丸尾氏は、魯迅の読み方を(ルーシュン)として表記されていますが 、私は通称(ろじん)と呼んでいます。この名前を知ったのは、大学に入った頃です。当時は学生運動が盛んな時代で、学生運動の中で、彼の名がささやかれていました。高橋和己も、「我が心は石にあらず」で有名になりましたが、要するに学生運動家にとって、思想的な支えになる人物だったようです。
しかし、思想といっても魯迅は、思想家としてどうなのか?というと、『?』です。何の思想なのか?といえば、答えに窮します。ところが、文学としての魯迅といえば、短編小説家として、中国の代表的な近代文学に入っているので、誰もこれに対して異を唱えないでしょう。
魯迅の小説の名前は知っていましたが、読んだことはありません。しかし、気になる人物であったことは、否めません。それで丸尾氏のこの本を手にして、魯迅の正体を知ることにしたのです。
その彼が1902年、東京の弘文学院に入学したと記されています。これが魯迅、最初の日本における勉学の道だったのでしょう。この弘文学院は、東京高等師範学校校長であった嘉納治五郎が「清国留学生」のために開設した学校とのことです。私の父は、この柔道創設者でもある嘉納治五郎に大学在学中、講道館の門下生として入門しています。そういうところでは、感慨深いものがあります。
彼の時代は、有名な義和団事件など中国の近代化が激しく行われた時代でもあります。その彼は、意外にも、ジュール・ベルヌの『月世界旅行』、『地底探検』、などを翻訳しています。これらの本は、私にとって、小学生時代の愛読書でしたから驚きで、ちょっと魯迅という人に親しみを抱きました。
この時代に前回書いた、『康有為』が体制的に違った立場で活躍しています。康有為は、旧体制を立て直す為に、西洋化も視野に入れて行動しましたが、結局旧派に押し切られて、ついには国外へと逃亡することとなりましたが、魯迅の場合は、そうした旧派とのつながりも無く、彼の改革に対する行動自体、大変危険な状況をともなっていたようです。
彼は、西洋の学問を取り入れつつも、しっかり中国の古典にも薀蓄があった為、彼の考えは常に両者の長所短所について思うところが多々あったようです。つまり、西洋の新しい考えや、取り組みがすべて良いというものではなく、中国には西洋にない善いものがあると。
丸尾氏の解説によりますと、「ヨーロッパの輝かしい文明の根底に『人間』のあること『人間』を確立することなしに世界に伍していくことはできない。『人間』を確立するためには、『人間』を尊重し、『精神』を発揚しなければならない。しかし、西洋はそうしたところから、衆愚支配と物質万能という課題を抱え、それらに対しての取り組みがなされている。」 と、いったことを考察すべきとの見解が魯迅にはあったようです。
また、ヨーロッパ列強の侵略行為に対しては、魯迅は「獣性」と指摘し、中国の「朴素の民」に引き継がれてきた、「固有の血脈」について、次のように書かれていました。
「中国はいかなる国であるか。民は農耕を楽しみ、故郷を捨てることを卑しんだ。天子に遠征を好むものがあれば、野に在る者は怨み、みずから誇ることは、文明の華麗壮大にして、暴力を借りることなく四隣の蛮夷を凌いできたことである。かく平和を愛するものは、世界にも少ない。ただ泰平が長くつづき、国の守りをしだいにおろそかにしたため、突如虎狼の襲撃を受け、民は塗炭の苦しみに陥った。しかし、これはわが民の罪ではない。血をすすることをにくみ、別離をいとい、労働に安ずる、人間の性はすなわちこのようなものではないか。もし天下の習性がひとしく中国のごとくになったら、・・・地上に種族の数は多く、国家の別はあろうとも、お互いに国境を守って侵すことなく、万世にわたって平和を保つことも不可能ではなかったろう」
これを読むと、日本人としては、おやっと思います。中国の人は、そんなに平和的で温厚な人の集まりであったのだろうか?と考えてしまいます。魯迅が指す、中国の人民とはどこを指すのか?漢民族なのか?それとも自身の郷土の人々を指すのか?西洋であろうが、アジアであろうが・・・そしてアメリカ、ロシアも含めていたるところで侵略という行為はあったはずです。
日本は、鎌倉時代に元による侵攻を受けています。元の国は、中国王朝ではありませんか?元は、モンゴル民族だから違うというのでしょうか?そして元は、西へも侵略を進めています。侵略は力ある国が、力の無い国に攻め入ることを指します。人類の長い歴史は侵略の歴史ではありませんか?それこそ、北京オリンピックの最中に、ロシアがグルジョアに侵攻したのも今日この頃の話です。
それと、彼の小説に出てくるという、『食人』の話、つまり兄弟が、そして親が子を食べる話は、メタファーでしょう。つまり、同じ民族が、血で血を争いお互いを殺しあうことの恐ろしさを表現しているのでしょう。これも、ある意味で、力あるものが弱きものを食うという意味では、スケール的には内乱としての生存競争と言っていいでしょう。
侵略も、すなわち生存競争ですから、外界か、内かの違いだけです。言葉としての『侵略』は、とどのつまりが生存競争なのです。だから、先程書かれていた内容の真意が理解しがたいです。魯迅の祖国に対するイメージ発言だとすれば彼の作品との自己矛盾を感じます。
「狂人日記」の作品から「家族制度と礼教の弊害を暴露」したものであったことは、当時、読者にほぼ明白であったと、丸尾氏は指摘しています。そして、魯迅が「私の節烈感」という評論の中で、次のように述べていると氏は指摘しています。
「この社会の古人たちがうやむやのうちに伝えてきた多くの道理は、まことに話にもならない不合理なものであるが、歴史と数の力で、意に合わぬ人間をむりやり絞め殺すことができるのだ。この主謀者のいない無意識の殺人団の手にかかって、むかしからどれだけの人間が死んだことか。節烈の女子も、この手にかかって死んだのだ」
と、言って中国の旧習といってもよい礼教の批判を魯迅は痛烈に行っています。それは中国という複雑な国家の恥部みたいなところを批判しつつも、西洋に無い善いところを何とか取り上げることで、民族としての誇りを保とうとしています。これは、当たり前なことでしょう。何処に、祖国を愚弄するだけで終わる人がいますか。
さて、魯迅は短編小説を数多く著作していますが、彼の作品はメタファーとしての文学の力を借りて、祖国の改革に対する政治的な思想発言をすることでイデオロギーとしての道筋をつけているようです。
昨今、小林多喜二の「蟹工船」がブームを呼んでいるという変な現象が起きていますが、この多喜二が亡くなった時、魯迅は電報を打っていますから、何らかのつながりがあったと思います。それはイデオロギーの同志として、だったのかどうかはわかりません。両者のプロレタリア文学とメタファーによる革命思想的な文学は、若干違いますが同世代の革命に対する連帯感としてはあったかもしれません。
こうした魯迅の小説を、現在の日本における戦争の無い平和な日本において、高校生が手にしても、どこまで理解できるのか疑問です。事前に、こうした魯迅の時代背景と、彼の生き様を丸尾氏のように解説されたものを読んだ上で読めばよくわかると思いますが、そうした下ごしらえ無く読んでも、それこそ昔話のありえない、しかし、あったかもしれない話として真に受けて読むことになるでしょう。でも、それはそれで読者のイメージの範疇として捉えられ、ひとつの別世界の文学として受け止められるでしょう。
魯迅の考えで面白いところを丸尾氏は、次のように取り上げています。
「 ① 理想を捨て金をためて、将来は仕事をせず、自分の生活を守って暮らす。② 自分のことを考えず、人のために仕事をし、将来飢えてもかまわず、〔仲間からの〕嘲罵も気にかけぬ。③ 仕事はつづけるが、もし、いわゆる <仲間> でも背後から射ってきた場合は、生存と報復のためになんでもする、ただし、私の友人は失いたくない。・・・」と書き続けられていますが、あっさりと、②は、二年間実行してみたが馬鹿馬鹿しくなったといっています。そして、①は、資本家の庇護に頼らなくてはならぬから我慢ができないといっています。そして、最後の③については、すこぶる危険で、自信がないと綴っています。
生身の人間が生きている上での理想と行動とのギャップを常に意識したものとして受け止められますが、昨今の日本における一般的現代人は、①がもっとも近く、『もともとそうした高尚な理想を持たずに、ごく普通の仕事をしながら、そして老後にわずかな年金をもらいつつ、自分の生活を守って暮らす。』 そんな人が多数派だと思います。だから、世間においてお隣に住んでいる人が亡くなっても、その人との付き合いがなければ、まったくノータッチであるという状況が当たり前となっています。
そうした平和な国で無難に暮らす国民にとって、魯迅の文学は別世界としてのイメージしか受け止められないでしょう。つまり、魯迅の文学は当時としては、革命に対する支援のイデオロギー文学としての役目を持っていたと思いますが、今日ではメタファーが消え去って、物語としてしか反映されない文学になってしまったような気がします。
その消え去ったメタファーを読者が、どのように受け止めるかは、読者次第でしょう。当時のものすごい権力闘争を実感できない現代の私たちには、幻影のメタファーからどのような真理を見出すか、それが私たちに残された課題であるような気がします。彼の作品から発する言葉が真理を語り始めると気付くのは、やはり読者以外に誰がいましょうか?
中国の不幸な時代に、『花のため腐草となる 』と言って生きた魯迅の魂は、現代の花となった大国である中国が、今日行っているチベットに対する施策を見て、草葉の陰から、どういう感慨をもっているでしょうか?それが知りたいですね。恐らく、中国の伝統文化である食人の習慣は消えないものだということを痛感しているでしょう。
by 大藪光政