秋の風物詩 | 謎のこうのとり 


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月曜日、高速バスで京都まで行き、JRで奈良駅に到着したのは午後2時過ぎだった。

ホテルは奈良駅直結でとても便利な立地。

部屋に荷物を置き、フロントでタクシーを呼んでもらった。


 運転手「あのな、昨N〇Kで正倉院展を放送したらしいな、これも善し悪しだね

      あれを見て、客が増える。なかなかゆっくり見えへんのや得意げ


 私   「あのぅぅぅ私シラー、それを見て、今日来ましたDASH!」と小さい声で言う。


 運転手 「さよか、まぁ今日は平日やから、ましとちゃいますかあせる


幸いなことに待ち時間なしに会場に入場できた。

しかし、人垣が幾重にもなり、ゆっくりと鑑賞できる状態ではなかった。

それでも、光明皇后自筆の「楽毅論」を見るために来たのだから

がんばって見るぞーと人垣の間をぬって、一番前でやっとこさ見ることができた。



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光明皇后「楽毅論」。聖武天皇の宸筆(しんぴつ)雑集(ざっしゅう)」など3巻とともに箱に納められ、さらに厨子(ずし)に収納されて大仏へ献納された。本紙(白麻紙3枚)のあとには(つるばみ)色の紙が継がれ、「天平十六年十月三日 藤三娘(とうさんじょう)」と書かれている。藤三娘は藤原不比等の三女である光明皇后のこと。このとき皇后は44歳だった。


思ったよりも小さく、一字一字丁寧に力を抜くことなく書かれている。

真面目で、とても芯の強い、一途な性格ではないだろうかと思うような強さが筆致に表れて

いると私は感じた。

私は、学生時代この光明皇后の字をひたすら臨書した。

全紙に小さい字を自分でも驚くくらい根気よく書いたのだ。

この臨書をしている時、自分には欠けているまっすぐに突き進む

勇気みたいなものが湧いてきた。

この書がきっかけで天平時代に興味を抱くようにもなった。

私にとって、この書は特別なものだったのだ。



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