書物からの回帰-欄の花3


このけったいな題目は、注釈によるとラテン語のCasuisticaという用語からとってある。翻訳すれば、『臨床記録』という意味だ。なんのことはない、医者が書いたブログだと思えばよい。鴎外が、洒落ているところは、己の生活からエッセンスを得たもので、それを第三者的に描くことでスマートな作品になっている点だと思う。


そこを考えてみると、私のブログなんぞは第三者的ではなく、『私』を表に出てしまっている。最近は、この『私』という単語を極力排除しているが、それでも、『私』の発言であるのは一目瞭然である。第三者として書けばちょっとした作品モドキになるかとは思うが、柄ではない。


でも、そうした他人事のように主人公を仕立てて文章を書くのも面白いに違いない。小説家はそうした悪趣味を持ち合わせた性格の持ち主だ。要は、仕事での出来事とか、愚痴、悩みなどを第三者としての主人公を用意することで、小説は始まるのだ。後は、文章のセンスと哲学を持ち合わせているかどうかだろう。


もっと、『カズイスチカ』を物語として長く書けば、『赤ひげ先生』のように、流行った小説になったかもしれない。でも、貧乏な患者や、救世主的な医者を描写することは経験上、不出来であろう。或いは偽善的なことは嫌いかもしれない。


今の世でこんな内容を無名で投稿しても他愛も無い出来事と思われて、文壇では相手にされないだろう。鴎外が短編作品として文学界に発表した時代というのは、本人が言うように『普請中』であるから、恐らくのんびりとした世相の中で何でもありだったと思う。今の時代は、科学優位状況下であちこちで『普請中』があり、忙しく、凝った内容でないと誰も振り向かない。


世相も、ちょっとやそっとでは、驚かず余程のショッキングな内容でないと小説の話題に上がらない。そう思うと、小説家は大変だなあ~と思う。芥川賞作家や直木賞作家は、すぐに使い捨てごみとなる。小説を書くことを職業にするなんて自殺行為だと思う。


鴎外は、当時の作家の中で本業を持ちつつ、片手間に文筆家として身をこなした兼業作家として、立派な成功事例なのだが、それもたまたま軍医という職業が良かったのだと思う。左遷された小倉では、午後四時頃には仕事が終えていると、『二人の友』という作品中に書いてあったところを見ると、時間的な余裕が存分にあったと推察できる。


何でもそうだが人の上に立たないと、そうした自分で都合がつけられる時間は得ることができない。下働きでは、生活も大変だが時間的な余裕なんてものは無いのが普通である。鴎外の実務は、医者というより管理者としての仕事が主であったから、鳥瞰的な視野で物事を見ていくのが得意だったと思う。だから、そうした俯瞰で文学界のごそごそした莫迦な世界を冷ややかに見守っていたと思う。


この『カズイスチカ』を読むとラテン語、フランス語、ドイツ語と、色々な洋語が出てくる。訳語を見ると、わざわざこんな洋語を使わないでも日本語で書けばよいものを、と思ってしまうものまである。つまり、鴎外自身、内心、主観的世界のレベルの高さを文学界に認めさせたかったのだろうと、つい憶測してしまう。これは、漱石も同じである。そう勘ぐるのは、鴎外ファンの方に対して失礼かもしれない。


大体文章を書く人間は、皆、そのような傾向がある。


高校生の頃、鴎外の小説は難しいという印象は、その所為だったかもしれない。今読めば、何のことは無い。用語が難しいだけで、内容的にはやさしいことがわかる。私も、わざと専門用語だらけで、このブログを書けば難解なブログになると思うが、それは、常々、我が莫迦息子曰く、「自己満の世界だ!」と、誰からも一蹴されてしまうに違いない。


鴎外の些細な短編に対して、しばらくそれに対応した感想を漏らすひと時が続きそうな気配になってきましたが、鴎外の作品を読んで飛躍した思考ができれば面白いと思い、試したくなったからです。作品を堪能するのではなく、作品をヒントに色々考えてみる方が楽しいと思うのです。


by 大藪光政