この本は、1996年11月から1999年1月までの寄稿文を収録したものですが、『魂』を語る難しさを本人は、あらためて認めています。池田さんが尊敬する小林秀雄のベルグソン論についても失敗したといっています。
誰かや誰かの作品を寄せてではなく、いきなり、『魂』を論じようとして五十数回にもわたる連載の半ば、さじを投げたのだと、その証拠に「どこへやらとも知れずこの連載は続く」と言い残して終わったようです。
それで、本居宣長というキャンバスを得て事なきを得たと池田さんが言うのは、実に面白い。私も「考えて考える人 」というブログに、これらの言葉についての思索を行っていますが、やはり『心』とか『精神』とか『魂』については、どこからどこまでが精神で、心なのか、魂なのかが、とんとわからない。現に、様々な著名な文学者や哲学者にしたところで、その言葉の使うタイミングが違うことに気付きます。
それは、やはり『言葉』は、すべての事象の代名詞だから、個々の想いが、その時によって違えば『意味』も違って当然のような気がします。
さて、本書において『魂』に関する池田さんの思索は尽きないのですが、「 <魂>のインフォームド・コンセント 」の章で、池田さんのプライベートの重大な記載があるのに驚かされました。そして、それは「六月の病室で」と続くのですが、「がんによって、人は死ぬのか」ということに対して、「がんでなくても、人は死ぬ」との言葉の展開から始まります。
結論から言いますと、池田さんは自身が癌に侵されていることを書かれているのです。この章は、季刊「仏教」43号(1998年4月)に書かれたものですから、実に約9年前からに池田さんは癌の病にかかっていたことになります。
最近、様々な著名人自身が癌にかかっていることを、記者会見したりしていますが、なんと池田さんは絶妙な文筆でそれとなくさらりと書いていて、うっかりしますと、自身のことを指していることすら見逃してしまう書き方です。これに気付いた方は・・・その時何人いたのやら。
その切り出しは、「ところで、私は以前から、その国立がんセンターのあるお医者さんと懇意にしていて・・・」とさりげなく、その医師が知人のような書き方をしています。
その医師との会話の中で、「動転しましたか」という医師の問いに対して、動転したのは果たして患者の池田ではなく医者であった・・・推測では、「医者のがん告知」に対して、患者である池田が何故動転しなければならないのか?といった調子だから、医者の方がたまげたのであろう。
この医者との会話までを読んでも、何か事例をあげての会話かな?と鈍感な私が続きを読むのですが・・・。
しかし、読めば読むほど、池田さんががんにかかっていることがうすうすとわかってくる。
そして「六月の病室で」の章でいきなり最初に、「今度は父親ががんである」というところからスタートする。つまり決して『私はがんにかかっている』とは言わないでわかる読者に悟らせる手法を用いている。池田さんのこうした文筆業としての偉さは、こうした行為に現れていることに気付かされます。
すなわち、自身の不治の病を開けっ広げに世間にアピールすることではなく、こうした自身の抱えた問題を、普遍的なテーマとしてさらりと取り上げて『考える』姿勢を崩さないことです。
哲学者を自認する梅原猛氏や評論家の立花隆氏を『考える』という真剣で躊躇なくあっさりと切り捨ててしまう池田さんは、やはり『考える人』としては本物です。
哲学するということは、かなりの覚悟がいると常々書いてありましたが、がんにかかっても自称大酒飲みは、がんに対して臆することなく飲み続け、そして猛烈に書き続けたその気力には圧倒されます。最初の頃、出版会社の編集者との意見が合わず、信念を貫いたため一時干された状況下にあった頃が、おそらく彼女にとっては人生の上で、一番の思い出だったと思います。つまり、自身の信念を曲げることなく貫く大きな機会であったからです。
この私ですら、経済的に恵まれる方の道をこれまで、二度や三度は避けて、信念を貫いて来ましたが、やはりそうしてよかったと後で思う次第です。しかし、一難さってまた一難です。最近また、信念を貫いてしまったために、せっかくの経済的に恵まれた約束された老後か゜どこかへ行ってしまいました。
でも、約束された人生ほどつまらないものはないというのは、真実のようです。
by 大藪光政