[ ひまわりと蜜蜂 ]
竹内整一氏を知ったのは、先日書いた西村道一氏の本からだった。両氏は年齢が同じで、且つ、大学も専攻も同じだったようですから、共に大学の同級生ということになる。ただ、西村氏が早くも他界されていたので、西村氏の業績を竹内氏が中心となって、ひとつの本に纏め上げたのが、「日本人の 『知』 」である。そういう経緯みたいですね。
竹内氏の本と同時に、図書館から借りてきた本の中に、茂木健一郎氏の「思考の補助線」というのがあった。これをざっと読んでみると、何だか色々なPCのスペックを眺めるような気分になった。茂木氏は、テレビでおなじみの若き気鋭の脳科学者として活躍されている。しかし、色々な 『知』 を散りばめたスペックを読んでも、色々知っているなあと言った程度であまり読んで良かったという気分にはならない。
いろんな『知』 が掲載されているカタログのような、スペックのようなものを手に入れても、眺めるだけで終わってしまう。時間がもったいない。あと、他に、川上弘美さんという芥川賞をとった作家が書いた、「あるようなないような」という本を・・・これもざっと読んでみた。まあ、繊細な感覚で書かれた本である。なかなか、気の利いた文章である。しかし、これも、読んでいくうちに才女のブログだなと、了解して本を閉じた。
もう一冊は、村上春樹と河合隼雄の対談本だ。読んでみると、どうもつまらなくて、流し読みして終わってしまった。最近、村上春樹さんの本は売れ行きが好評とのことなのだが、まだ彼の著書は一冊も読んでいない。誰も相手にしなくなったら、読んで見ようと思っている。
とどめは、河合隼雄氏の「 『人生学』 ことはじめ」を、手にしてみた。しかし、これも、当たり前のことばかり書いてあり、つまらないと思った。河合隼雄氏は、心理学で有名な方で、かなり世間の評判が良い方なのに・・・読んでみると、どうしてか?つまらない。
だが、河合隼雄氏が本気で時間を費やした他の多くの著書はそんなことは無いとは思うが、読んだことがないのでわからない・・・さて、どうでしょう。あとで気が付いてみると、なんで、こんな本ばかり一緒に借りてきたのだろう?と思ってしまった。
それに比べて、竹内氏の本には、期待を込めて読み出した。読む前から、なんとなくそんな予感がするのだ。それもこれも、氏の人格に感心したからだ。それは、西村道一氏の論文を整理して、一冊の本にされた仕事ぶりを感じ取ったからである。また、おや?っと思ったこともある。
世の中、意外と浅ましい人間がこうした学術論文の世界にも多い。他人が書いた論文をそのまま自分の文章として織り込んでしまって、さも自分が考えたかのように発表する者や、他のものが書いた情報を掻き集めて適当に編集し、それを自分の言葉に葺き替えて一冊の本にして、すまし顔をした著者もいる。
そのような浅ましい人間は、わずかだがどこの世界にもいる。前回、「日本人の 『知』 」の本で、その巻末を見ると、後記は、当然、竹内氏が編纂されたのであるから、当然、その感想文は氏の文章である。だから、関わった本人が自身の紹介を加えようと思えばごく普通に出来たはずなのに、西村氏の経歴だけを掲示して、竹内氏個人については、一切触れられていない。編集した本人の経歴を紹介として記載しても別に厚かましくもないのだが、それをなさっていない。友を前面に出して大切にされている。そんな謙虚な人柄には好感が持てる。
第一章の「おのずから」と「みずから」 ― 日本的「自然」と自己・・・を、読み出すと、竹内氏の興味津々な啓示による強い重力で引っ張られていった。それは、言葉の素粒子を解析するような面白さでもあった。
西田幾多郎の引用文で、竹内氏が罫線を引いている部分に、次のようなものがある。「己を空うして物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾とか云うことが、我々日本人の強い憧憬の境地である」 これを読むと、どうして日本人は、無心とか自然法爾などにあこがれるのだろうかと思ってしまう。
これだと、日本人が唯物的ではなく、唯心的な存在であると言うことになる。日本人は、心というものを大切にする国民性を持っているから、それを限りなく求め行き着いたところが、無心とか自然法爾であろう。
しかし、今の国民の多くは、生活でエンジョイすることを重視しており、その為かとてもリアルである。だから平然と、物と金を求める唯物的な行動をとる。しかし、人によっては、心のどこかでそれをセーブしている。セーブさせているのは、道徳心というより、良心であろう。( 良心については、前回書いている )
『おのずから』 と 『みずから』 の言葉の運用は、『おのずから』 が、『自然と・・・』 つまり、自分以外の力で物事が動き出すことであり、『みずから』 は、自分の力で動かすという使い分けで、歴然としているのだが、実際の運用時には、おかしな使い方もされる。
親戚や知人への招待状などで、たとえば 「私たち結婚します」と、便りを出すのが普通文だが、中には、「・・・結婚することになりました」 といった、へりくだった物言いは、確かに、一見他人事のように、又は、「・・・自然とそうなりました」 と、言わんばかりな発言です。誰にへりくだったかというえば、『神仏』 でしょう。自分たちは、『生かされている』 といった心持でしょう。
一般的に、結婚するに至るということは、二人の意志がまとまったということである。それは、とりもなおさず二人の積極的肯定の意志があったからで、それは、『みずから』 である。「いえ、私は、彼の求めに応じただけです」と、婚約者の彼女が言ってみたところで、求める相手が誰でも良いということはありえないことで、必ずチョイスしたはずである。選択するということは、当然、『みずから』 である。
『みずから』 の発言とするところを、『おのずから』 としての発言に切り替えるのは、やはり、縁起事においては、そうした二人の幸ある人生が天命により、自然と約束されていたとするのが幸せのキーワードだからでしょう。『おのずから』 約束されて結ばれたものほど強いものは無い。それは、自然の摂理に従っているからである。
人は、誰しも幸せになりたい。その為には、己が行った行為、すなわち、 『みずから』 を 『おのずから』 に変換することで、自然を味方に出来る。 『自然=神仏 』 という考えを抱く日本人であれば、『おのずから』 そうした作用が働くものだと思う。( 笑 )
竹内氏が引用されている西田幾多郎の引用文を、又聞きとして、ここでまた引用させて頂く。
「親鸞の自然法爾と云う如きことは、西洋思想に於いて考えられる自然といふことではない。それは衝動のまゝに勝手に振舞ふと云ふことではない。それは所謂自然主義ではない。それには事に当たって己を尽くすと云ふことが含まれてゐなければならない。そこには無限の努力が包まれてゐなければならない。併し自己の努力そのものが自己のものではないと知ることである。自ずから然らしめるものがあると云ふことである。・・・外から自己を動かすのではなく内から動かすものでもなく自己を包むものでなければならない。」 ( 『日本文化の問題』 より )
と、こんな風に西田幾多郎が述べていますが、これは、自然主義文学者に対する苦言なのかな?と、思っても見ない。最後のセリフが禅問答のようだ。
『外から自己を動かすのではなく内から動かすものでもなく自己を包むものでなければならない』 これが、本来の 『おのずから』 というヤツの正体なのだろうか。
そうであれば、己に生じた一切は、他人の所為でもなく、己の所為でもない、天命によって己に与えられた包まれたものである。だから、ひとりで喜ぶこともなく、ひとりでに悲観することもない。そうした見地に立てば、心が救われるということになるみたいだが、無限の努力なくしては救われないということが前提であるみたいだ。しかし、本当に天はその努力を包むように救ってあげようということなのか?いや、救うのでなく、包むだけであろう。救われる救われないは、単なる己の気持ちであろう。
世の中そんなに甘くは無く、無限の努力をしたところで、救われるはずが無い。何故なら、『無限の努力』 も、自己のものではない?からだ。だから、包まれるだけだろう。 『救われる』 という意味をどうとるか?それは包まれているだけだと悟って安堵する心持が 『救われる』 ということであれば、それはそうであろう。自己の無限の努力を 『みずから』 の行為として、意識している以上、「俺はこんなに努力しているのに、何故だ!」と、苦悩すれば、それは、いつまで経っても救われない。自己の無限の努力を、是も非も無い心境で淡々と包まれていく様を感じ取る境地が悟りなのかもしれない。そんな境地になれば、きっと、心も安らぐであろう。
『みずから』 の行為は、必ず、『おのずから』 へと変換されるところが重要である。一例を取ると、「天に唾をすると・・・それは、己に降りかかる」 ということわざなども、そうであろう。だから、『みずから』 は、『おのずから』 に包括されるのだ。そうであれば、『みずから』 の行為をすべて、『おのずから』 という風にすべてを解釈していくと実に、面白い。
「お前は、何故、こんな失敗をしたのだ!」と、上司から言われても、「おのずからそうなりました。」と、答えれば気が楽になる。「そんなことを云ったって、やったのはお前だろう!」と、上司が切れても、「やったのは、私です。そして、出来る限りの努力も致しました。けれども、おのずから、そうした結果になりました。」と、返答すれば、上司は何と言うだろう?きっと、「わしは、結果よりも、どうしてこんな失敗をしてしまったのだと聞いているのだ!」と、益々切れるに違いない。まあ、そんなときの名回答は、「すみません。私の不徳と致すところです。」と、答えるしかない。いちいち、理由を論えると倍の反論と質問が返ってくる。
話が、かなり脱線してしまったが、当分、 『おのずから』 の精神で物事を考えていけば、結構、生きていく上で気が楽になる。だから、この 『おのずから』 の活用を日々の生活において実践してみよう。前回の話における、死ぬ覚悟よりも、『平気で生きる』 ことの難しさに対するヒントになるのかもしれない。
日本思想の基層の中に、この第二章と第三章において、『無常感』 が取り上げられている。その中で、注目したことには、「謡曲および中世文芸一般の 『仏教哲理』 」 というのがある。これは、世阿弥弥作とされる「江口」を中心に取り上げて説明されている。(注:『無常感』は、『無常観』ではなく、本書に準じる)
そこでの竹内氏の言い分として、「しかし、かといってそれは、そのまま 『世は執着においてこそ迷いあれ、執着なければ何の煩いも無し』 という 『仏教哲理』 にすんなり収束される質のものではない。それは、この世は夢、無常であると認めながら、なおそこにやみがたく溢れ出る人生のひとつひとつの思い ( 「『迷い』 『煩い』 )を、これまた如何ともしがたいものとして内包するものであろう。」と、言われている。
どうも、日本人の心情として、生きていく上において 『無常感』 を訴えつつ、逆に 『現世の捨てきれない未練』 を覗かせているところがあるのは同感である。これは、ある意味で、『みずから』 から 『おのずから』 へとトランスファーするときに起こる摩擦心情と同値かもしれない。
第四章「おのずから」と「古」-「古学」に拠る人倫の形而上学という難しそうなタイトルの章では、柄谷行人の言葉を引用している。それは次のような文である。
「朱子学にせよ、過去の理論にせよ、何一つ確かなものは無い。私は、それを私自身のなかに探求してみるほかない、と。だが、私自身の内部は、すでに慣習としての言葉に浸透されてしまっているではないか。内省的でありながら、しかもこの内省に対して外的であろうとすること、それが仁斎の注釈学である」
この辺の話は、あたりまえと言えば当たり前である。竹内氏は、さらに伊藤仁斎を引用した検討の中で、この章では、さらに次のように述べている。
「つまり、『理学者流』 の 『心性一理、万物一原』 という考え方にしても、それは 『黙坐澄心・精神摂収』 同様、そこで捉えられてくる他者や世界は、所詮己れ 『一人の心に就いて道を見る』 という観念・虚構に過ぎないということである。 『心性一理』 で捉えられる他者や世界はそのすべてが、 ― たとえそれがあるべき 『明鏡止水』 に達していようとも ― 所詮 『一人の心』 ( = 『一理』 ) の同一のトレース ( 『万物一原』 ) にすぎず、そこではいかに他者や世界に関わろうとも結局は、他者不在の 『己を以って己を修め』 ることにしかならないではないか、という批判である。」と、話を面白く展開して行きます。
この章の読後感として、現在の自分的経験とを照査してみますと、その前に 『理』 とは何ぞやということもありますが、まあ、法則のようなものとして留めても、日常において、その 『理』 に従って、物を言うとどういうことになるのか?それは、もう、反発をくらいますね。しかも、現代では、理想主義者として扱われて莫迦にされるのが落ちです。
だからといって、日常というのは確かに混沌としているが、 『理』 そのものが当てはまらないということではないということです。実は、むしろ多様な 『理』 でもって日常が構成されていると考えた方がいいでしょう。
仕事の現場において、システムを開発するとき、必ず、現場のドロドロした内容を整理して、論理付けをしてからフローチャートに基づいたプログラミングをしてシステムを開発します。つまり、システム化とは、情報の整理とそのつなぎとしての論理化です。ところが、システムが出来てしまっても、現場にこれを導入した時、思わぬ苦情が舞い込みます。
それを真正面から受け止めていくと、人間の感情から引き起こす不条理な世界からくる非論理的な作業というのが見えてきます。でも、その一見非論理的な作業も、実は、人間の感情の法則に則って左右されているのに気付きます。何故、そのような感情が起きたのか?を突き詰めれば、本人のスキルの無さからくる不安定要素というのがあぶりだされます。そうしたところをさらに考慮してシステムを見直し、さらに、オペレーションにおける訓練を徹底すれば、必ず、開発されたシステムは現場にて活躍し、無くてはならないものになります。
これは、逆に、人に対していえることです。言うことを聞かない人間がいた時に、たったひとつの 『理』 だけで、責めたり、諭したりしてもそれは、徒労に終わります。よくよく、その人の 『言うことを聞かない』 背景の 『理』 の集合体を良く見極めることが大切なのだと思います。言うことを聞かない人には、その言い分としての不条理の中に多くの 『理』 が詰まっているのです。
ひとりの人間が発見した、たったひとつの 『理』 を得意になって、賢しらな心で振りかざしても、日常の世界を説明しきれないし、解明すらできない。ましては、解決などそうカンタンにできないものです。
しかし、そうした複雑系をひとつの 『理』 でもって説明できる・・・そんな 『理』 を求めたがる。ひとつの 『理』 で説明がつくという統一の大法則は、この世に果たしてあるのかしらん。どういうわけか、人は、何でも一言で物事を表したくなる性癖がありますね。
さて、本書のパートⅡに入っていきますが、それは、第五章、宇宙人生の「不可思議」さ ― 国木田独歩の覚めざる夢から論議が始まります。国木田独歩という人物が如何なる人かは、知りませんが、現代国語の時間にその名を知った程度ですが、どうも、彼の経歴を見ると波乱万丈で色々チャレンジするが思うようにならず、大壮言を吐いて、理想と現実の世界に惑わされて難破した人物のように感じる。
そうした独歩の友人に柳田国男がいて、柳田の方は、独歩と違って 『夢から覚めることにあがいていた』 ようなものこそ、夢であるとして、文学を捨て、農政学や民俗学へと軌道を変えたという事情が述べてある。柳田国男がそうして民俗学に入っていったとは、知らなかった。確かに、小林秀雄も、柳田がそうした自然主義文学者たちに対して、「何をやっているのだ君たち!」と、言ったに違いないと、大学生を相手にした講演で柳田の気持ちを述べている。 おそらく、独歩のような誇大妄想の世界では、地に着いた 『学』 にはなりえずという見識から、もっと地道な学問としての民俗学に目を向けたのだろう。
第六章からは、「おのずから」の捜索 ― 柳田・漱石・鴎外の自然把捉、というテーマに入って行くが、漱石と鴎外の対比については、突っ込みにおいて、何か物足りなさを感じた。それは、山崎正和氏の引用を含めて他者の思考を引用し過ぎるところから来ているのか、或いは、ひょっとすると漱石や鴎外の研究者に対する遠慮かもしれない。
昨今、漱石と鴎外の作品と、それにまつわる人柄の記事を目にしたとき、この二人の生き方に興味を持つようになったが、そこには、日本古来と中国から伝道されたものを取捨選択し、融合から止揚へと繰り返すことで勝ち得た文化の慣習からくる思考と、明治になって突然、西洋から導入された新しい思想とのぶつかり合いの中で、二人がとった生き方、すなわち、二人の考えがそのまま、その後、日本の有識者の精神構造に大きく影響を与えたことは承知の通りです。
そのキーワードとして、『自然』 という言葉の扱いにおいても解釈がそれぞれあったのですが、漱石の場合は、『自然』 を哲学的にも、宗教的にも扱い損なって苦しんでいるのに対して、鴎外は、「かのやうに」というような口上みたいに、淡々とした諦念でもって現しているのは、鴎外の作品を通して了解できる。
鴎外は、公私の立場の為には、はるばるドイツから再会を求めてきた女性にさえ、会わずに退ける冷徹さを持ち合わせているほど大変クールな性格のようだが、何故か、自分の娘達には普通の親にはとても、もち得ないような己を殺す奥深い愛情を抱いていたと言う。それは真実であるかもしれないが、このような心の使い分けが、どこから来るのだろう。
恐らく、鴎外は、漱石よりも 『平気で生きる』 ことに長けていたと思う。それは、諦念からくる悟りみたいなものでしょう。好きなように (本当は好きなようにではないが)、かのように平気で生きることに終始しすることに務めたというところが、漱石との違いでしょう。
鴎外が、いつ、そのような 『諦念』 を所有するようになったかは、専門家の知るところかもしれませんが、竹内氏が引用した山崎正和氏の「人間関係の 『自然』 は本来いくらかの人工性を含み、むしろそれによって共同体は自然な無意識を保ち得る」ということについては、現代のような状況に至って、その人工性にうまく付き合うには、 鴎外の云う"傍観者”としての 『諦念』 をもって、 『平気で生きる』 術を持つべきなのかもしれません。しかし、それは、日本古来の 『自然』 とは、違った方向性に進んでいるのか?どうかは、知るすべもありません。ある意味で、漱石の方が、古来の日本人的な生き方なのかもしれません。
漱石の方が、鴎外よりも挑戦的、かつ、冒険的な意欲でもって作品に取り組んでいったのを見ると、漱石は、『みずから』 の姿勢を持ち、鴎外は、『おのずから』 の発想で創作していったと言える。
竹内氏は、付論として 『清沢満之の想念と超越』 を付け加えてあるが、この清沢満之の考えでいくと、 『みずから』 を 『おのずから』 に安易に同定・解消させようとする発想は、清沢の言う、「外物に対する不適当なる欲情を引き起こす所の妄念想」というべきものであろうと言っている。(ちょっとわかりにくいが・・・)
つまり、『おのずから』の働きは、どこまでも 『みずから』 のはからいの外なるもの (『外物』) であると言っている。そして、念を押すように、『おのずから』 の 『然らしむる』 働きは、絶対的に <他> なる働きなのだと述べている。そうなると、また、解釈によって今までの捉え方が大きく違ってくる。一体どちらなのだろうか?
絶対的に <他> なる働きなのだと言うには、その存在が問題になる。それは、神か仏か?という、 (『外物』) 探しになっていく。確かに、 『みずから』 を 『おのずから』 に安易に同定・解消させようとする発想は、指摘の通り、甘えにもなりかねないが、逆に、『外物』 という <他> を設定することで、今度は、すべて、<他> が存在している以上、 『みずから』 の行為は、無駄な抵抗だという 『諦念』 をもたせることにならないか?
俗世間で言う、「俺が悪いのではなく、そうさせる世の中が悪いのだ。」と、神仏を社会に置き換えてしまうことで、一応、 <他> の所為にすることもできる。しかし、ここで言う <他> は、そうしたものではなく、人の及びもつかない <他> であろう。それでも、その所為にすることは一応できるのだが、一体、見たこともない、第三者的な存在を何で、それが、在ると言えるのだろう?清沢満之は、僧侶で宗教家でもあるから、そうした思い込みには確信があるに違いない。そうした、絶対的な <他> を設けることも、やはり、甘えを生じることにならないとは言えないではないか?
さて、この本の最後のパートⅢに入っていくが、これは大変面白句読んだ。
ここでは、生死の問題を取り扱っているから、話としては大変大きな、そして、尽きない課題でもある。なのに、この本に割かれたページ数は、最も少ないが、パートⅢには竹内氏の力が特に入っているように思える。
正宗白鳥の「今日を生きてゐると、明日はもうひとつの光がさすんぢゃないか。」のセリフから、第八章、生と死の「曖昧な肯定」 ― 正宗白鳥の臨終帰依について、竹内氏は、語っていく。
そこには、不治の病に対する医者と患者の対応を引用して、日本人の「曖昧」について述べられている。もともと、日本人は、曖昧な発言づくりの才能があり、はっきり物を言うことよりも、少し、ぼかせて、相手におのずと悟らせることが美徳のようなところがあると思うが、最近は、そういった態度を批判されることが増えている。
それは、現代の日本人感覚が、唯物的になってきているからではないかとも思ったりする。すべて、物と金で清算していくことが求められている日常においては、はっきり、物を言うことが必須だからだ。
生きるということについては、太宰治の「新郎」と大伴旅人の歌を引用して、今日という日を大切にして楽しむ、明日は明日だといった楽天的な発想を作品より紹介しているが、その太宰治が決して楽天的ではなく、むしろ悲観的に死んでいったことからして、作品の中の太宰は、かなわぬ願望を吐いたことになる。
いつの世にも、楽天的な生き方を望むものであるはが、そうもいかない現実に惑わされるから、宗教が流行るのでしょう。この、今日と明日の違いは、或る意味で現行為と想像行為の違いだと思う。
現行為は、すでに待ったなしの行為であり、それが苦しかろうが、愉しかろうが、リアルタイムで対処するしかない。ところが、直近の明日という日は、かなりの現実を帯びた形で予想されるものである。だから、今日という日の起点における想像行為とは、脳裏でシミュレーションする行為を指す。それによって己にとって不利な状況、すなわち苦境に立たされるといったことが見えてくる、するとそれから逃れたい気持ちで一杯になる。その方法を色々考えるがうまい手はない。そこで、みずからの苦悩が始まる。
それを、明日は明日の風が吹く的な、キャッチフレーズで生きていくようなことを言うときには、その発言者を単純で無知な楽観者として捉えるべきか、それとも、避けることの出来ない運命は、 <他> がもたらすところであるからどうしょうもないという甘えある諦念の境地で迎えていると見做すのか、或いは、畢竟、おのずとなるようになるだろうという曖昧な自然体で受け止める心境の人だと捉えるのか、それは人により、いろいろあるだろう。ひょっとすると、そうしたすべてを包括した複雑な心境でもって発言してしまう人もいるかもしれない。人の心は、水面に投げられた石の形状や大きさによって様々な波紋として移ろいでいくが、すべて最後は円弧を描いて消えていく。
そうした、やるせない課題に対して、無常感を抱いた時に、人は、果たして、それを突き抜ける境地に立つことができるものだろうか?もし、そうした 『やるせない課題』 から、己の心を鎮め、平気でそうした明日を迎えることが誰しもできるようになれるのだったら、それは全人類が願望するところだ。そうしたことが出来ないから、文学で語られ、宗教でエポケーしてひたすら信じ、哲学で無いもの探しをし、科学で明日の便利な道具を創造しょうとするのだろう。
あえて、無常感から、さらに、突き抜けた心境になるには、有機体から無機質の結晶体へと変身すれば、可能かもしれないが、そのときは、心というものは果たして存在するのかしら?
こうしたことを論議する学術本や哲学書は、山のようにあるようだが、これらを解決した本は、未だに、一冊もお目にかかっていないが、こんなことを思索するだけでも、何故かワクワクする。そんな性分なのかと自嘲してしまう。
パートⅢの読後感として、そんな風な想いをめぐらせて本を閉じました。
近所の市井の人びとは、こうした書物を手にすることなく、日々の生活を送っています。無常感から、さらに、突き抜けた心境とは?と想いをめぐらすことも面白いかもしれないが、ご近所との付き合いにおいて、心を突き抜けた交流をすることすら難しいのですから、そうした、地に着いた身近なところを掘り下げて見るのも大切なのではと思います。
私の町内会では、名士が沢山おられます。大学教授、会社社長、高級官僚・・・etc、でも、そうした方たちは、何故か?近所のお付き合いを避けられる方が多いのです。町内会の役に就くことすら避けられます。奥さんに任せて、顔すら出さない人もいます。(もちろん、例外もありますが)
市井の人びとに入り込んで突き抜けるようなお付き合いをするには、どうも各人の肩書きが邪魔をするようです。つまり、なかなか、裸になれないのです。肩書きが、その人の心をその枠の中に閉じ込めてしまっているということに気付かないのです。
そうしてみると、女性の方が賢しらな知識を持っている男性よりも突き抜けた達観をもっているのかもしれません。いざという土壇場に強いのは、女性の方であると聞きます。
それは、恐らく、枠に嵌められず自由な心でもって、失うものが無い ( 肩書きを!) 強さがあるからでしょう。でも、昨今の女性は、出世コースを歩む方もおられますから・・・どうでしょう?
by 大藪光政