藤の湯の楠木

この本は岩波書店『よむ』に19927月から199312月号までにかけて書かれたものを一冊にまとめられたもののようですが、最初にヘーゲルについて書かれてあるのは、著者がヘーゲルに対しての強い想いと共感があるからでしょう。また、誤解されているヘーゲル哲学とヘーゲル哲学をつまらぬ難解さに導いた哲学者に対する著者の鬱憤晴らしに、まずは第一声を!という意味があるようです。

ところで、池田哲学の読者には、哲学のプロパーという方は少なく普通の・・・というより哲学的感性をもたれた方が多いと思います。そんな中で、この『口伝西洋哲学史』は、ちょっと読むのには疲れが出ますが、それでも非常にわかりやすく持論を展開されているのは流石、池田哲学です。しかし、こうした列挙されている哲学者の書物を直に触れたことがなければ、池田さんの言っていることがわかるとわからないにかかわらず、消化不良をおこすかもしれません。

この書物は池田さんが他界する15年前に書かれたものですが、読む限りにおいて著者の哲学に対する取組姿勢と薀蓄には圧倒されてしまいます。感心するのは、専門外のところで例をあげてみますと、ヘーゲルについて述べられているところで、「地上の絶対精神の眼前には不可避のT字路、演算回路は01。どちらでもいいのだが・・・」というくだりがあります。池田さんは時々サイエンスの用語や論理で自身の考えを表現されることが、多々あります。近くにそうした方との議論する機会があるのか?それとも哲学のプロパーでありながら、科学に関心がおありなのか?・・・いや、おそらく『存在』ということへの執着心からくる、その解けない謎解きから派生した好奇心から学んでくるものでしょう。

読者が、池田哲学の書を手にして読み終える時間は、わずか35日間でしょう。しかし、著者は、何十年も哲学に嵌って多くの書物を読み、しかも、一冊の本を出すのにも1年は掛かっている。そう思えば、本来ならば不勉強な読者は、せめて池田さんが書くのに要した時間ぐらい、じっくりと読まないといけないところでしょう。

しかし、この『口伝西洋哲学史』に挙がっている哲人の書物だけでも膨大な書物です。ましてや、すべての哲学書を読むとなったら一生を掛けても読み終えることは不可能なことです。そうしますと、やはりここは道案内人としての頼りが必要です。そういう意味では、池田さんは抜群な道案内をしてくれました。そのやり方は、山頂から山彦のように読者に何度も声を掛けながら、「道の方向や近道のことばかり気をとらわれずに、『善く』自分の目の前にある景色を自分の考えで堪能しながら登ってくるのよ! 山登りは上手に登ることが目的ではないのよ!」とでも言いそうな方です。そして、「池田何某は山頂まで登ったけれど、天まではやっぱり絶対にとどかないのね!・・・」と思われたことでしょう。

さて、この本に関する感想は、まだまだ繰り返して読むことで色々と出てくるでしょう。私自身この本には、また機会があったら時々池田さんが32歳頃の原点と思って読み直してみようと思っています。この本が示してくれた、たとえばヒュームの引用文を読んでは、昔流行したキャッチフレーズ「皆悩んで大きくなった!」みたいで滑稽な内容も紹介してくれますし、哲学史としては興味を持って面白く読める本です。そしてその哲学史とは考える人にとって、絶対精神そのものに他ならないということであれば、やはり努力して消化すべきものかもしれません。


by 大藪光政