黒南風が肌に纏わり付く

此の右手は泥に汚れていて

私が吐き出す息でさえ 苦痛を与えて来る


曇天を払い除ける程の子ども達の無邪気な笑顔も

電脳世界に横溢する無機質な文字列も

何一つ、そう、如何なるものであろうと

埋める事の出来ぬ空虚


己が正しき存在であると自惚れた愚かな者達が

浅薄な奇麗事を並べている

仮令其の正しさが、傷付いた程度の心を救えるのだとしても

引き裂かれた心臓を癒す事は出来ない


水を飲む、蛍が一匹

お前を焼いて仕舞いたい───



あなたの瞳に映る太陽に

私の瞳は冥闇を視る

何れ程近くても、こんなに遠い

崩れ行く指先のノスタルジー

嗚呼 彼の空に抱かれ乍ら

灰色の海に沈めたなら

幸も不幸も無く

呪いが解かれるのに



家と云う、張りぼての籠の中で私事を騙っても

所詮は社会に飼われた傀儡

なのに 何処に居て何をしていても

永久に孤独なのは何故なの


極夜に縛られた此の脚の

歩き疲れた感覚さえ

全てが無に帰して行く



…でも、若し、誰かが解ってくれるなら……


雲間に射し込む光

静寂に浮かび上がる掌

魂が 今



あなたの瞳に映る私が

私の瞳には幼子に視える

何れ程遠くても、こんなに近い

滅び行く末末のテリオロジー

嗚呼 彼の空に懐かれて

碧色の海に唆されたなら

幸や不幸が在っても

呪いが解かれるの



泥に汚れた心臓

正しき存在であると自惚れた右手

お前を焼いて

曇天を払い除ける

瞳に映る太陽

黒南風のノスタルジー


嗚呼

雨が止んで行く───

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以前本ブログにて一度言った事がありますが、俺は詩を書く事も趣味の1つなので、今回は六月病をテーマにした詩を書いてみました。
【黒南風】とか【蛍】って、俳句においてはこの時期の季語なんですよね。

最後、前半部分の詩を並べ替えて構築したのには明確な意味があります。
それは、【一面的に物事を見ただけで、全てを知ったつもりになってはいけない】と言う事です。
視点を変えると、ものの見え方って随分と変わるんです。
今自分が抱えている価値観、これまでの経験から醸成された思想と言うものを、人間はいつの間にか正しいものだと思い込み、世の事象を測る物差しにしてしまう。
その思考の偏重こそが、自らを鬱に追い込む要因の1つとなるんです。

とまあ、偉そうに語ってはいますが、自分に言い聞かせている部分もあります。
お互い肩の力を抜いて、生きて行けたら良いですね。