モデナ 市庁舎
モデナは13世紀、エステ家が治めたフェッラーラに併合されたが
エステ家がフェッラーラを追われ、モデナに逃げ延びたそうな。
それ以来、公国の首都となり、エステ家が整備した町並みが現在まで続いている。
モデナ大聖堂
1099年、大聖堂の工事が始まった、その時の領主は
「カノッサの屈辱」(1077年)の際、カノッサ領主として
教皇と皇帝の仲裁役をつとめたトスカーナ女伯マチルダ。
建築家はランフランコ、彫刻はヴィリジェルモ
二人ともモデナ大聖堂以外に経歴不詳で作例も知られていないそうな。
女伯マチルダはモデナに常在しておらず、大聖堂建設の
旗振り役はモデナ市民だったこともあり、
無名だけど、仕事が確かな人を選んだのでは?と思うのだ。
1117年に北イタリアで大地震があった時、ベニスやパルマなどの
聖堂が半壊、倒壊した中、このモデナ大聖堂はびくともしなかったことを
考えると、かなりの名工だったにちがいない。
聖堂は煉瓦造り、外壁は大理石を化粧貼り。
ランフランコは白一色だと単調になるからと、大小さまざまなアーチを設けて
壁に凸凹をつけたそうな。
中央扉左右のライオン像は古代ローマ時代の彫刻で
創建時の土台掘削時に発見されたそうな。
子供たちはこのライオンにまたがって写真を撮っていたずら。
南扉の装飾はランフランコのあとを引き継いだカンピオネージ工房。
薄紅色のヴェロ―ナ大理石
中央と左右の屋根に高低差をつける建築は、
その後バロック時代に到るまでイタリア教会建築のモデルとなったそうな。
ヴィリジェルモの彫刻がたくさんある西正面のファザード
「創世記」
アダムとイヴ、右端は禁断の果実をガブリと食べたところ
盲目レメク(カインの子孫)の矢に倒れるカイン
素朴でユーモラスな彫刻はロマネスク美術の真骨頂
そして、北側にある「魚屋の扉」
扉の周りはレリーフがあり、どれもこれも凝っている。
モデナの守護聖人サン・ジェミ二アーノの生涯
「アーサー王円卓の騎士たち」のレリーフと
1月から6月、7月から12月の農作業のエピソードのレリーフ
大聖堂に入る前から見るべきものがたくさんあるモデナ大聖堂。
つづく