ボローニャを歩く | 謎のこうのとり 

ペポリ・カンポグランデ宮を見たあと、ホテルへの道を歩く。

この上の写真のでこぼこ道、でっかい水たまりがあり、バスが通った時

高波のような飛沫をあげていた。隅っこにいて難は免れた。

ポルティコの下にある本屋さん

店じまいの時は、上部にある板の扉を下して、ガラス部分の陳列棚は

鍵をかけるのか? なかなか面白いビックリマーク

この本屋さんのちゃんとした店舗は向かい側にあるダウン

ところでホテルに戻り、撮った写真を見返していた時に

重要なことに気付いた。

このポルティコの向かい側に教会があったので写真を撮った。

撮っただけなのだ。

なんと、この教会は「行かねばならない教会」だったのに

写真だけ撮って、スルーしたおばかな私。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会

この教会には、ニッコロ・デッラルカ作の「死せるキリストへの哀悼」1463年が

あり、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」と

この教会のピエタがイタリアでは常識中の常識として有名なんだそうな。

まっ、またボローニャに行けばいいさっ。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会の司祭でマレッラ神父と言うお方がいたそうな。

ドイツ軍に占領された時のこと、ボローニャの市民のパルチザンが

ドイツ兵を一人撃った。ドイツ軍は自国の兵士が一人殺されると

その仕返しに無作為に選んだ市民を10人射殺してたそうだ。

 

その日、その10人の中に、赤ん坊を抱いた母親がいた。

「死ぬ前にこの子にお乳を飲ませたい」と言ったが、ドイツ兵は

赤ん坊を取り上げようとした。

その時、母親の身代わりに進み出た男がマレッラ神父だった。

 

神父を射殺するわけにはいかないと、この時の処刑は中止になったそうだ。

マレッラ神父は、市民がドイツ兵を追い出してからは

どんな天気も日も、町の中心部の食料品店の壁の前に座り

通りかかる市民に黒い帽子を差し出し、喜捨を乞い、

その集まったお金で孤児院や母子寮を沢山建てたそうだ。

神父が座っていた煉瓦の壁は、神父の背中でこすられて

すっかりへこむほどだったそうだ。

神父が亡くなったあとも、代わりの修道女たちが同じ場所で

施設の運営資金を集めているそうだ。

自己責任でもないのに、住まいや仕事を失った人、困っている人が

いたら、とりあえず手を差し出してあげる・・・こうしたボローニャ方式は

マレッラ神父の精神がそのまま受け継がれているということなのだろう。

 

ホテルに戻り、ヘトヘトのクタクタなので、ホテルの一階の

レストランで夕食をとることにした。

ほとんどのお客さんが泊り客、そして一人で食事をしていたずら。

翌日は午後2時過ぎのフライトで帰国する。

今夜は荷造りだーーー。

と言っても、ほとんど買い物をしていないので、持ってきたものを

そのまま入れるだけ・・・・・。

このヨーグルト、美味しかった。容器もまんまるでかわいい。