65年前の8月に広島長崎に原爆を落とされて、敗戦を認めた。米国の占領が始まって、独自の道を歩むために基本法たる第9条を持つ日本国憲法が制定されたのが1947年。
 1950年朝鮮戦争が始まって警察予備隊が創設され、旧軍関係者が再び幹部に徴用されることになった。1952年武器を持たない保安官といわれた保安隊にはじめて公募による女子の応募者があり、もてはやされた。1954年防衛庁設置法案とともに自衛隊創設法案が成立。このとき参議院の多数を占めていた緑風会は修正動議として海外に出さざることという附帯決議をつけて成立させた。
 これが後年、イラク戦争時の陸上自衛隊派兵時の争点となったが、当時の小泉政権はあっさり無視した。イラク戦争の徹底検証を日本も行うべきである。

 この年は、ビキニ環礁で米国が水爆の爆発実験を行い、日本のマグロ漁船第五福竜丸が被爆し、船員たちの命も奪われた。この年に始まったのが原子力の平和利用キャンペーンである。大きな工場が要らない、都市の地下には発電所が作られるかもしれない、建設費が安いなどと嘘八百を並べたキャンペーンである。

 原子力発電所は金食い虫であり、放射性廃棄物という負の遺産を垂れ流す以外の何物でもない。世界原子力機関の予算の1/3は日本の原子力政策監視に使われている。

原子力の平和利用は可能か