山椒大夫の小説は、大変有名なお話だ。私もタイトルと、あらすじだけは知っている。というか、ひょっとしたら昔読んだことがあったのかもしれない。うちの悪妻に聞いたら、「聞くも涙、語るも涙」と云っていた。
じつは、うちの悪妻は、泣きべそだ。主人に対しては、涙ひとつ流さない非情な女だが、テレビや映画の前ではすぐに泣く。だから、ひと昔、悪妻の姉妹共々、学級委員に選ばれた時、ご褒美に姉には『山椒大夫』、悪妻には『母を訪ねて三千里』を買って貰いそれを読み、二人して号泣したそうです。
そういえば、僕は、小学生の頃、『フランダースの犬』の本を読んで泣いたっけ。こうした、お涙頂戴の小説を今更読むなんてことをする羽目になったのは、鴎外という人柄に興味を覚え当面、彼の小説に関わってみようと思ったからでしょう。
今までの鴎外の小説を振り返ってみると、鴎外の登場人物では誰が主人公なのか・・・と思うほど、主人公を強調した描写があまりなかったようです。まだ彼の作品を多く読んだわけではないので一概に言えませんが、この『山椒大夫』の場合も、語り部が悲話を淡々と語っているといった感じで終わっている。
実際に読んでみると色々なことに気付く。まず、母親の年齢が三十歳を超えたばかりと書いてある。すると厨子王の姉、安寿の歳が14歳といっているから、母が16歳過ぎた頃の子である。今でいえば、かなりの早婚である。昔は結婚が早かったというが、そうした想定を鴎外はしている。
大人として30歳過ぎであれば、思慮深いはずなのに、いとも簡単に山岡大夫の口車に乗せられて罠にはまってしまう。軽率な母親である。でも、騙されないとドラマは始まらない。むしろ、女中の姥竹の方が山岡大夫を怪しいと感じていたようだ。姥竹は、騙されたことを悟り、観念して安寿の母親に仕える身でありながら、さっさとお先にと言って海へ身を投げてしまう。この辺もちょっと呆れてしまう。
残された、安寿と厨子王の話はここからがスタートである。二人は、山椒大夫の元に人買いによって売られてしまい、そこでふたりは奴と婢として生活が始まる。二郎の「仰る通りに童どもを引き分けさせても宜しゅうございますが、童どもは死んでも別れぬと申すそうでございます。愚かなものゆえ、死ぬるかもしれません。刈る柴はわずかでも、汲む潮はいささかでも、人手を耗すのは損でございます。わたくしが好いように計らって遣りましょう。」といって、太夫に取り入ってうまく二人が一緒の小屋で過ごせるよう計らってやる。
ある日、安寿が弟を逃げ出させるきっかけを作るために、この二郎に対して、お願いを申し出る。「それに就いてお願いがございます。わたくしは弟と同じ所で仕事がいたしとうございます。どうかいっしょに山へ遣って下さるように、お取り計らいなすってくださいまし。」という願いに対して、「この邸では奴婢のなにがしになんの為事をさせるということは、重い事にしてあって、父がみずから極める。しかし、垣衣、お前の願いはよくよく思い込んでの事と見える。わしが受け合って取りなして、きっと山へ往かれるようにして遣る。安心しているが好い。まあ、二人の穉いものが無事に冬を過ごして好かった。」と、二郎は安寿に伝えた。
こうして、物語は厨子王の脱出から厨子王が立派な国守になって、佐渡に渡って母を探し当ててめでたく劇的な再会を果たしたところで幕は閉じる。
ここで、ひとつ大切なのは、姉の冷徹な指示を神様や仏様の御託のようにして厨子王は聞き入れて姉と別れて往く。うまくいくか否かは運次第だが、それに賭けて二人が決断したことである。何故、姉は弟と共に逃げなかったのか?という疑問が残る。(二人とも逃げれば、兄弟愛のドラマが成り立たない。)
この小説では、その後、『沼の端で小さい藁履を一足拾った。それは安寿の履であった。』とだけ、さりげなく簡単に書きとめられている。つまり沼に身投げしたといわんばかりである。鴎外は安寿に対して、何とあっけない終わり方の描写しかしなかったのだろう。
あまりにも安寿に対する無関心な書き止めの行為で、むしろ 『安寿は死んでいない!』 と、逆にここで私は感じた!
安寿は、厨子王の姿が小さくなって見えなくなる前に、こみ上げてきた涙で厨子王の姿がゆがんで小さく見えた。厨子王が、時々こちらに振り返って手を振っているようにも見えた。午を過ぎると、春の陽光も次第に弱くなり、肌寒い風が吹き始めた。安寿は、厨子王の姿が消えると決心したかのように沼へ行きその端に立った。
沼の中心をじっと眺めて、父や母、そして厨子王と一緒にお正月を過ごしたことをふと思い出した。『そうだわ、お正月に皆でお宮にお参りした時、厨子王が早く家に戻りたいと駄々をこねて父上や母上を困らせていたわ。あれが親子として最後のお正月だったのね。今年のお正月はなんと悲しいお正月だったのでしょう。弟には、仏様のご加護がきっとあると言ったけど、もう私にはそれもないわ。』と懐かしく脳裏をめぐらし、頬に伝わる涙をそのままにして、一歩前に身を乗り出した。
沼の中央を目指して右足を出した時、背後の草むらからガサッと音がして、「垣衣、そこで何をしている!」と、男の声が聞こえた。振り返ると声の持ち主は、二郎であった。安寿の頬が涙で濡れているのをじっと見た二郎は黙って少し距離を置いて近づいた。安寿は、二郎がいきなり後ろから出てきたので驚いたが、やや落ち着いてこう切り出した。
「二郎様、私と弟を一緒に山に遣らせて頂きありがとうございました。」と、声を詰まらせてやっとの思いで答えた。
「うむ、無事に、山を下って逃げ延びたようだなあ」と、静かに笑って二郎は返した。
「えっ・・・やはり、ご存知だったのですね。」
「まあ、お前の真剣なあの頼み方からして、どう考えてもそうだなと気付くわい。それで心配になって後をつけたのだ。」
「どうか今しばらく弟をお見逃しください。」
「見逃すも見逃さないも、もう往ってしもたではないか。ところでそなた沼の真ん中めがけて行こうとしているが、まだ、水は冷たいぞ、泳ぐには早い、こちらへ来い。」
「いいえ、ここでお別れさせてくださいませ。二郎様には大変お世話になりました。しかし、きっとあなた様はお父上からお咎めがあるでしょう。私のせめてのお詫びとして、この沼に身を投げさせてくださいまし。」
「何を莫迦なことを。死んでどうするというのじゃ、そんなことをすれば弟や、お前の父や母にも会えぬではないか。」
「もう私には、会えそうもない気がいたします。せめて弟には、何とか機会を作ってあげましたが、残された私にとっては、かわいい弟まで失ってしまって・・・生きていくのが辛くなりました。」
「そうか。それならば、致し方ない。お前の好きなようにすればよい。しかし、俺に対して済まぬと思って死ぬのだけはお断りだ。迷惑だ。俺のせいで死なれたら天罰が降りかかる。」
それを聴いた安寿は、一瞬、戸惑った。二人一緒に住まわせてもらったあの時といい、さらに脱走まで黙認した二郎に対して、済まないという気持ちが胸にこみ上げ「二郎様は、善いお方です。天罰なんぞ降りかかりはしません。」と、静かに恬然として言い放って視線を沼の奥へ移してさらに進もうとした。
「待て!その沼には、龍が棲んでいると言い伝えられている。俺も、沼の底にうごめく大きなものを以前見たことがある。それ以上沼に入るのは止めろ。龍に喰われるぞ!」、二郎は、低い声で、鋭く咎めた。
安寿の顔が少し引きつったかのように後ろの二郎から見えたが、安寿は戻ろうとしない。
「今から、命を絶つものにとって龍だろうと大蛇だろうとかまいません。どうせ、死ぬのですから。」と、悟った口振りで答えた。この言葉に二郎は驚いた。やはり、ただの娘ではないと思いつつ愛おしい気持ちがこみ上げて、無理やり押し止めようかと思案した。
その時だった、突然、奥にある沼の端の笹が少し揺らぎ、近辺の水面が持ち上げられるような噴出が起き、その波紋がすぐにも安寿の足元に近づいてきた。キャーと大きな声を上げた安寿は沼から逃げ出すようにして二郎の元へと駆け寄った。
安寿は、二郎にしがみつくのをやっと我慢したものの二郎の足元に座り込んでしまった。「なんだ、やっぱり怖かったのか?」、といって、震えている肩にそっと手を掛けた。「心配致すな、あれは龍などではない。」と、己の妹に声を掛ける様にやさしく語りかけた。
「あれはなあ、俺も、一度出合った事があるんだ。あれを見たものは皆、龍が棲んでいるというから、潜って調べてみると何のことはない。あれは、沼底からの湧き水だ。」と、間欠水のことを教えてニヤリと笑った。それを聴いた安寿は、怪訝そうに下から二郎の顔を見上げた。その安寿に対して二郎はこう続ける。
「おぬしの本当の名は何と申す。」と、尋ねた。
「安寿と申します」と、安寿が素直に答えると、二郎は穏やかな顔をして、
「よう聴け、安寿、お前は死にたいと心で思っても、龍が出てきたと思った途端に心とは裏腹に身体は生きようとしただろう。そもそも、心と身体は一つと思いがちだがそうではない。」と、言い聞かせた。
「でも、心で一瞬怖いと思ったから逃げたのでございます」と、怒ったように安寿は言い返した。
「いやいや、そうではない。身体が本能を突き動かして己を守ろうとした。だから心と相反したのだ。むやみに心の判断だけで身体を粗末にしてはならぬ。身体は齢をとれば自然と土に帰る。そして心は、その別れが来ればそのときは・・・魂となって何処へと旅立って往くものだ。」そう、二郎が云い終えた時、遠くから鶯の「ホウ、ホキョキョ」というさえずりが湖面を反射して響き渡った。
「そら、みろ、あの鶯のさえずりを・・・お前と同じだ。まだ拙い。穉い命は大切にするものだ。」
安寿は、子供扱いをされてすっかりうなだれてしまった。
「さあ、もう立て。やることが、まだある。お前は、もう龍に喰われてしもうたのだから・・・わかるか?」
「どういうことでございましょうか?」と、安寿は不思議な顔をした。
「どうでもいいから、その着ているものを脱げ!・・・と、いっても上着だけでよい。」、そう言い放って袋から男の仕事着を差し出した。
「これは?」と、ますます、安寿はわからなくなったが、仕方なく二郎の急がせ振りな口調に従って云われるままに二郎を背にして安寿は着替え始めた。
二郎は、安寿が脱いだ仕事着をつかむとすぐさま、えいっと、力いっぱい引き裂いた。そして、安寿に後ろを向かせたまま、「俺がよしというまで、こちらを見るな!」といって、懐から取り出した小刀で、左のわき腹に軽い傷をつくった。浅い傷からは鮮血がにじみ出たので破った着衣で何度もそれを丁寧に拭き取った。
その仕事着を手で丸めると、「安寿、沼を見とれ!」と言って力一杯それを沼の中央めがけて投げつけた。破れた仕事着は、軽すぎて空中で広がってバラバラとなり、水面に張り付くように静かに浮かんだ。
しばらく湖面に浮かぶ衣を眺めていた二人はそれから黙って顔を見合わせた。
「お前はもう龍に喰われて死んだのだ。これからは、生まれ変わって生きよ!」
「生まれ変わって生きる・・・」
「そうだ、生まれ変わってだ。それで父にわからぬよう、お前をしばらく匿うことにする。私の太郎兄の元に連れて行くからついて来い。」と言い放って、安寿の細い手をしっかり握って急ぎ足で沼池を後にした。安寿は、何が何だかわからぬまま呆然として、二郎のいいなりになって共に急ぎ足になった。
「太郎様は、行方知れずというお噂をお聞きしていましたが、二郎様はご存知なのですか?」と、やっとの思いで早足で後に続きながら声を掛けた。二郎は、さりげなく「兄の居所は以前から知っている。知らないのは、父と三郎だけだ。太郎兄から口止めされていたからな。」と言い放って、「もうこれ以上声を出すな。周りに聞こえるとまずい。」と、言って安寿の口を封じた。
二郎が安寿を無事、太郎兄のもとに預けて山椒大夫の元に戻ったときは深夜になっていた。大夫と三郎は、かがり火を焚いて二郎が帰ってくるのを待ち構えていた。そして、二郎の姿を見つけると、「二郎早く、こっちへこい!訊きたい事がある。」と、いきり立った大声で怒鳴った。
「何か?」
「とぼけるな、垣衣と、萱草を逃がしたのはお前だろう!」
「はて?身に覚えの無いことですが・・・お父っさん、如何なされましたか?」
「如何も糞もないわい、お前が二人の便宜を図ったに相違ない。そうでないと何故、二人の山仕事の許可を求めた。」大夫はそう言って額の皺を深くし、こぶしを持ち上げていた。
「お父っさん、私は、あの二人が逃げ出そうとは思ってもおりませぬ。本当でございますか?厳冬を無事に越せてやっと仕事になれたので、これからいろいろと仕事を増やす前に、この地に腰を落ち着けさせるためにも、二人の願いをかなえてあげたのに・・・この私を裏切ったとは!」と、二郎は怒った素振りをして大夫の怒りから逃れようとした。それを聴いた大夫は、振り上げたその手をがくりと下ろした。
「しかし、二郎、理由はともかく、お前のせいだぞ。」と、大夫は釘を刺した。
「お父っさんのおっしゃるとおり、二郎兄の失策でございます。」と、普段、兄の言動に不満な三郎がそばで大夫に賛同した。
「もうよいわい。二郎、お前の叱責は後にする。萱草は、おそらく都をめがけて逃げたに違いないが、垣衣は何処へ逃げたかようわからん。」と、太夫は口惜しそうに言い放った。
「はて? 垣衣めが萱草を連れ添って逃げたのではございませんか?」と、二郎がとぼけて云う。
「兄は何も知らぬのですね。垣衣の藁履が沼の端にあったので、入水したのでは?ということで、今使いの者に沼を捜索させているのですぞ。」と、ふて腐れたように三郎が付け足した。
「入水ですか、垣衣がやりそうなことでもありますな。それで、何故、お父っさんは垣衣が未だに逃げているとおっしゃるのです。」と、不思議そうな表情をつくり上げた。
「ふん、あんな小娘が己の命を絶つとは、考えられんわい。そんな小細工でわしを騙したって騙されるものか!きっと何処かに隠れているに違いない。沼探しの知らせはまだか!」と、暗闇の中の沼の方角を眺めた。
しばらくすると沼池を捜索した者が戻ってきた。
「申し上げます。沼池で垣衣の物と思われる仕事着を見つけました。」と、息を切らせて申し述べると、握りしめた切れ端の数枚を大夫の前に差し出した。
「で、垣衣の身体はあったのか?」と、大夫は詰め寄った。
「いえ、大夫様、それが見つかりませぬ。」と、面目なさそうに捜索の者が答える。その助け舟を出すかのように二郎がこう云った。「ひょっとすると、龍に喰われたのかもしれませぬ。あそこは、龍が出るとの言い伝えがございます。」そういった途端、捜索の者の顔から血が引けるのがかがり火のあかりではっきり見えた。
「龍でございまするか!・・・そういえば、その仕事着の切れ端には、娘のものと思われる血がついておりました。」と、捜索の者が答えるや否や、太夫と三郎は、その切れ端をかがり火に照らした。あの時、二郎がつけた血は、水にぬれて、少し仰々しくにじんで広がっていた。
三郎は、これを見て、腰を地面につけてしまい、「お父っさん、恐ろしいことでございます。もう、明日の沼池の捜索は打ち切りましょう。龍の怒りに触れてはかないませぬ。」と、弱々しく大夫に願い出た。そう言わないと、明日の捜索を三郎が指揮することになっていたので、恐ろしくてかなわないと三郎は極度にそれを恐れ出した。それは、喰われた者の願いを龍がかなえてやるという村の言い伝えを信じていたからだった。
だが、太夫はそれでも首を傾げていた。要は、龍の伝説を信じていないのだ。そんなとき、ふと、なんとなく二郎の脇の方に大夫の目が偶然届いた。そこには、うっすらと血のようなものがにじんだかのようになっていた。
大夫は見る見るうちに顔が真っ赤になり、「二郎、お前、その脇に血のようなものがついているみたいだが、どうした、衣を脱いでみろ。」と、怒鳴った。
二郎は、ハッとして、「何でございましょう。」と、冷やりとした気持ちでとぼけた。
「何でもいいから、早く、衣を脱げ!」と、きつく言い放った。
二郎は、大夫が何か感づいたなと悟ったが、どうすることも出来ず、とうとう黙って云われるままに衣を脱いだ。そこには、沼池で切った時の刀傷の後がまだ薄く残っていた。
「お前、わしを騙したな。そして、よくもわしを裏切ったな。龍に喰われたなどと云っても、わしは信じはせぬ。わしは、小さい時分、あそこを潜って遊んだものだ。あそこには龍などおらぬ。ええい!こうしてくれる!」そう、最後の一言を大声で放つと、傍に用意していた竹槍を摑むやいなや、二郎の胸を一突きで突き刺した。
二郎は、まさかの大夫の一撃で、「お父っさん!」と叫び、驚きの表情と激痛で顔を大きく歪めてしまった。
傍にいた三郎も、驚いて「お父っさん、兄に何をなされます!」と、留めに入った。すると、「ふん、こやつはお前の兄でもなんでもないわい。ただの拾い子よ。」と、意外な言葉を吐き捨てた。
「三郎、よく聴け、太郎も、二郎も、捨て子なのだ。捨て子は捨て子だということがこれでよくわかった。本当の父でないこのわしの云うことを聞かぬのは、血のつながりがないからじゃ。」そう言い放つと、二郎を足蹴りにして竹槍を抜き去った。
大地が崩れるような錯覚を覚えつつ、仰向けに倒れた二郎の目には涙がこみ上げてきた。そして大夫には届かぬかぼそい声で呟き始めた。『そうか、よかった。本当によかった。大夫が俺のお父っさんでなくて。でも、ひと目、我が本当のお父っさんに会いたかった。それも、かなわぬことだなあ。しかし、太郎兄が、「我が父は大夫ではない。」といったのは本当だったなあ。「こんな恐ろしい人がお父っさんであろうはずがない」と言って太郎兄が家出をしたのが正しかったとは・・・』
二郎をこれまで養ったせいもあって大夫は、最後を見届けるのを外すように「見せしめの為、しばらくこのままにしておけ!」と言い放って、三郎と共に館に引き上げ始めた。しかし、突然の出来事で呆然とした三郎は、途中何度も止まっては不安げに振り返って倒れたままの二郎を見て、このまま見捨てて往くことの後ろめたさを感じ始めたが、「何をしているか、さっさと来んか!」と、怒鳴る大夫の後に仕方なく従った。
二郎は仰向けのまま眩暈はするものの、消えたかがり火の暗闇の中で、天上をしっかりと見渡し、己がこれから一体何処へ往くのだろうと思いつつ、ひときわ輝く星をじっと見つめていると己が一体何者なのかわからなくなって天空と一体になるような不思議な感触を覚えた。森の暗然たる影と共に、しんとした静まりのもとで二郎は独り寂しく横たわっていた。
こんな、『安寿の行方』を、思い浮かべてみました。
皆さんは、どんな安寿の行方を想像されますか?
by 大藪光政