書物からの回帰-欄の花2


『普請中』というタイトルの短編は、はるばるやってきた異国の女性との逢瀬の場所が洋風料亭で、そこが改築工事中という変な設定で描かれています。今風に言えばここでは、普請中=リフォームですね。この短編を読んで、どうしてこんなものを書いたのか?ということが気になりました。内容的には大したものは無く、読んでそれで終わりにするところですが、どうもわからないから鴎外の年譜を辿って見ました。


すると、明治二十一年にドイツ留学時の恋人エリスがはるばる日本まで追って来ているではありませんか!でも、そのとき鴎外は彼女に会うことなく妹婿によって宥めさせてドイツに帰国させたと書かれています。ドイツから来たエリスに鴎外は一度も会うことなく彼女を避けたのは何故か?そこには、色々な事情があったでしょう。


その詮索はすでに鴎外研究者がやってくれているでしょう。だが『普請中』を書いて発表したのは、明治四十三年、鴎外四十八歳の頃になっています。エリスとの出来事の約二十年後にこの作品を書いたのにはそれなりの想いがあったのではと気付きます。それと、鴎外が本格的に作家として作品を世に出し始めて閉じたのは、四十七歳から五十四歳の七年間のようです。(もちろんもっと以前からの下積みがあってのことです。)だから、この作品は過去を吹っ切るかのように書かれたような気もする。


『普請中』も色々ある。箱物とコンテンツ。すなわち、ハードウェアとソフトウェアということです。ここでは、洋風料亭の『普請中』で話を進めているが、鴎外の気持ちは明治の日本の文化が『普請中』である。と言いたげだ。だから、エリスと一緒になるのは、当時としてはとてもじゃないが世間では異端視される。日本で一緒になることはお互い幸せにはなれない。エリスに会えばどうしても情に流されるだから会わない方が良い。


一見、鴎外はロマンティストに見えていましたが、どうも冷徹な判断をする二面性をもった男のようです。


だが、会わずに終わることで心の中の清算ができていなかった。そこで鴎外は人生の変わり目でこの『普請中』を書くことによりひとつのくぎりをつけた。と、勝手に解釈してしまった。鴎外の研究家ではないから、こうした飛躍した想像をするのは自由です。そう仮定すると作品でこのけりをつけるところは、作家らしいですね。


『普請中』は、人が営む上で、いつの時代でも存在している。平成の時代になっても、近隣を見廻しますと、たとえばローカルの企業などは『普請中』が多い。情報化社会について行けていない旧体質の企業が殆どです。確かにコンピュータなど機器はちゃんと揃えているが、人の意識改革が遅れている。それでも、『普請中』な企業はまだましだ。変革を乗り越えようとしているから。


2009年の年頭に、早くもトヨタが生産半減を決めざるを得なかった昨今、自動車関連以外も含めて、たとえば電機業界などのような工業系大手が倒れるとローカルの中小もドミノ倒しになる危険性が高まっている中で、ある中小企業の経営者は、危機が迫っていることに気付き、ついに決断して全社員の意識改革に取り組み、多様性ある活路を拓く覚悟で、経営の近代化をスタートしました。先日は、その企業の経営方針発表会を仕切ってきました。


そんなこともあったので、この短編をよくよく考えると、帰国後の日本に対する文教改革にしても鴎外はかなり気配りをしていたのだなあと思います。いつの世も、人の考えを変えることなどはとても時間の掛かることであるし、箱物とは、比べものにならないくらい無形のものはやっかいであることが仕事を通して実感としてわかってくる。


日本人は、意外と『普請中』が好きだ、そういえば我が家も四年前、大リフォームを行った。箱物のリフォームは、特に主婦が好きだ。巣作りと同じだ。そして、意欲ある男は無形の『普請中』に挑戦する。障子、襖、畳の文化を持った日本人が世界で発展して行ったのは、『普請中』に生き甲斐を見出しているからだろう。


そういえば、私が区長を務めている区内の区則と組織に対して『普請中』になったのも今日この頃だ。でも、鴎外のよう優雅な『普請中』のシーンはない。あるのは、住民の半信半疑の顔だけだ。それでも、いつか誰かがこの『改革』を理解し、やってよかったと思ってくれれば、役者冥利につきるというものだ。


by 大藪光政