哲学書の読書から、 ちょっと気分を変えて文学作品でも読もうかなと思って、この間、図書館に立ち寄りました。読んでいない本は数多くあるのだが、いざ、チョイスすることになるとなかなか決まらない。それは、読み出してつまらないという結末を恐れているからでしょう。
歳をとるということは、こういう事なのかも知れない。負け惜しみで言い換えれば、 如何につまらない本が図書館には山積みになっているか!ということだろう。こういう場合は、信頼に値する作家の作品からチョイスするのが理想的です。人生の折り返し点を通過した者にとっては、時間の節約も大切だと思います。
この作品が出版されたのは、私が生まれた時期に当たります。そういうことに気付いたとき、不思議な気持ちになってしまいました。三島由紀夫が、もし、存命であれば84歳ぐらいであろうかと思いますと、益々、生命というものに対する神秘性を抱いてしまいました。
三島由紀夫と私とが年齢的な差異を覚えないという不思議な錯覚を抱くのは、彼が、45歳の若さでこの世から散っていったからでしょう。だから、この小説が発表された年に私が生まれたというのが、どうも奇妙に感じられるのです。
さて、この小説は、三島の作品の中でも最も纏まったものの一つであると、文芸評論家の吉田健一氏が昭和二十七年当時に解説しております。この小説を読めば、三島の美しい装飾的な文体を十分に味合うことができます。昨今の小説家は、こうした三島の濃厚な描写を見習うべきでしょう。
作品の内容としては、有閑階級の特殊な環境の下で、ゆるやかに進行する奇怪な家族関係から最後の急速転回の結末に至るある意味で猟奇的な事件の話である。主人公の悦子と亡くなった夫の父である舅との再婚生活から、その家に雇われている三郎と女中の美代との歪な三角関係がもたらした 『異常な愛』 の描写を見事に三島は描き切っている。
これを読み終えたとき、この小説は大人への童話だと強く感じた。本来、子供の童話というものは、大人が創ったものであるから、意外にも秘められた悍ましさがある。この小説は、さも、一般的な日々の生活であるかのように情景を偽装しつつ、非日常の空間を言葉巧みに設営し、愛するという行為の仕組みを、一般的、道徳的、日常的な捉え方しか持ちえていない大人を騙すように三島の饒舌な論理に引き釣り込まれていく恐ろしいまでの美しさがある。
三島は、たった二十五歳の若さで、こうした抽象的な形象で塗り込まれた異相の愛を作品に反映させることに成功させたのは驚きに値します。もともと、早熟な作家というレッテルを貼られていましたが、読んでいてとてもそんな青年が描いた小説とは思えません。まさに超人でしょう。
遅すぎるくらいのクライマックスで、悦子が三郎に鍬で殺害するシーンを読み終えたとき、ふと、雌のカマキリが交尾をしょうと近づいた雄のカマキリを食べる話、或いは交尾後に食べる習性の話が頭にふと浮かんできました。
三郎の情念に火を付けて追われた悦子が、三郎に手を下し切れずに慄えて突っ立っていた弥吉の弱々しい逡巡によって裏切られたかのように失望し、鍬を弥吉から取り上げた悦子は己の手で三郎を絶命させたのですが、こうした心象描写をあらためて知ったとき、畢竟、作家としての三島は、その美意識を晩年の自決まで引きずってしまったのだなとあらためて感じました。
あの自決した三島事件を振り返ってみると、自衛隊隊員を無垢な三郎と置き換えられるし、悦子は、当然、三島ということになります。すると、弥吉は?当時の与党か自衛隊幹部になりますか?しかし、三島は、自衛隊の隊員に情念の火を付けようとしたが、残念ながら、誰一人として火はつかなかった。
だが、それは想定内であったから、三島は、あの檄文の最後は、「・・・われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」 と、書かれている。
作品の場合は、純真な三郎が悦子の誘導に乗って行動を起こしたが、逆に、弥吉は慄えて立ち尽くすだけであった、一寸待つものの、すぐに見限ってみずからが行動に出た。対比してみると一見、双方は違うようだが、こうした三島の美的論理の展開における入れ替えこそあっても本質的差異はないと感じられる。
晩年の三島事件では、上記の通り待つだけ待ったが、もう待てぬといって孤立無援覚悟で自刃に望んだシーンは、どちらかというと、三島が己に対してもう待てぬと言っているように感じられる。
あの事件から、四十年も経とうとしていますが、歴史的にはまだ、わずかな時間です。日本の政治経済や、国家の姿がこのまま同じ状態で続くわけないし、いつかは変貌し、脱皮しないとも言えないでしょう。ひょっとすると三島が期待するような日本国家が近未来において絶対出現しないと、誰が言えましょう。三島にとっては、その日まで待てないというのは、やはり、美意識と現実との共有からきているのかもしれない。
先日、朝日新聞にノーベル賞財団側から過去の文学賞候補作家の公開があり、谷崎潤一郎が推挙されていたと聞きます。推薦人として、三島の名前が挙がっていたそうです。三島は川端康成も推薦しており、それがきっかけで川端康成はノーベル賞受賞が出来た訳ですが、三島は先輩作家に対してはとても律儀さを持っているのが伺えます。
本当は、三島が自薦すれば貰えるに値する仕事をしてきているのにと思ってしまいます。谷崎が賞を取れなかったのは、若い頃に、細雪を読みかけたことがありますが、こうした類の作品は世界文学の中では、不利なものがあります。三島文学も同じで、それは、言語の世界が違うからでしょう。日本語のように微細な表現を可能にする言語で出来た言葉をアルファベット文字で翻訳することは不可能であることは、どなたでも了解されているでしょう。
ちょうど、カラー映像をモノクロに変換した時、そうした色彩が消去されて明暗だけの世界になってしまうのと同じことでしょう。細やかで色鮮やかな美しい描写の文体をもった小説が翻訳で消えうせるのですから、その跡に残ったのは、単なるストリーだけとなります。だから、文学に賞などを設けること自体が間違っているのです。
それは、絵画で賞を設けることの無意味さと同じで、芸術に賞は不要な存在でしょう。作家にとっての最大の喜びは、作品を通して連帯的認識を持てた鑑賞者の存在だと思いますが、どうでしょう。
by 大藪光政