不思議な出会いとして、西順一郎先生という、お方に初めてお会いしました。
そのことについてはマイテックの「今月のメッセージ」にも七月号として寄稿しています。ですから、その辺のこぼれ話はそこでお読みください。また著者に関しては、他で検索すればわかると思います。
さて、「STRACⅡ」という横文字が何であるかは先生とお会いするまで知りませんでした。先生からSTRACⅡの抜粋を研修会場で見学中に戴いてから・・・ああ、会計学なのか?しかも戦略会計というから、どう会計がどう戦略と結びついているのか・・・興味が湧きました。
(ここでは、会計や経営についての専門としてのお話ではありません。若干専門用語が出てきますが、ごく一般的な話ですので、専門用語は、無視していただいて結構ですので、そう堅くならずにお読みください。)
以前、東芝家電店向け経営診断システムと商圏戦略システムをコンサルティング・ツールとして開発したことがありますが、そのとき財務からマーケティングまでつなぐ・・・つまり実務としてのPDCAまでに落とすシステムだったわけです。そこでプロジェクトとして、税理士先生とコンサルタントとそしてロジック担当の私がいたわけです。従って、会計がまったくわからないわけではありません。
≪ 私ひとりで開発した上記のコンサルティング・ツールのシステムと、『秘書 花子さん』という家電店向け営業マン行動管理システムについて触れられた本が「成長と顧客づくりシステム」という本で、紀伊国屋書店の独占販売で、2007年7月のベストセラー月間情報として紹介されています。この本は紀伊国屋でも専門書が総合のベストセラー6位としてランクアップされかなり話題を呼びました。そして二ヶ月足らずで即、売切れてしまったようです。この本に書かれている内容は、かなりのノウハウを持っていましたので、それらを公開するわけにはいかず、私の膨大なロジックがほんのわずかしか説明されていません。だから私にとっては不満の書物なのです。 ≫
私は厳密に言うと会計というものを重要視していませんでした。それは演算レベルが算数ですから。でも、私の悪妻の口癖が、「あなたは、数学力はあるけど、お金の計算が駄目ね!つまり算数が苦手なのね!」と、いつも、おつりを返す時に云われてしまいます。それは事実なので仕方ありません。そういうコンプレックスはあります。言い訳として、私にとって数学は計算ではなく、論理なのですから単純な計算間違いはどうでもいいことなのです。
ところで、STRACⅡの本は昭和57年初版で現在絶版になっています。 今から26年前に出版された専門書なのに会計学を超えた薀蓄のある専門書なのです。だから今、読んでも少しも陳腐でなく、こうして現在11本あるブログ集の中の『書物からの回帰』に掲載してみる気になったのです。文学や哲学を除くと、専門書では以前書きました、「鐸木能光の『テキストファイルとは何か?』を読んで・・・」がありましたね。ですから珍しいでしょう。
私は、よく企業の経営者から、最初はスペシャリストとして受け入れをされますが、あとで「大藪さんはゼネラリストですね。」とよく言われる。つまり、いろいろなことを実務で経験しているので理論だけでなく、現場をよく知っているから必然的に、色々な業務のソリューションに対応するからでしょう。要するに何でも首を突っ込むタイプなのです。
さてさて話をこの本に戻しますと、「戦略会計」を西先生は、「STRACⅡ」と名付けておられます。もちろん"Ⅱ"はバージョンでしょう。そして<strategy>と<account>の造語が、<STRAC>だと思います。このことは結局、西先生に聞かず終いでしたがそうでしょう。ここで「会計」という言葉でアレルギーを起こされるあなた、ご心配ご無用、私もあまり正直好きではありませんから、そして、ここでは経理や財務の話はしませんから、まあ聞いてください。
古典の書物は文学や哲学では名著は生き残りますが、実務の専門書はそうはいきません。それは、時代とともに濾過されて無くなります。まあ、貴重なものは博物館にあるくらいです。
そこで、この本の批評に入ります。
語ってわかったこの人物、読んでわかったこの人物というのがありますが、西先生の場合どちらも一致しています。つまり、本物だということです。このように記すと偉ぶって失礼かもしれませんが実際、一般的に実務の専門書の多くはひどいものです。まともに、自分の言葉で書いている著者は数少ないのです。
多くの著者は、剽窃家です。確かに剽窃も芸術の世界でさえ当然のことなのですが、必ず自分のものにして吐き出しています。だから許されるのです。しかし、実務書には平気でコピーペーストしているものが多いのです。
自身が経験もしていないことを、さも知っているかのように書きまくっている人がいます。だから、専門書を読む時は、必ず斜め読みして、自分の言葉で書いていないということが数分でわかったら、はいさようならで、ポイ捨てです。私は、三十代以降、殆ど本は買わないことに決めて、本は図書館に求めます。福津市が私の為に家のそばに図書館を建ててくれて、ちゃんと読みたい本を書庫に新書でもすぐ用意してくれますし、なんだったら図書館にある本すべてを一度に借りることもできます。(ルール的に本当なのですよ) だから本を捨てても損はしません。
それで、話は戻りますが、私が先生から頂いた本の抜粋の写しを読みますと、そこにはなんと会計学だけでなく、物理学的思考、そして文学的なエッセンスや哲学的なエッセンスがたくさん散らばっているではありませんか!それは言葉の表現こそ、そうは感じさせないやさしい言葉で綴られていますが、それらがちゃんと実在しているのです。文章は何も装飾的に書けばそれが格調ある文学、難解に書けばそれが哲学といったそんな甘いものではありません。それがお分かりの方は、西先生の文章を読めばすぐにわかるでしょう。
この本には、先生の人生の縮図がありますがその中に、経営という鳥瞰的な視点で財務会計、生産管理、etc、などを論理的に解析して、必要なものを手に入れる手法を編み出しています。そして先生がコンピュータなるものを体験したのが1971年なので三十七年前のことですから、当時はSEといった職業が知られていなくて、プログラマーがコンピュータ時代の職種として主役といったところでしょう。
つまり、西先生は、ご自身でプログラムは書けないけれども、当時、SEという言葉以前に、プロジェクトマネージャーとしての大変重責であるSE主幹の仕事をされていたわけです。
この本を読んでそれがわかり本当に驚きました。理系ご出身ならばともかく、文系出身の方がSEですから驚きです。論理的に考える強い姿勢があったのでしょう。ところで会食のとき、先生との会話で「文系、理系と分けるのはおかしいですよ・・・」と言ったのは、私ですから今ここで区別すると、ちょっと可笑しいですね。(文学、哲学、物理学、化学、生物学そして芸術はすべて大切なので全部やるべきでしょう。)
また先生は、実務に用を成さないものには時間を掛けないといった省エネのポリシーは、先生がマイツールに出会う前から存在していたというのもわかって面白いところです。
これは、例えばExcelとマイツールを比較した時、Excelはフォントの形状とサイズ、字体の細字、太字、そして挙句には罫線の種類とこれまた太さの種類ときりの無い設定がありますが、マイツールはシンプルです。そんなことに惑わされることはなく、データから何かを摑んで仕事の目的に生かす方に時間を費やすことができます。
ところでいろんな書物には、誤字、脱字そして言い回しのおかしさなどがつきものですが、これは著者の責任ではなく出版社の校正者の範疇でしょう。文豪といわれた夏目漱石の作品にも、そうしたものは見受けられますし、すべての書物は探したら切りがありません。それで作品の価値が下がるものではないですね。そんなことをとやかく言う読者は、本質を知ろうとしないからです。また、専門書は本人と同レベルの知識がないと厳密には校正ができません。
そこで、昨今の読者がこの古典専門書を読んで上記以外で指摘するところがあります。
( 西先生の書かれたこの本を"古典"と書くのは過去のものという意味で、失礼ではないかとおっしゃるあなた、 "古典" とは、私の言葉で置き換えますと、"不動なるもの" です。)
それは、『マン・マシン・システムを考える』のところです。この文章を読むと、ひょっとしますと「おかしいではないか?・・・ここで云われている『マシン』という言葉は、『ソフトウェア』とするのが正しいのではないか?」とおっしゃる方がおられるでしょう。そうですね現在ならはっきりと、『ソフトウェア』と書き改めるべきでしょう。
現在では、ハードウェアよりもソフトウェアの方が、お金が掛かるのです。つまり、ハードウェアの能力はsaturationしていますがソフトウェアはまだまだ多様性がありますからその分お金が沢山入ります。ですから、当時の時代背景を考えれば、マシン=コンピュータの時代ですから、文中の"マシン"は決して誤りではないのです。そこのところをわからずに責めるのは歴史を知らないからです。
なお、本の中には『等価変換理論』の著者、市川亀久弥氏の名前が挙がっているのには、いささか驚き、かつ懐かしく思いました。市川亀久弥氏は当時、異色の学問をされていた"創造理論"をご研究されていた方で、私は湯川秀樹博士との対話本の、『天才の世界』、『人間の再発見』などから市川氏は知っております。その当時、湯川秀樹博士は、学問は『無用の用』といった立場でかなり、市川亀久弥氏をかばわれたようです。
そして、市川亀久弥氏は小説として1984年に『黄金蠅』を出版されています。当時、それを読んだ私は創造理論に取り組んだ成果としての小説としては、あまり感心したものではないと感じていました。湯川博士との対談は、○であったが、この小説の評価は×です。それらは、私の若き頃に読んだ書物で、今も手元にありますが、再読は一度もしていません。もし今読めばひょっとしたらまた新しい発見があり、私の未熟さが指摘されるかもしれません。
西先生と私は畢竟、同時期に市川亀久弥氏に関するそれらの本を手にして読んでいたのです。これも、もうひとつ不思議な共通点だったのですね。
ハイアットホテルでの会食をしながらの対談で、私が商圏戦略システムの説明で、電子工学理論(或いは物理学)でいう等価回路で、ご説明しょうとしたとき、"等価"という二文字を発した時に、急に目が輝いたのを覚えています。この場合の等価回路と等価変換理論とは、実務上意味が違いますが、言葉は同じでしたのでそのような雰囲気になったと今になって気付きました。
最後に、西先生のような文学としても読めるし、哲学としても読める、物理学としての思考も楽しめるそんな専門書を世に出すことを、これからの若い方が心掛けていただければと思う次第です。
by 大藪光政
参考リンク:「今月のメッセージ」→ http://mytecs.cocolog-nifty.com/blog/