書物からの回帰-神楽1


宮崎県の高千穂の旅から帰ってきて、旅行に行く前に読んだ 『三人の隠者』 について、語ってみようという気になった。トルストイの民話集も、高千穂の夜神楽も、ともに伝承されたものであるが、異国と日本とでは宗教としての入り方がまるで違う。


日本人は、困りごとは、すべて神様にお願いしてなんとか無事に事なきを得たいと言う、とても、謙虚な国民だと思う。だから、困りごとの種類の数だけ、お願いする神様も色々あって多神教となる。宗教というものは、やはり、生活と密着したものであるから、必然的にそんな欲求が存在する。


高千穂を訪れて、夜神楽を観に来る人々は、別に、高千穂峡の天の岩戸や天照大神に対する信心から訪れているものではなく、日本古来の神の伝説に対して、琴線にふれる不思議な愛郷心、また、生みの親を探すような気持ちから由来するところのものだと思う。私も、その中のただの一人に過ぎない。


こうして、神殿に入っても、別段、お説教を聴くわけでもなく、神の教えを受けるわけでもなく、神に深々と祈りを唱えるでもなく、ただ、仮面の舞に非日常性の世界を垣間見る、興味津々な鑑賞をするだけある。異国の人から言わせると、「これは、宗教ではない」と、言われるかもしれない。これは、民芸だと。そうだと思う。でも、こうしたひとときが知らぬ間に、こころの異空間での出来事として、作用し、心が不思議と癒されるみたいです。


トルストイの、 『三人の隠者』 のお話も逸話としては、非常に不思議な体験話です。前回、お話しました、『洗礼の子』 の話と同様に、宗教というものに対する、俗っぽい行為を批判したものとして受け止められますから、やはり、当時のキリスト教の宗教団体としては、大変、許しがたい内容だったかもしれません。


この話を読むことで、トルストイは間違いなく、文学の中に、宗教を導入したのではなく、文学として、宗教の捉え方を考えたのだと思います。厳しく言いますと、文学による宗教解体なのかもしれません。ニーチェの哲学による宗教解体と同じように思えます。二人の存命時代は、トルストイが (1828年~1910年) に対して、ニーチェは、(1844年~1900年) であるから、ほぼ、お互いに同時代を生き抜いたと云えます。だから、意外にも、宗教に対する考えの幾つかの視点には、二人とも思うところがあったのかもしれない。


この逸話は、今の時代で云う、SFのような作り話になっている。 お話の経緯は、島にひっそり暮らしている 『三人の隠者』 に関心を持った布教者である僧正が、その島に、わざわざ上陸して、三人の隠者に、「おまえさんがたは、自分の魂を救うために、どんな行をしておられますか、また、どんなふうにして神さまに仕えておられますか、それをわたしに聞かせてください」と尋ねつつ、終いには厚かましくもお節介として、そんな祈り方はなっとらんみたいなことを言って、三人の隠者にレクチュアをし始める。


ところが、不思議にも、その三人は何度教えても、すぐに忘れてしまう。ようやく覚えてくれたと満足した僧正は、安堵して、その島を離れ、小舟から本船に乗り移り、ふたたび航海を始めようとした時に、その島影も消えて海上には月光がたわむれている情景の中に、きらきら光るものが見え、本船を追いかけてくる。


きらきら光るものが近づいて来るその正体は何と、三人の隠者が手をつないで海上をすべるように駆けてくる情景だったのだ。海上を移動しているのに、何故か、二人の足は動いていないという説明からして、これは、勝手な想像だが、海上からわずかに浮上した乗り物に乗って来た様だ。そうして、たちまち、船の横に寄せて舷の方に近づき、この三人はこう言った。


「神さまのしもべよ、わしらはあなたの教えを忘れてしまいました!くり返して唱えているあいだはおぼえていたのですが、一時間ばかり唱えるのをやめているうちに、ひとこと忘れてしまいました。そしたらあとも、すっかりだめになってしまいました。今では、なんのおぼえもありません。どうぞ、もう一度教えてください」と、意外なことを言い出す。


これは、何を意味するのか?考えてみた。こうした、祈りの “行” というものが、如何に脆弱なものであるかを云おうとしたのか?僧正のやっきになって布教した行為が如何に滑稽なことであるのを云わんとしたのか?また、この三人が僧正を後で追っかけて来た目的は、何か?色々考えてみた。これを考えるてみるだけでも、随分と愉しい。


僧正は、十字架を切り、隠者たちの前で身をかがめ、「信心深い隠者たち、おまえさんがたの祈りはもう神さまに届いています。おまえさんがたに教えるものはありません。おまえさまがたこそ、わしら罪人のために祈って下さい!」 と、云いながら、隠者たちの足につくほど頭をさげると、隠者たちはくるりと身をひるがえして、もと来た方へと帰っていったという結末である。


この僧正が吐いた言葉の中に、『わしら罪人』 という表現がある。この僧正は、何をもってして、自分たちのことを、『わしら罪人』 と、呼称したのか?人に対するいらぬお節介者のことを指すのか?つまらぬ “行” の押し付け行為をした者を指すのか?それとも、こうした他所の家に泥足で上がりこんで布教する宗教団体を云うのか?


不思議な光景と、変な僧正の言い訳を後にして、隠者が去った方向の先には、朝方まで、ひとつの光が見えていたという意味不明な余韻を残して終わる。


人間は、自然との闘い・・・いや、自然との共存における知恵として宗教を生み出した。しかし、人は、哲学による目覚めで、宗教のシステム矛盾を突き、宗教とは距離をおくようになった。そして、宗教よりも、定性的、定量的に物事を追求できる、より確かな科学を信奉するようになった。


ところが、その科学も、わずか数百年で、急激なシステム技術の集積化が起き、その高度な技術により、行き着くところの先が何でも明確に解明できるであろうとされたが、実は科学でも解明できかねる世界が現前とあることに気付き始める。


科学も、決して確かなものとは云えない限界を知ったとき、言葉を変えて云えば、生きる上において、至福をもたらす唯一のツールではないことを指す。すると、人間はまた、不安にかられて、確かなものを捜し求め始める。しかし、もう、頼るものも、極めてくれるツールも何もない。神の杖のようなツールはこの世に存在しないのだ。哲学さえ、すっかり色褪せてしまっている。


現在という 『今』 を進行している人間にとっては、当然、“生” による “苦労” というものが、つきまとうものである。日々、 苦労し続けている“生きた魂” を救済してくれるものは果たして、存在するのか?言い換えると、癒してくれるものは何か?と、問いたくもなる。しかし、これは、生きることにおいては、考えの甘い問いかけでもある。


こんなつまらない問いかけから、人は、「パンを食べる為に生きるのか?それとも、生きる為にパンを食べるのか?」 と、云う哲人の言葉と同じように、「信仰のために生きるのか?それとも、生きる為に信仰をもつのか?」とか、「生活利便性の為に、科学を信奉するのか?それとも、真理追求の為に科学を信奉するのか?」 といった想いなども次々と派生してくる。


生き方の選択肢として、ごく普通の営みで満足する人、享楽に走る人、現実に失望して命を絶つ者、宗教を “迷う” ことなく選ぶ人、科学の進歩に期待する人、文学のオアシスに浸る人。そして、学問としての哲学から乖離した個の思索を求める人、選択肢は、いろいろあり、選ぶのは自由である。


以前、遠藤周作について触れたことがありますが、トルストイも、遠藤周作も、己の宗教観については、率直に作品の中で、自由に語っている。それは、先程、生き方の選択肢を取る行為において、人々が自由であることと同じである。だから、その作品について、宗教団体がとやかく関わること自体が、いらぬお節介なのである。


『三人の隠者』 は、そうした牽制球なのかもしれない。


トルストイの時代は、それでも、まだましな時代だったかもしれない。


昨今は、科学が生活を快適にさせてくれたが、本当にいやな時代だ。


宗教団体は、お金をかき集め、政治にまでちょっかいしている。

或る有名な政治家が、「政治は、要するに、税金を如何に集めるか?そして、如何に使うか?・・・だよ」と、云っていましたけど、或る意味では正解なんですね。


まあ、しかし、そうした立法や行政の範疇まで、宗教がちょっかいを出すのだから困ってしまう。宗教も、組織化すると、企業とまったく同じ拡大戦略を取る。つまり、市場シェアの拡大だ。当然、企業の中には、政治にも口を出す企業もいる。でも、政治力を当てにした企業においては、長期的には経営がうまくいったためしがない。経営は、他力本願では駄目なのだ。政治に加担する宗教団体は、それとやっていることは同じですから、同じ運命に遭うに決まっている。


一方では、集金力のない、神社などは、どんどん廃れて、廃墟同然になっている神社が結構ある。


お寺は、仏事でなんとか、賄えている。これも、日本の仏教が、儒教のセレモニーを取り入れてあるお陰か?


やはり、経済とは魔物である。地獄の沙汰も金次第とは、まさにこのことだ。


組織力のない、お金も獲得できない、おとなしい宗教は、消え去るのみか?

廃れていく “わが身” すら、救えない宗教は、やっぱし、偽物か?

となれば、繁盛している宗教こそ本物か?

では、繁盛することが、宗教の本質か?


宗教の本質とは何か?


これについては、朝日新聞の5/29付、朝刊に、『臓器移植に仏教の視点』 と、いうタイトル記事があった。天台宗、日蓮宗、などは容認派で、浄土宗は慎重派、浄土真宗の大谷派は、反対派といった帳票における見解一覧も、同時掲載されていた。


この記事を読んでいて、こうした古来の仏教宗派は、現在では政治に対しては、直接行動を起こさない、政教分離をわきまえた宗派であることには感心するが、科学技術を駆使した医学の領域に対しては、色々と、口を挟むものだなあ~とつくづく思った。


ただ、曹洞宗の僧侶である木村文輝氏は、『生死の仏教学』 で、「仏教の役割は移植の是非を判断することではない」と、主張しているそうです。なるほど、そういう逃げ方もあるのか?と半分笑ってしまった。木村氏が強調するのは、「二者択一的な結論を積極的に排除する必要がある」と、言っておられるそうだ。それもそうだとは思う。だいたい、生きることにおいて、そういう場面に出くわすこともあるが、状況によっては必ずしも二つの選択だけとはかぎりませんから。


昨今の現役賢人は、皆、受験における○×式で育まれているから、そうした二者択一的な結論を出すような捉え方に抵抗感がないので、仕方ないことです。そこで、この記事を引用したのは他でもない、木村氏の次のような見解を読んだからです。


仏教の存在意義は 「人々の苦しみを取り除くことにある」と、木村氏がおっしゃっているのです。なるほど、仏教はそうかもしれない。でも、私が知る限りのお寺の生糞坊主がそんな行動に出たこと見たことがありません。お布施をもらって、好きな車を買ったりして、法事や、お墓でしっかりビジネスをやっている連中ばかりです。まあ、言い換えると、大変立派な経営者なのでしょう。 『死者法要』 のセレモニービジネスですね。


木村氏の 「人々の苦しみを取り除くことにある」 という見解であれば、むしろ、医者の方が立派に活躍していると思う。『苦しみを取り除く』といことにおいては、現実的な傷病に関する医術と研究をなし、その実績は、宗教人よりもはるかに医師の方が人々に対しては尽くしている。


それが証拠に、坊主も宗教家も、病気にかかると医者を頼るではないか?たった虫歯一本にしても、苦痛だから!最近は、心療内科もあるから心の病も、下手な宗教家よりは確かだと思う。


問題は、『何の苦しみか?』 ということだと思うし、誰が、その苦しみを取り除くのか、仏か?神か?セルフサービスか?という不明瞭さもある。


また、生きていく上において、享楽は刹那にて通り過ぎるが、苦しみは、延々と長く持続する。そんな体験を誰しも経験し、避けることなんぞできるはずがない。陳腐な宗教がそんな苦しみを解き放つと言えば、少し、ペテンに聞こえてしまう。宗教は、医学にも、科学からも仕事を奪われて、「あと残った使命とはなんだろうか?」と、自問しなければならないのかもしれない。


宗教は 『考えて信じる』 ことで救われる?哲学は、 『考えて考える』 ことで、また果てしなく考える。どちらも、動物の中で、人間しか為せない技だ。自然が生んだ玄妙な作用だ。宇宙の広がりと同様、人類が存在する限り、永遠と続くであろうこの人類の共同作業。トルストイも、こうした民話を用いた手法で、文学という世界からそれぞれに光を当てている。


朝日の記事も読みつつ、 『宗教の本質』 に対する賢人の解答は、賢人の数だけ色々あるなと思った。解答は、あって無いようなものだ。


今回における読後のひとつの解答として、 「自己の自立」 を継承させることだと言いたい。これが、宗教の本質の一部か?と云われるかもしれない。本質とは意外な姿をしているものなのかもしれない。


「自己の自立」 は、この間の 『洗礼の子』 の三つの継承における最初のひとつ目です。『他人の糧を当てにせず生き抜くこと』 であり、「自己の自立」であると、私は勝手に決めつけました。


でも、トルストイの小説及び、あとがきの解説では、『まず、自らを清くする必要があること』 と云った内容になっています。


『自らを清くする』 とは、浅ましくも他人の糧を当てにしたり、盗んだりしないこと、そのためには、汗を流し、労働をして生活の糧を自身の手で勝ち取ることであると。それは、取りも直さず、私には、「自己の自立」 という風に聞こえるし、それがもっとも大切だと思います。


つまり、地に足が着くということでしょう。


僧正がどんなに偉そうな指導を行っても、『三人の隠者』 には、自己の自立が出来ていて、地に足が着いているから、僧正の口車に染まってしまうことはありえなかったということでしょうか?



by 大藪光政