この本を読んだ経緯について・・・
無量育成塾にて、『論語』 を教材として昨年末から用いていますが、用いるきっかけとなった理由は、合同授業の指導時、全塾生の学年がそれぞれ違っていることと、もうひとつは考えさせる教材にもってこいだと思ったからです。
学年が違う塾生 (小2~中3) には、当然、学力の差がありますから、指導するときそれがネックになります。そうした問題において、『論語』 だと、低学年も高学年も、まず声を出して読むことにはまったく問題がありません。声を出して読むことにおいては、学年による実力の差は見受けられないのです。
問題は、肝心の理解度ですが、これは、低学年も高学年も(小中学生)よくわからないということでは、一致していますから、それであれば、「みんなで一緒にどういう意味か?考えてみよう!」ということで、すんなりと授業が進められます。
これは余談ですが、合同授業は、他に塾生ひとりひとりが、図書館から借りてきた多くの詩集の中から、どれかを選んで、一人ひとりが皆の前で朗読することになっています。詩を選ぶときに塾生の個性が見えてきますから、これはとても面白いです。
詩も立派な哲学ですから、詩人の気持ちと選んだ塾生の気持ちを紐解けば、結構、詩集も立派な教材と言えます。理系の私がこんな授業をすることになったのも、後で思うと不思議な気がします。
でも、この様な方式が、学力の格差を持った塾生を授業で指導するのにとてもやりやすいのです。
さて、『論語』 を教材に選んだのはよいのですが、今時の子供に論語を読ませるとなると、なんだか道徳教育の塾みたいに変に思われるかもしれません。聖人君子でもない私が、別に道徳教育をやろうとしているのではありません。よって誤解されたくないので、それなりな、『論語』 の知識と考えをしっかり持っておかないと・・・と思って一応、色々な方が解説された書物で目下勉強中です。
教師には、色々なタイプの方がおられて、すでに、身についた知識を切り売りして教える人もいれば、今、自分が勉強しているものを学生と一緒になって学ぶ教師もいます。私は、文系出身ではありませんので、塾生と共に学ぶことで一石二鳥を得ようとしています。
まあ、授業料のいらない 『無<料>育成塾』 だからといって、塾長が怠けているわけには参りませんので、実は、私も塾生と一緒になって勉学勤しんでいるのです。(笑)
( 福津市の秘書広報課の方は、無量育成塾 → 無<料>育成塾 の間違いでは?と、広報誌に載せてもらうときおっしゃっていましたが・・・<笑> )
そんなわけで、前回ブログ掲載した、ひろさちや氏が書かれた論語の本と同様に、今度は、丁度、図書館に和辻哲郎の本があったので読んでみた次第です。ちょっと経緯が長かったでしょうか?でも、経緯って大切なんですよね。
さて、和辻哲郎が1960年に亡くなられて、五十年が経とうとしています。そうした時を経て今の私がこの本を紐解いたわけですが、この本の <序> の文の冒頭に、「自分には孔子について書くだけの研究も素養もない。」と記されています。やはり、偉い人はとても謙虚なのですね。たいして偉くなくても威張っている私とは大違い!(笑)
この本は、大きく四つの章に分けてあります。その第一章のタイトルは、『人類の教師』 として、いきなり、釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの四人をあげて世界の四聖についてのインド、シナ、ギリシア、ユダヤ、といったそれぞれの文化との関わりから話が始まっている。
つまり、和辻哲郎は、四聖と文化の比較をすることで、孔子の独自性を見出し、孔子が関わっているとされる論語の歴史的位置付けをしているのです。こうした和辻の比較文明学によって、論語の世界的価値観が炙り出されてきます。
第二章の 『人類の教師の伝記』 では、「人類の教師が人類の教師として成るのは、一つの文化的運動である・・・」と、裸の教師と理想化された教師に至る弟子と教師の文化的建設を指摘しています。ここは、以前からそうだろうとは思っていましたが、実際に本に記載しているのを具体的に読むのは、この本が初めてでした。
歴史に対して、証拠なしの勝手な推測は邪道かもしれませんが、何せ、紀元前500年頃の話ですから、和辻哲郎の話を読んでいくと、やはり、孔子を聖人化していったのは、弟子、孫弟子、といった論語編纂に当たった人たちでしょう。そして次第に、とても偉い人として孔子は奉られてしまったようです。
ひょっとすると、孔子は、どこにでもいるご近所の賢いおじさんだったかもしれません。地方でも、ちょっと見渡せば、結構、身近に立派な方がおられます。ただ、そうした人を慕う人が周りにいるかどうかがポイントのようです。
賢くても、人は、ただそれだけではついてきません。やはり、人徳がないと誰も相手にしません。孔子は、そうしたところが抜きんでいたのでしょう。だから、弟子にぶつぶつ言ったことが後々弟子の手によって纏められ、また、そのすぐれた孫弟子によってその言質が付け加えたり、削られたりして、さらに精製された論語というものが形作られていったのでしょう。
「孔子曰く、賜よ、爾、予を以って多く学びて識れる者となすか。曰く、然り、非ざるか。孔子曰く、非ず、予一以て貫う。」という論語の一節は、衛霊公の初めから引用されたものだそうですが、学識豊かな弟子の子貢だからこその苦言だそうです。訳すると、「学識に囚われるな、学識が最後のものではない、最後の統一、唯一の実践の原理が重大なのである」と和辻は解釈している。
こうしたところを読めば、すでに、孔子は、陽明学的な発言をすでにしていることになる。もし、これが本当に孔子からの直の言葉であれば、やはり、ご近所の賢いおじさんどころではなく、かなり達観した考えの持ち主ということになります。
私も含めて口先ばかりの知識を持っていても致し方ないですね。何よりも、実践と信念を貫き通す人の方が尊いのですね。孔子は、そこを良く見抜いています。
釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの四人とも狭いエリア内で出現し、活躍した賢人だったのでしょうが、何故、こうも、この四人の考えは、遙かなる歴史的時間が過ぎ去った今日の世界の人々にまで広まってしまったのでしょうか?それは、やはり、いつの時代にも当てはまる人類共通の弱点を鋭く指摘したところにあるのではないでしょうか?
変な想像ですが、もう、これから先の世には、こうした賢人が出現しないような気がします。
何故って、科学技術がこんなに進歩してしまったお陰で人の行動を映像と音声で、意図も簡単にすべて保存させてしまうからです。たとえば、ビデオカメラなどで簡単に撮ることが出るでしょう。そうなると、ちょっと有名になって、すごい賢人だと思われても、その賢人の過去が映像でしっかり撮られて暴かれてしまう。こんな失敗があったなんて、あとからボロが出てくると、あれ?って感じになります。
弟子が、先生を神格化させようとするなら、すべての先生の過去の不具合データを消さないと無理です。まあ、今日では難しいでしょう。先生の個人データだけでは駄目です。その周辺データまで消さないと神格化はできません。情報化時代における神格化はとても難しいのです。
和辻は面白いことに、釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの四人の死に方について述べてあります。要約しますと、釈迦は弟子に囲まれての穏やかな死、イエスは、悲劇的にも磔されて殺される。ソクラテスの死は、法に則って自ら毒杯の刑に臨む。ところが、孔子についての記述がない。推測するに、ごく庶民的な死だったのでしょう。もともと、孔子が死について弟子に問われても、そんなことはわからない、生きているこの世のことすらまだわからないのにという話は、大変有名な話ですね。
いずれにしても、死に方というのは、ある意味で本人の人生が結末に凝縮されているのです。
現代の我々ですら、死に方によってある程度、その人の生前のあり方がよくわかります。池田晶子さんがお亡くなりになって、まだ、年数しか経たないのですが、池田さんの場合は、読者としては突然のことのようですが、池田さんの本には、晩年そうした予感めいたことを本ではっきり書いています。癌による病死だったのですが、本人としては、この病気を知るまでは、こんな若さで死なねばならない運命とは知らなかったでしょう。
本人は、ある使命感をもっていたと想像します。しかし、自身の病気を知ってからの胸のうちは、複雑なものだったと思いますが、対外的に淡々とした態度だったのは、死に対する覚悟が己の論理で出来ていたからでしょう。死を恐れることはないという考えに沿った自信だったと思います。
さて、最後の章、四章、『孔子の伝記および語録の特徴』 では、和辻は、「・・・いわゆる格言なるものは、長期にわたって無数の人々によって同様なことがなされた結果できあがったものである。かつて寺田虎彦が、一つの国土における家の建て方村落の位置の選び方などには、地震とか暴風とか湿気とかに関する非常に深い智慧が蔵されている。それは長期にわたってその国民が種々の経験により自らに得たものであって、個々の学者の理論的意識よりも優っている、という意味のことを言われた。格言というものは人生の事に関する右のごとき智慧なのである。それはこの結論に達した経路を語らない、またその考察の原理をも示さない。しかし、智慧たることを失わないのである。」と、述べておられます。
漢字を例にとって見ても、誰某の作としてあげることは出来ませんが、漢字は象形文字から歴史の中で多くの人々が精製しつつ、今日の現代漢字として立派に使われるように至っています。また、現代の中国では、日本で使う漢字とは、また違った簡略された漢字もあるようです。そうしてみますと、歴史と共に不特定多数の意思によって漢字も変化していくのが本来の姿です。
論語も年代を経るにつれて、これもまた諸説をとなえる文化人によって、解釈が変わっていくかもしれません。また、その人一人の解釈においても、その人の人生の中で歳を取るにつれて解釈が微妙に変化していくこともあるでしょう。
つまり、論語の解釈は人間の行為と共に歩んでいくものでしょう。行動と共に論語も飛躍して行くものなのかもしれません。だから、先程、孔子が子貢に説いた名言は、学問の本質を問い質した孔子の子貢に対する、自らの姿勢を示した暖かい説教だったと思います。
日本のような小国が、明治以降、世界を相手に立派に立ち振る舞うことが出来たのは、やはり、こうした論語のような学問を粗末にしなかったせいだった気がします。
私も含めて塾生に対しても、孔子が子貢に対して示した言葉を肝に銘じて日々をおくることに努めなければならないと感じています。
by 大藪光政