『文鳥』は、漱石の教え子である鈴木三重吉が、東京帝国大学英文科三年のときに、漱石に文鳥を飼うことを勧めた顛末を日記風に作品として発表したものですが、ここに漱石の重要な一面が伺われます。
その前に、個人的にもこの『文鳥』については、思い出があります。田川高校の二年生の頃、校内模試の現代国語で、漱石の作品を五点ほど挙げる問題があり、わざとそのうちのひとつに、この『文鳥』を書きました。
すると、現代国語の先生は、×を付けました。つまりこの『文鳥』という作品の存在を知らなかったのです。当時、読んではいませんが私はその作品の存在を知っていました。それで得意満面に職員室に行って、何故×かを問い、結局丸をもらいました。その時唯一、同じクラスの読書通の具島君だけは『文鳥』を知っていました。
その話を、一年次の文語文法担当の高山先生のご自宅でその話をしたら、先生から何気なく、「 『文鳥』は、どんな内容ですか?」 と、問いかけられました。その質問をされる先生は、ご存知なのにわざとそう私に問われたのです。それで絶句して、しばらくして「漱石は文鳥を飼っていたのでしょう・・・」といったものの、バツの悪い気持ちがしました。
その時から、試験勉強的な知っているという事だけの行為は止めようと思いました。当時、この『文鳥』の書物が手に入らなくて読むことなく、そのままになっていましたので、いつまでも心のシコリになっていました。
高山先生は、九州大学文学部を卒業されてすぐに田川高校に文語文法の指導として担当されたのですが、その時、理系の私にとってその学科がとても苦手で一学期のときに欠点を取ってしまいました。それで、職員室へ行って高山先生にどう克服すべきかを相談に行ったところ問題集を戴き、それからは・・・その問題集を解いては先生のところに行って添削をしてもらうといった日々が続いたのです。先生からは、赤ペンで丁寧な説明と、励ましの言葉も添えて教えて戴きました。おかげで、二学期、三学期は好成績で終わりました。
そうした大変熱心な先生でしたので、先生の一言はとても強く私の心に残ったのです。そして、この歳になって改めて文学作品を読むことになり、とうとう私にとってはタブーの『文鳥』を手にしました。
さて、本題の『文鳥』の中身ですが、ここに書かれてあることは漱石の死後、家族が云った父親としての漱石についての内容証言で、この『文鳥』の内容とまったく同じ事件を話されています。つまり、ほぼ一致した内容であったのです。
少し、違うといえば漱石の立場は、文鳥を死なせてしまったのは自分の責任ではないという一点だけでしょう。しかし、家族はそうはみていないようです。当時、忙しい漱石にとって『文鳥』の世話などする暇がなかったと言いたいところでしょう。
しかし、これは何を意味するかです。
漱石は書や絵画を好み、『花鳥風月』に対する心を持ち、そして自然を愛する気持ちを作品に、装飾として用いています。なのに、そうした生き物に対する思いやりが欠けています。文章でいくら自然に対する愛でた気持ちをうまく書いても、その実生活はそうではない。ということになります。
ここに、作家の虚と実があるようです。
たかが、小鳥の死ぐらい・・・漱石の文学とは無縁の事件と言う人もいるでしょう。
でも人は、そうした小動物を小さな時分から飼ったりした経験や、或いはそういう小動物が怪我をしてそれを保護したことのある人からしてみると、この漱石の飼育態度にはかなり疑問が残るでしょう。
よく、芸術家の創作活動と私生活との比較において、芸術評価を分けて考えるべきだとの主張がありますが、漱石の場合もそのように捉えるべきでしょうか?それとも、漱石の最大の弱点がそこにあると言っていいものなのでしょうか?
もし、前者だとすれば飼っている小鳥を”愛情の怠慢”から死なせてしまった作家は、素晴らしい作品を生み出す力を持っているということになり、後者であれば素晴らしいと思われる芸術作品の装飾は、実は虚飾に満ちた真実で創られているということになりませんか?
さて、どちらでしょうか?
でも、この『文鳥』を読んで漱石が憎めない人だなあと思いましたね。自分の世話の不備で死なせたものを、家族や女中の所為にしたり、挙句はこんな籠に入れたりして鳥を飼うのがいけないのだ・・・と、言ってしまうみたいなところは、鳥の世話以外で私を含めて世の男性はそういう癖が多々あるのではないでしょうか?
私事ですが、小動物を飼うことにかけては、漱石よりずっとキャリアがあります。文中に出てくる三重吉の指の先から餌を文鳥が食べるという話を聞いて、それを試みたがうまく出来ず、その仕業は『古代の聖徒の仕事』か、それとも三重吉が嘘をついたに違いないとまで記しているところを読んで思わず苦笑してしまいました。
小鳥は、どんな鳥でも飼い方次第で手から餌をやることは勿論、手にも頭にもそして肩にも乗せることができるのということが漱石にはわからなかったのですね。
動物病院の先生は、野鳥で大人になった鳥の餌付けは難しいと云われますが、私は怪我をした野鳥を保護したときは、上手に餌付けをすることができます。それってやはり私の小さい時分からすずめを捕まえて飼ったりした経験があるからです。でも、もちろん一生懸命に育てても死なせてしまったことはあります。只、漱石みたいに餌や水をやらずに死なせたということは一度もありません。それぐらい、生き物には愛情を真摯に傾けたものです。
漱石は、奥さんや家族に対しても文鳥と同じような接し方をしていたのでしょう。もっと愛情を持って家族と接していたら、さぞ家庭円満で自身も長生きしたのかもしれません。但し、名作は生まれなかったでしょう。
by 大藪光政