「人は魂の次元において、自分の亡くなる時期や亡くなる過程を決めている」
「人の亡くなり方には、その人が伝えたかった最後のメッセージが込められている」
「人の亡くなり方というのは、その本人や残された人たちの学びのテーマに最もふさわしい必然的な宿命になっている」
という説がありますが、私はそれを信じています。
父は先月突然、くも膜下出血で病院に運ばれ、3日間の昏睡状態を経て息を引き取りました。
それまでは毎日畑仕事をしていて普段通りの生活をしていましたから、信じられないくらい突然の出来事です。
父の最後の言葉は聞く事が出来ませんでしたが、すこし冷静になったいま父の亡くなり方を思い返してみれば、何となく父からのメッセージが読み取れる気がします。
①会社に迷惑をかけるのを嫌っていた父の想いが表れていた最後
父はとても真面目で厳格な性格でした。サラリーマン時代には風邪などで休んだ事は無く、雪が降っても自転車で40分以上かけて通勤していました。父が定年後、2週間ほど入院する事になった時でも、父は私の仕事に支障が出る事を嫌い「あまり見舞いに来るな」と言われていました。このように、会社や身近な人に迷惑をかける事を特に嫌っていました。
そういう性格の父。
今思えば、とても父らしい亡くなり方だったように思います。
『私の会社にとって一番迷惑のかからない日と時間を選んだの?』と思いたくなるような、タイミングです。
というのは・・・父がくも膜下出血を発祥したのが11月22日、ちょうど祝日・土・日と3連休の前の日の事でした。その日の夕方、普段通り私が会社から帰って来た時にちょうど異変に気付き119番通報しました。そして病院の集中治療室に運ばれ、亡くなるまでの3日間は会社に迷惑をかけることもなく父に付きっきりで看病することができました。そして日曜日に亡くなりましたが月曜日はもともと年休予定だったので、会社の仕事の調整もスムーズにできました。
これらは単なる偶然とは思えず、まるで父の望みが反映されているかのように思えました。
もし「人間は魂(潜在意識)において亡くなり方(病気の種類や時期、寿命)などを決めている」という事を信じた時、いかにも父の性格や気質が表れている亡くなり方だと感じたのです。
一面潔い父の性格が表れていると感じました。
②父と私のしがらみが解けていった最後
父と私は今まで考え方や意見が対立する事が多く、よく口論もしました。そういう事が多く続いていたので家の中に居てもお互いに距離を置くような仲になっていました。
父がくも膜下出血を発症し、病院に運ばれた時にはかなり深刻な状態で、集中治療室のベッドでほぼ脳死に近い状態のまま3日間寝ていました。昏睡状態である父に付き添って、懸命に呼吸をしているその姿を見ているうちに、今までいがみ合っていた気持ちがすうっと消えていく気持ちがしました。
父の手を握ったり、足の先をさすったり、お腹に手を当てて祈ったり、「がんばってえらいね」って頭をなでたり、「ありがとうね」って言ったり・・・普段では恥ずかしくて出来ないような事ですが、こういう状態の時には素直な気持ちになれるものです。
『父が元気な時でも、もう少し素直になればよかった』という気持ちが湧いてきました。
今まで家で口論していたけど、やっぱり親子。
反応が無い父の体をさすっていくなかで、今までのしがらみの思いが消え、父の魂と和解していくような気持ちになっていきました。
日常生活においても人同士が付き合っていく中で、お互いが元気な時はいがみ合ったり敬遠したりするような関係になる場合もあるかもしれません。でも実際にどちらかの人が危篤もしくは先に逝く状況になった時には、意外と素直になれて情愛が生まれるものだという事を学びました。
そう考えた時に、普段いがみ合っている人がいたとしても、嫌なそういう相手だとしても少しは寛容な気持ちを持って接してみてもいいように思えてきたのです。
この様に、集中治療室の控室で一人静寂の中に居て、いろいろ学ぶ事が浮かんできました。
これも父、もしくは神様からの配慮ではないかと思いました。
3日間という時間があったお陰で、今まで父に対する接し方につての反省も生まれ、いろいろ気付き学ぶ事も出来たのです。
もし父が病院に運ばれてからすぐに逝ってしまっていたら、ここまで反省する実感が湧かなかっただろうし、もし長期入院していたら別のネガティブな思いが生まれてきたかもしれません。
人によってそれは異なると思いますが、私と父の気質を考えた場合、3日間という期間はお互い和解の念が生まれる最適なものだったという気がします。
冷たい考え方だと思われるかもしれませんが、人は必ず寿命が来ます。その時に悲しみと不運の思いがずっと続くと、せっかく故人が残そうとしたメッセージに気がつかないと思うのです。
いつかは冷静になって、真実を見つめ、メッセージを受け取り、前に進もうとすることも故人の供養に結び付くと信じています。
若くして病気で亡くなった親戚の人、10代にしてバイク事故で突然亡くなった友人、今まで私は親しい人が亡くなる悲しさをいくつか経験してきました。
年月が経ち、涙目を拭いて物事を見た時に、ふと故人からのメッセージに気付く事がありました。
若くして交通事故で一瞬にして亡くなった方からは、『人の寿命は突然いつ来るか分からないもの。1日1日を大切にし、チャレンジしたい事があればすぐに始めてみること。それと車の運転には気をつけてね。』という事を教わりました。
若くして病気になり長期入院の末亡くなった方からは、『家族の1人が病気になると家族の結束力が強まるもの、できれば病気にならない普段の時から家族の絆の大切さを忘れないで欲しい。そして、自分のためだけではなく家族のためにも普段から健康に注意して体を大切にすること。』という事を教わりました。
なってしまった状況をただ『運が悪かった』といつまでも悲しんでいるより、何か『大切なものを教えてもらった』という考え方を持っていた方が前に進める気がします。
私の何十年かの人生経験を通じてうっすらと感じる事ですが、
人にはそれぞれ自身および周りの人の「学びテーマ」に沿った亡くなり方があって、その中には故人が伝えようとしている前向きなメッセージが含まれているのではないかと思うのです。
この世に残された者がそのメッセージを大切に受けとって前向きに生きていく事が、故人にとっても嬉しいのではないかと思います。
少なくとも私がいつかそういう逆の立場になった時には、この世に残っている人がそういう前向きな考えを持ってくれた方が気が楽です。
だから、今の私は前向きに考えようと思います。
そして今までの多くの人に感謝しています。
ありがとう。
読んでくれてありがとう