覚え書き⑥ | ☆ココロの星屑たち☆

☆ココロの星屑たち☆

喜びと悲しみとひとカケラの幸せ。。。AKKOの呟きブログです。
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孤立、痛み、自己否定、自分を責め続ける心の自傷、

 

奥底まで他人に手を入れられて干渉され責められた記憶、

子どもから大人へと自立する反抗期もなく
人格批判や人格否定を忠実に受け入れて、他人に左右され失った自分の存在感を
揺るがない自己確立にするには

どこまで行っても自分の存在の肯定ができるまで、
いろんなことに平気になるには

批判や罪責にも動じず、冷静に判断して、
他人主導ではなく、
主導権を取って自分の判断で考えて言葉にして動く、
その当り前の主体性を持って良い、そこから動かず、離れないように

不安耐性を持つために、できるだけ状況をそのまま淡々と俯瞰、客観視して、
不必要に過剰に深刻にとらえず、何でも自分のせいや自分の問題にせず、
自分を保ち、人としてとして妥当なことを考え、

余裕がなければ、抽象的にとらえて記憶し、時を待つ。
余裕がない時には、あれこれ考えこまず、
余裕がない時には、先読みせず対策せず、

他人の言葉を深く重く自分に入れず、
敏感に他人の感情に配慮して自分を深い愛の人として動かすようなことをせず、
すべてが神キリストの手と心の中にあることを知り、
ただ自分を肯定して、外からの要求や情報のすべてを飲み込まない。

やる気スイッチで同時に起動する、義務の強迫モード、失敗の脅迫モード、律法裁きモードを削除して
やる気スイッチを違うものに、自分だけにとって良い希望の成功・肯定イメージのスイッチに交換する(根拠は無くても自分の希望を楽しみに優先する)。
『信仰は目に見えないもの』と言われて、目を閉ざしてきた自分の思いを復活させて、自分を褒めずに頑張った実績を認めて豊かな経験にするスイッチで生きる。

生育歴でけなされ教会の訓練で自己否定を身に着けて、
日常でも、やる気スイッチと一緒に自己否定が起動していた

この異常さの原因は、教会親兄弟が与えてきた罪意識、モラハラ
毎週説教で罪意識を植え付け
心の深層に毎日曜日分、年数分、積もりに積もっています。
見極め、教会ごと牧師ごとにその終焉を願い、自分の行動をするようにしましょう。

バプテスマのヨハネはキリストを指し示して、自分はつなぎに過ぎずキリストが来たら衰え消えゆくもの、と言いました。しかし、キリストよりも前に出てくる牧師は盛んに自分の言葉を指し示します。キリストを知らず上辺の言葉でしか説明できないから、ますますそうなります。

キリストに会うことだけが大事なことです。
会うにはどんな状態からでも、ありのまま祈りで心をキリストに向けるしかありません。分からなくてもキリストと心で会うことを求め続ける以外にありません。キリストが私たちの中身とやってきたことのすべてを知っていて認めてキリストの中に受け入れてくれます。そこからの肯定を受け取っていきましょう。

支配・虐待・否定されて心で血を流し続ける傷の痛みで見る世界で自己否定に押し込められた視点と、

それぞれの存在を肯定的に確かに認められた正常な世界の視点には、

宇宙の距離ほどの隔たりを感じますが、

ふと自己肯定に戻る瞬間を求めて私はキリストに祈ります。

異常な支配の終焉を祈り、頭を切り換えて行動したいと願います。

カルトとは、
他人のあり方を否定し破壊し、
新たな評価や法則を売り込もうとするものです。

カルトは自分たちの価値観だけを押し通し、他人がその価値観を受け入れて自己否定をすれば取り込んで服従させます。他人の人格の境界線を取り払い侵入し支配します。

カルトは一人孤立では存在できず他人を巻き込み依存しあいます。
ブラック企業も毒親も同じことをします。
彼らの価値観は社会の常識を外れています。社会と違う価値観でなければ存在を保てません。それで『社会の方が間違っている』『こちらの価値観の方が本物で本来こうあるべきものだった』と言います。

カルトは他人の人生・経過を全否定し、過去現在未来のすべてを支配しようとします。経験や見方や計画を新たな評価と価値観に取り替えさせ服従させます。その中に含まれる人格破壊の毒が『全人格の否定』であり、自分で『自己否定』させ、普通の思い願いを書き換えて『新しく生まれ変わる』などと納得させていきます。

必死なやる気で走り続けることで、自分を省みる余裕もなく、暇があれば必死の祈りで戦う姿勢を自分に言い聞かせて召命への思いを強めて、
聖書を読んでも滅びゆく魂への愛で他者への使命を燃やして、重荷を心に入れ込み続けるだけ。

詰め込んだ使命感からの解放には、
走っている人には行き詰まりと疑問を、
倒れ傷ついた人にはカルト化した教会以外の癒しと安らぎの期間を、
囚われに苦しむ人には脱出のために、今を生きる他人の心の真実や自分の心が欲しがる物事、好み、憩い落ち着くことへの出会いを

最近落ち着いていたと思うと

 

カルト教会の傷が顔を出します

体調不良なときに礼拝での賛美の奉仕を頼まれた

 

自分なりに精いっぱいやったけれどうまく行かず

 

落ち込んているところに牧師からの叱責

 

「甘えるな」と皆の前で頭ごなしの叱責

 

仕事と教会の両方で疲れていた

 

あの時離れればよかったのに

お前は神様に愛されていないんだ

 

お前はダメだとこころに声が響きます

 

"信仰を捨てれば楽になる"悪魔のささやき

 

神様を捨て去る事はどうしたってできません

 

でも時おり泣いて叫びたくなる程の苦しみを

 

あなたにどう祈ればよいのかもわかりません

 

主イエス様助けてください

 

弱い私を

 

あなたから離れたいと思ってしまう私を

 

憐れんでください

 

 助けてください