トライアル王道時代の皐月賞を振り返る | ワイビーのブログ(おもに競馬)

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今週は皐月賞。

 

毎度のことですが、3つのトライアルレースに加え、様々なステップレースから参戦してくる馬が多く、例年予想するのに難儀するのですが、近年はトライアルレースをスキップしたローテーションが台頭。過去10年間でトライアルレースを経由して勝った馬はわずか1頭に留まっています。

 

すっかり影の薄くなった感のあるトライアルレース組。今回は、トライアルレースを走ることが王道だった時代について、三冠馬と非トライアルレースを経由した馬について振り返ってみたいと思います。

 

 

■三冠馬

戦後の三冠馬7頭のうち、前走のレースがトライアルだったのは以下の6頭。

弥生賞からは1983年ミスターシービー、1984年シンボリルドルフ、2005年ディープインパクト。スプリングステークスは1964年シンザン、1994年ナリタブライアン、2011年オルフェーヴルと、共に3頭ずつで同じ両者が均衡しています。

 

特筆すべきは弥生賞組。3頭とも弥生賞から連勝している点です。本番と同じコースにもかかわらず連勝した馬の数は少なく、シンボリルドルフ以降の40年間に優勝したのはディープインパクトを加えてわずか4頭しかいません。同じ時期のスプリングステークスと皐月賞を連勝した頭数は8頭と2倍の差があります。

 

1987年のサクラスターオーは皐月賞後に骨折し、休み明け初戦の菊花賞を優勝。2001年のアグネスタキオンは皐月賞後に屈腱炎で引退してしまいましたが、後のダービー馬ジャングルポケット、クロフネを相手にしない強さを持っていましたし、2010年のヴィクトワールピサは3歳で有馬記念を制し、翌春ドバイワールドカップを日本の馬として初めて優勝しています。

 

弥生賞と皐月賞の連勝という高い壁を乗りこえた馬は超名馬の未来を約束されている、といっても過言ではないでしょう。

 

■2011年以前の「非トライアルレースの皐月賞馬」

1984年のグレード制導入後、3つのトライアルレース以外をステップに皐月賞を勝った馬は1988年のヤエノムテキ(毎日杯4着)、1990年のハクタイセイ(きさらぎ賞1着)、1999年のテイエムオペラオー(毎日杯1着)の3頭です。

 

毎日杯は「東上最終便」といわれていましたが、少ないながらもここで賞金を獲得して皐月賞に出走して結果を出しています。つい最近では2017年にアルアインがこのローテーションで皐月賞を制していますね。

 

さらに言いますと、ハクタイセイを除く3頭は古馬になってからもGⅠを勝っております。テイエムオペラオーは4歳になった翌2000年に史上初、そして唯一となる古馬中長距離GⅠを完全制覇という偉業を成し遂げております。

 

唯一、古馬になって勝てなかったハクタイセイですが、ダービー後脚部不安を発症して長期休養。翌年の復帰戦安田記念を目前に再び故障、ダービーがラストランとなっています。ちなみにハクタイセイ以降、きさらぎ賞をステップに皐月賞を制した馬はおらず、2016年サトノダイヤモンドの3着が最高着順です。

 

ハクタイセイについてもうひとつ補足すると、きさらぎ賞を勝ったときの騎手が現在調教師として活躍中の須貝尚介さん。皐月賞では南井騎手に乗り替わって本番で騎乗することは叶いませんでしたが、調教師になってから2012年のゴールドシップで共同通信杯から直行で皐月賞を制しています。皐月賞以外でも、2021年のソダシで阪神JFから直行で桜花賞を制覇。トライアルレースを使わず本番を勝つ現在のトレンドの先駆け的な存在となりました。

 

 

さて、予想には全く役に立たない話をしましたが、皐月賞はダービーの有力候補をふるいにかけるレース。70数年ぶりの牝馬が勝つのか、現代の王道になった共同通信杯からの直行組か、ハクタイセイ以来34年ぶりのきさらぎ賞直行馬か。トライアルレース組の巻き返しか?いつものことですが、ギリギリまで予想に悩む日々が続きそうです。