書物からの回帰-つるの花


この短編小説は、今、読み続けている文庫本の中には、図書館で見当たらず、図書委員に尋ねたら親切にも分厚い日本現代文学全集の森鴎外集を手渡してくれました。図書委員は、この間の日本的な若い女性です。本を開いて、ざっと読みますと、まず、字が小さいですねぇ~。6~8ポイントサイズです。目の手術をしていて良かった!楽に読めます。


出版が古く、旧仮名遣いと旧漢字で印刷され、専門語句や、外来語の解説がまったく入っていません。でも、鴎外の小説を読み始めて何日か経っていますから別に違和感なく読めます。すでに別の短編を幾つか読んでいて、本当は今まで読んだものを片付けてから、そのうち取り組むつもりでしたが、この 『半日』 を、「是非読みなさい」と云う小鳥の伝言があり、鴎外に、この 『半日』 という作品があるのを知らなかったこともあって、少し気になって先に取り組みました。


『半日』 は、すぐに読み終える短編小説で、要は、鴎外の嫁、姑の家庭内愚痴を書きとめたものですね。この小説を読むと、どうしても漱石との比較をしてしまいそうです。そうした比較文学は専門家に任せるとして、色々思うことが沢山出てきました。それと、巻末には鴎外関連の研究書物の紹介が付いていましたが、その数の多さには驚きました。研究家に大もてな作家なのですね。


となると、もう、作品に対してあれこれ言うのも莫迦みたいですが、強いて書くとなれば、読後からの私の展開でしょう。この作品は、私的経験がないと書けませんから、鴎外がこのような経験を持ったのは事実のようですね。明治時代と今日を比較しても、主人と嫁、姑との関係はそんなに変わっていないなあ~というのが実感です。その実感がどこから来るのかを、これから、お話しましょう。


主人と嫁、姑との関係がうまくいく、いかないは、どうも、時代とは関係がない気がします。現代でも、うまくいっているところは、いっているし、いっていないところは、いつも悲劇が上演されているくらいですから色々です。これは、やはり、人それぞれということだと思うのですが、それがどうしてそのようになるのか?また、その解決策はあるのか?と云う考えが浮かびます。


そうなると、鴎外の作品とは、離れて、家族というものの研究でもって議論することになっていきます。それともうひとつ、鴎外は、何を目的としてこの小説を書いて発表したのか?という鴎外に対する素朴な疑問も湧いてきます。単なる鬱憤晴らしで書いたのか?嫁、姑に対する『傍観者』としてではなく、人間に対する深い洞察をおこなうことが目的だったのか?それとも、文学が果たす役割としてのテーマ創作としての試みだったのか?


そうしたことは考えすぎで、丁度、画家が、大作を描く前に、デッサンや習作を行うように、この作品も、そうした準備程度なのか?色々思っても、ご本人はいませんのでわかりません。しかし、西洋の文化をしっかり学んだ当人が、こうした嫁、姑のトラブルに巻き込まれて、うまく処理できないのも面白いものです。西洋の哲学の勉強も、嫁、姑の対立には歯が立たないし、役に立たないということですか?


小説に人が登場しない小説はありえない、もし、動物だけの登場としても、それは擬人化されていますよね。そして、本当に動植物しか登場しないものが例えあったとしても、必ず筆者の私という存在があるはずです。小説家は、そういう意味でやはり人間探求のプロでもあるわけですが、そのプロが、そのノウハウを駆使しても、自身の家庭がうまくいく、いかないは不明ですね。つまり、人間を洞察して作品化することと、家庭の運営は、別の能力ということでしよう。


私の例で恐縮ですが、家のことを少し語ります。


私の母が長男夫婦と同居している時、やはり、嫁、姑間でよくトラブルがあっていました。私が帰省したときには、その愚痴をよく母から聞かされたものです。母の言い分を聞くと、嫁がとても鬼みたいな存在で、ひどい仕打ちをするなあと思いつつ、母の泣き言を聞いては慰めていました。その長男の嫁は、母が亡くなるまで私は親族でも一番嫌いな人でした。いつも、冷たい人だと思っていました。( これらは、一方的な見方で、どちらが冷たいかは相対的かもしれません。)


でも、今は、お互い歳を取ったのか?対立はありません。長兄も母の亡くなった直後に、水難の事故にあって亡くなりました。 (皮肉にも対立がなくなったのは、その二人が亡くなり、会う機会が少なくなった所為かもしれません。) 兄嫁は、母が兄を連れて行ったと泣きました。そんなに、仲の良い長兄と母ではなかったのですが、やはり、嫁と母との対立がそう云わしめたのでしょう。


それで、母が健在の時、「もう我慢ができない、もう、この家を出て行きたい」と、私の前で母は泣きながら言いました。でも、その家は、実家ですから父と母の家です。父はすでに他界しています。となると、行く当てもありません。幸いにして兄弟で一番しっかり者は、男四人兄弟で三男の私ということが、定番でしたので、母は口では言いませんが当てにしていたと思います。(実は、小さい頃は慣習でしょうか?父母とも、長男を一番当てにしていたのです)


そこで、一旦その問題を持ち帰って我が有名な悪妻に話しました。すると「私は絶対あなたのお母さんと一緒に住むのは厭です。第一、そんな沢山のお母さんの荷物を置くところがこの家にはないでしょう。」と云って、話を聞いてくれません。それで、「じゃあ、近くの高齢者施設に、荷物は置かせて、住んでもらって、時々、我が家で一緒に食事をしたり、たまには泊まって貰うぐらいだとどうだい?」と、譲歩案を出しました。


それでも、聞いては貰えませんでした。その時、「ああ、やっぱり、どこの嫁も、姑と一緒になるのは厭なのか!」と、合点しました。


そうして、母が去り、今度は悪妻の父母だけが高齢で健在なのですが、(健在とは云ってもその歳では、病院に掛かるのが日課のようです) この前ですか、母方の方が、手術をせねばといって騒ぎ立てたのですが、入院中、父方をどうするのか?と言った問題が浮上しました。悪妻の父は、悪妻に似て・・・いや、悪妻が父に似ているのですが、内弁慶で、癇癪持ちなのです。おまけに、生活はすべて母方に依存している状態ですから、独りで生活ができません。


そこで、悪妻の姉から、父を母の手術の間、交代で面倒を見てもらえないか?との相談がありました。姉は、悪妻とは違って、やさしく、感じのいい方なので、いいですよと返事したかったのですが、ひとつ、引っかかることがあったのです。


それは、父母がもう高齢なのに新築をするといったので、それは両親の自由ですから、それには反対はしませんが、悪妻との実家と我が家とは、距離があるので面倒を見るには後々困りやしないか?と思って、そのことをいいますと、あなた達の世話にはならないとお母さんがきっぱりと言われました。


家内の母は、鴎外と同じ島根人で、とても聡明で癇癪持ちの主人にじっと耐えてきた尊敬に値する立派な方です。悪妻は、頭の良さは、母に似て、癇癪持ちは父に似たのだろうと憶測されます。義理姉は、母のやさしさを受け継いだのかもしれません。


そんなことがあったので、義理姉にそのことを話して、いよいよの時には、自分たちは高齢者施設に入ると言っていましたから、すでに、お互い、病気持ちだから、この際、今から施設探しのつもりで、そのリハーサルとして体験入居をやってみたらどうですか?と云いました。(僕も冷たいでしょう) 義理姉は、とてもではないが親にそんなことは云えないといいます。そりゃあそうだと思いました。「それでは、僕がはっきり言ってあげましょうか?」と言うと、「ちょっと待って下さい。」と、云われる。


義理の姉には戸惑いがありました。姉の方はご主人が長男だから妻の両親は面倒見られないと言う。何事もはっきりさせることなくただ行くところまで行くといった感じです。でも、いざと言う時に、一体その後に及んで誰が責任を持って対処するのか?曖昧である。すべて先送りである。日本の政治家と同じだ。


このことで悪妻が怒って、「二三週間ぐらい家に呼んでもいいでしょう!」という。そこで、「いや、手術の経過で、もし、車椅子となれば、もう、お父さんの世話はおろか、お母さんのお世話だけでも大変になるよ。そうなってから、お父さんに我が家から出て行ってもらうのは気の毒だし、難しいと思う。それに、お父さんだって、この間まで、俺はもう死にたいといいつつ、病院に掛かって検査をしては、病院通いをしている。その辺の問題もある。」というと、悪妻は、何故、私の親の面倒を見てくれないのだという顔をしている。


それで、ついに、「私の母の時はまったく自分は受け入れてくれなかっただろう?そして、家を建て直す時に、自分の両親は次女の婿になんか面倒見てもらわないと言い切ったじゃないか!」と、叫んでしまった。


すると、驚くべき回答が待っていた。「あら、私、あなたのお母さんを面倒見ないとか、そんなこと云ったかしら?」マジな顔つきで怒って云う。記憶に無いと言う。記憶力では、私よりいつも数段上なのにだ。どうも、本当のようなのだから、これには、あきれてしまった。


悪妻の両親は、とてもいい人なので、内心、面倒を見てもよいと思っているのだけれど、心配なのはもう80歳以上も過ぎて、郷里を去って、今更、まったく知り合いも無い遠方に来てもなじまないと思うのと、家事の下手な悪妻に、二人の身障者が寄り添うことにでもなれば、いくら自分の親だとは云いつつも、そんなに体力の無い悪妻が、疲れ果てるのは、目に見えている。そう思うと、現実難問である。悪妻としては、両親に高齢者施設のケアを受けさせるのが悲しいから私に反論しているようだ。困った問題だ。その困った問題が、夫婦の間を冷却していく。


悪妻の母は、大学病院で検査の結果、手術の必要なし、今のままでしばらく様子を見るようにとの診断でした。つまり、その程度で手術するのは如何なものか?と言われてしまった。田舎の病院の診断は、母の訴えてを聞いて手術をすべきだと判断したのに、大学病院は相手にしなかった。だから、今も、そのまま生活をしている。だから、日常、まったく困まっていることはない。ここは、穿った話だが、確かに、母の足が悪いのは事実だが恐らく悪妻の母は、いつも困らせている癇癪持ちの主人に対して歳のせいもあって相手するのにかなり疲れてしまったのでは、と思うのである。そのニュアンスは老夫婦の前後の経緯で、少し心当たりがある。


今までのお話、実は、巧妙な嘘でしょうか?つまらない本当の話でしょうか?

小鳥さん当ててください。


世の中、逆にそうした課題で夫婦の絆が強くなる場合もある。それは、お互いエゴの処理がうまいからだろうか?鴎外は、この 『半日』 では、傍観者であり、鋭い観察者でもあるが、夫婦間を円満にさせるカウンセラーではない。心理学も勉強したはずだから、少しは、解決方法論でも書くべきだったのでは?そう思うと、文学の役目とはなんだろう?と思ってしまう。やっぱし、『無用の用』なのでしょうか?この歳になった読者には、改めてこうした問題を自分のこととして証左することができるから、やはり役に立っているのかなと思う。


この小説の大切なところでもうひとつ、女性の家庭内での地位の問題がある。その中でも、家計の問題がある。これは、大変重要なことだ。男が外で働いて収入を得て、それを一般的には多くの男性は、妻に全額を手渡す。そして、男がお金を必要とすれば、妻からもらう。妻は、財務省だ。強いぞ。家計を男が持つと失敗すると思う。例外はあるかもしれないが、多くはそんな気がする。男は、細かくないから浪費家が多い。しかし、これも例外がある。


『半日』 では、妻が浪費家と思われている。しかし、母との比較をされるとそうかもしれないが、それで、家計の権限を持たせてもらえないことは、妻にとっては辛いことである。特に、専業主婦は辛いと思う。我が悪妻は、専業主婦でも、「家事は立派な労働である。だから私もきちんと稼いでいる。あなたの所得の半分は私の稼ぎでもある」と、おっしゃっています。「だから、ローン返済の済んだ、この建物は、半分私のものだ。」と、宣言しています。これには私も異議はありません。


でも、毎日、部屋の電気掃除機でのお掃除と、風呂場の掃除、電化製品の故障処理担当、そして、定期的な、マット類の洗濯、犬の世話、子供の教育、子供や家内の車での送迎、買い物の手伝い、そして食事では、夕食のテーブル準備(お茶碗の用意)、ご飯、吸い物はすべて自分でつぎ、食べ終わったら自分で台所に持っていく・・・etc。なんだか、他所の家庭より、主人の家事があまりにも多くありません?と反論すれば、姉のところ(姉は小学校の教師、ご主人は大学の先生)は、それぐらいしているという。だから、あなたも当たり前だという。恐ろしい事例だ。


私が訴えたいことは、家計を乗っ取られると、やはり、主権はそちらにいってしまう。だから、主婦は強いのだ。家事を立派な労働として認められていないとしたら、せめて家計ぐらいはもたせてあげないと妻の立場は弱く、あまりにもかわいそうだと思う。『万国の家事労働者よ、立ち上がれ』 (カール・マルクス) ところが、我が家は、家事を立派な労働として認めているのに、家計もしっかり握っているから、暴君になってしまっている。気が付けば、僕は、家と外の二重労働者になってしまっている。我が家で主人は、妻の家畜だ。だから『悪妻』なのだ。


同じ、被害者でユニオンでもつくるか?


こんな小説を読むと、愚痴の感染症に掛かってしまいます。


鴎外も、そこんところが怖かったのかもしれない。家計をやらせてみればよかったのに、させなかった鴎外さん。気が小さいなあ~。ある程度妻が浪費してもいいじゃない?そこまで、節約しなければいけなかった家計でもないのにどうしてでしょう。如何に妻が権力を握りたかったのか、嫁と姑の争いはある意味で家庭内権力闘争かな?とも、思うのだけど、どうでしょうか?


おしまいに、夫婦は、結婚する前から、子供ができるまでは、男と女の関係だ。子供が出来てしまっても仲が良い関係の時は、『同志』 だ。仲が悪くても一緒に生活している時は、同床異夢の 『傍観者』 なのかも知れない。それもまた、寂しい話ですが、読者の皆さんのご家庭はどんなものでしょうか?


by 大藪光政