最初に就職した会社は、六本木のバブリーなビルの中にある、外資系企業の日本支社だった。
なんでこんな会社に就職したのかというと、当時は六本木ヒルズも恵比寿ガーデンプレイスもないし、このビルに就職するのがステイタスだったから。
環境で就職先を選ぶことになんの迷いもなかった。
だって、OLなんて、そうでしょう。
就職しても、ちゃらちゃら生活して、お金持ちのオトコをゲットして、派手派手結婚式をやって、寿退社。
できれば、海外駐在員の奥様になりたいから、商社マンと結婚しようかしら。ならば、商社マンに受けが良さそうな、帰国子女の多い外資系企業にしましょうかねぇ。
なんて、それで決めた就職先だった。
その時は、自分の決断が20000%正しくて、完璧に自分の人生の正しき道を歩み始めた、選んだと信じてやまなかった。
だけど社員研修の二日目で、私は気づいた。というか決めた。
この会社はすぐにやめよう。
結局この会社は1年5ヵ月後に去ることになるのだが(もちろん同期トップ)、去ってゆく時、私が残された社員たちへの挨拶で、
「二日目に退職の決断をしました」
と、恥じることなく堂々と話した。
ここにいることは、必ずしも正しいことではない、少なくとも私にとっては。
それを、しっかり去ってゆく場所に伝えたかった。
思いが残ってしまわないように。
新卒でありながら初任給は手取りで30万ぐらいあり、
お休み(外資の場合、vacationという)は、10日もあり、
仕事は楽だし、自由だし、うるさいボスも臭いボスもいないし、
オフィスは清潔でおしゃれで、一人一人のデスクは広いし、とにかくあの会社は完璧だった。
ボーナスなんて、父に迫る勢いがあった。
だけど、私はここにいることが苦痛で仕方がなかった。
椅子にへばりついて、同じ時間に同じことをする日々を毎日毎日続けることに、限界を感じた。
というか、そんなことを続けていたら、自分の魂がどこかで、人生をボイコットしてしまうのであろうという恐怖に似た感情がふつふつと出てきて、こらえようもなくなった。
私は、こんなふうに、「惰性」や「計算」で、生きれるオンナじゃない。
いいだんな目当てに、こんなところに張り付いているぐらいだったら、自分で見つけてやる。オトコなんて。
それに、仕事だって、ちゃんとやりたい。やってやる。
金持ちオトコの妻になるための、つなぎ程度だった就職が、どうも私にはあっていなかった。
「オンナだって、ちゃんと仕事するほうがいい。自分にあった仕事をしたほうが、いいに決まってる」
気づいた時は、会社を辞めていた。
そして、私は、自分からつかんだ「商社マンの妻、海外駐在員の妻」への道の切符を、簡単に手放し、背を向け、時給800円のアルバイト生活を始めました。
仕事なんてしなくても、少し待てば失業手当てが貰え、バイト代以上の額面になるというのは間違えなかったのに。
働かないで、お金を貰うなんて当時の私には、まったく考えられなかった。
私は、働きたい人でした。
続く・・・・