4月21日 日曜日、この日はボローニャの街歩き
ホテルの朝食
息子にこの写真を送ったら「これ全部食べた?食べ過ぎ~」と注意された。
実際、この日はお腹の調子がイマイチで猛省したのであった。
このホテルは温かい飲み物はオーダーを聞きに来る。
初日は、イタリアと言えばエスプレッソでしょということで
飲み慣れないコーヒーをオーダーして胃の調子がイマイチ。
なので、この日は紅茶を所望したのであった。
ボローニャと言えば「柱廊」ボルティコ。
街の至る所にこのボルティコがあり、雨の日でもスイスイなのだ。
なぜポルティコが多いのか?
それはヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学の創設に関わっている。
ボローニャは城壁に囲まれたいびつな五角形で、めちゃ狭い土地だったそうな。
ヨーロッパ各地からボローニャ大学へ続々と学生がやってくるのに
住む場所がない。そこで、ボローニャ人は学生たちのために
建物の二階部分に部屋を造り、その増築部分は2~3メートル
頑丈な木の柱で道路に突き出すようにした。
その後、条令で木から丈夫な石やレンガの柱に代えていったそうな。
現在でも木造のボルティコが残っている所もあるらしいが
この写真ではない。
そこは、馬に乗ったまま通行できるようにかなり高い作りになっている。
この日は晴れだったけれど、火曜日は雨でこのボルティコの恩恵を実感した。
街の中心であるマッジョーレ広場を目指して、このボルティコの下を歩く。
エンツォ王の邸館と市庁舎が向かい合う広場に「巨人の噴水」とも呼ばれる
「ネプチューンの噴水」がある。
ちょっと違和感があるこのセイレーン(人魚)を彫刻したのは
ジャンボローニャというフランドル出身の彫刻家。
メディチ家のフェルディナンド1世のお抱え彫刻家として活躍したお方らしい。
でもねぇ、これはどうでしょう?あんまり品位が感じられないのは
私が芸術に対して素人の未熟者だからでしょう。
広場にはポリスマンがたくさん待機していて
「何事?事件?」と柱の隅からカメラのレンズを思いっきり
ズームにして様子を伺う怪しい日本人・・・・私ずら。
結局、この日は日曜日で復活祭のミサがあり、
サン・ペトロ―二オ大聖堂の入口でチェックする使命を
帯びたポリスマンだったとわかったのは午後訪れた時。
朝早くだったので、人も少なし。
再度、ネプチューンの噴水を撮る。
この噴水の前の地面にあったプレート。
ボローニャの自治体はありがとう
パオロとセルジオグアランディ
GUABERの所有者
新しい街を街に
照明システム
ピッツァマッジョーレ
1994年7月4日
Googleで翻訳してみたけど、意味不明。
いつものことだけど、道草しすぎて肝心な目的地に
なかなか辿り着かない私の悪いクセ。
この日は朝10時までに聖ステファノ聖堂にたどり着かねばならないのだ。