服「ほお。なんて言う茶なんだ?」
女「虫糞茶」
黒服「……ちゅうふんちゃ?」
女「うん。ツバキの葉っぱを発酵させるとね、その匂いにつられて
化香蛾っていう蛾が集まってくるの。化香蛾はそこに卵を産む。
孵った幼虫はそのツバキの葉っぱを食べる。
その幼虫が排泄した糞を原料にしているのが、この虫糞茶」
黒服「……なんつーか、聞かないほうが幸せなことってあるもんだな」
女「そう?」
女「晩御飯もこれから作るの。食べていってよ」
黒服「ありがたい申し出だけどな。あんまり油売ってるわけにもな」
女「えー」
黒服「いや、これでも仕事中なんだよ」
女「ゆっくりお茶飲んでるくせに」
黒服「民間企業の営業と一緒だな。適度にサボらないとやってられん」
女「営業車のなかで昼寝したり?」
黒服「そういう感じだ。それでまあ、あんたの記憶を消すためにだな、
その営業車に乗って同行して欲しいんだが」
女「ここで消せないの? 記憶」
黒服「人間の記憶いじるってのはそうそう簡単じゃなくてな。
しかるべき設備を以って時間をかけなきゃならん」
女「でも、ほら良く聞く都市伝説のメンインブラックなんかは、
銃みたいなのでターゲットの頭をパーンって」
黒服「そりゃフィクションだからな。そんな風に簡単に
仕事できるようになりゃ、こっちとしても楽なのにな」
女「いろいろ大変なんだね」
黒服「ねぎらってくれてありがとよ」
女「記憶って、どの程度消えるの?」
黒服「どういう意味だ?」
女「工場の中で見たものの記憶だけ、都合よく消えてくれるものなの?」
黒服「ああ、いや、そういうわけじゃない。そんなに融通が利くもんじゃないんだ」
女「具体的にはどういう記憶が消えるの?」
黒服「どういう、っていうかな。48時間ぶんの記憶を遡行してまるごと消すんだ」
女「まるごと? まるごと消しちゃったら、なんか不自然な状態にならない?」
黒服「そりゃ、部分選択的に記憶消去できたらこっちとしても
都合がいいんだけどな。でも現代の科学はそこまで追いついちゃないんだ」
女「もっとがんばればいいのに」
黒服「これでも精一杯がんばってるんだよ。技術部の人間なんか、
宇宙人の使ってる得体もしれない兵器の再現に躍起だ」
女「科学は日々、日進月歩だなあ」
黒服「まあ俺に言わせりゃ、今うちでやってる研究なんか
オーバーテクノロジーもいいとこだけどな」
女「そうなの?」
黒服「あんなのどう控えめに見積もったって、
今の人類の手で制御できる代物じゃないからな」
女「なんか無責任だなあ」
黒服「そんなわけで、そろそろいいか? 一緒に来てもらっても」
女「うーん……いいですよって言ってあげたいんだけどね」
黒服「なんだ。意外だな。随分と物わかりの良さそうなやつに当たったから、
今日こそは残業なしだと思ったんだがな」
女「だって、48時間ぶん過去の記憶が消えるんでしょ?」
黒服「ああ。なにか都合が悪いのか?」
女「今日のお昼頃、課題が出たんだよね」
黒服「課題? 大学のか?」
女「うん。すっごく大事なやつ。未提出即留年決定なやつ」
黒服「シビアだな」
女「そう、シビアなの。あの教授、はげてるくせにシビアなの」
黒服「はげは関係ないだろうに。かわいそうに」
女「そんなわけで、ちょっと待ってほしいんだよね。記憶消すの」
黒服「課題くらいどっかにメモっておけよ」
女「だめ。そんなの不安。メモのことも忘れちゃうだろうし」
<続く>