wowowの番組のWebページ

 

番組についての記事

https://www.sankei.com/west/news/180428/wst1804280004-n1.html

 

 

よいドキュメンタリーでした。

よくあるように、同門対立とか、絶対女王の座危うしとか、あらかじめ筋が決めてあって、それに見合った画像だけを撮って作ったものでなくて、たぶん無数の画像を淡々と撮影していって、それをうまくまとめた、というものです。

字幕は翻訳以外の部分は事実を淡々と語るだけ。見る人の感情を支配しようとはしないし、何かの結論に導こうとしているものではありません。

それでいて、よくここまで撮影したよね、というようなところまでとってます。氷上の練習風景はもちろん、医師の診察の部分だの、座り込んで考えている画像とか、衣装の仮縫いのところとか。インタビューもいいものでした。

メドベの才能と努力がうまくインタビューから浮かび上がります。すべて努力で超一流の位置までやってきた100万人に一人、というダンスコーチ、感情表現のすばらしさをたたえる元ボリショイのバレエコーチ、アンナ・カレーニナの感情をわずか4分間で表す、という振付師グレイヘンガウス。脚が細すぎるので、そこを考えてデザインするというデザイナー。そしてもちろんエテリ。インタビューやメドベへの指導はもちろん、トゥルソワやザギトワへの指導もうつってました。まあ、厳しい、厳しい。練習では150%、本番では110%がエテリ組のモットーでしたっけ。それだけの練習なんでしょう。フィギュアの選手声明は短いから、あとまわしにしてはだめ、という言葉のなんときびしく、そして真実をついていることか。本当のことを追求しつづけるからこわいんでしょう。

バレエやダンスの練習はすばらしかったです。サンボ70ではあれがスタンダードなんですから、そりゃ、技術重視の選手でも、所作が美しく、見応えのあるパフォーマンスで当然。元ボリショイの先生のアームスの美しいこと。あれはロシアバレエ独特の動きじゃないかしら。幼少からの訓練によるものだけでなくて、そもそも可動域が日本人とはちがうんじゃないか、と、ロシアバレエみるたびに思うんですが、ちがうのかしら。あれがたたきこまれるんですから。バランシンをみてましたね。国立スポーツ学校の生徒は、あのような舞台を無料でみられるんじゃないかしら。このあたり、日本と環境が雲泥の差です。日本は、踊りではありえないグーパンチや無意味なパーの手がけっこう残ってますもんね...

一方、ロシア女子の限界になってるのも、このバレエが基礎、ということなのかも、という疑いはもってますが、それでもプラス要素のほうが大きいでしょう。

たぶんそうだろう、と推定はしていたのですが、メドベのインタビューのときのまなざしと語り口の強さにはあらためて驚きました。、いや、練習の時も基本、同じ目をしてました。あの目ができる精神状態だから、おそらく資質としてはそれほどでなくても頂点をきわめ、ロシアの人たちの大きな期待にもこたえられたのでしょう。おまけに例のドーピング問題まで振り回されました。ロシア女子の精神力におののくことが多いのですが、その中でも群を抜くというのはこういうことなのだなと。しかし、これって、どうやって身につけたのでしょう。練習に耐えることで少しずつきずいていったのかしら。たぶん、一つ一つのエテリの言葉をまじめに捉えて追求していったんでしょう。

たとえばメイク。このまま、衣装さえきたら、そのまま試合にでられるよね、というレベルでした。練習のときから、です。いつみられてもいいように、というエテリの教えからはじめた、ということですが。徹底していました。アイラインを書き足しているときの手つきなんて、舞台のときの本番メイクをなおしてるときといっしょだなあ、なんてみてしまいました。ウォータープルーフのをつかっているにちがいないとかくだらんことを考えながら。

同時にケガは精神的に相当のダメージだったのだろうということがはっきりわかる画像もたくさん。。エテリいわく、パニックに陥ってナーバスになっているということでした。そうなのでしょう。

ケガのせいでグランプリファイナルの欠場が決まった後、ダンスのレッスンにくわわらず、ストレッチをやっていたときのまなざしは、よくとったな、というものでした。揺れ動きながら、負の感情にながされまいとする意思の強さ。

そう、その強いまなざしは基本、かわらないのです。大切な時期に満足な練習さえできず、ケガ前はあたりまえのようにやっていたことができなくなっている、という状況でしたから、当然迷いはでます。ビデオ撮影をみながら、エテリのきつい指摘を聞きながら、負けたらどうなるのかという恐怖に耐えながら(エテリは地獄に耐えながら、とまでいってましたし、インタビューも拒否して引っ込んでしまいましたが)、それでもリンクにもどり練習をやめようとしない、という毎日を続けてきたからこそかもしれません。

欧州選手権のときのエテリのコメントは強烈でした。真の戦士だと言うことを証明した。負けました、でも恐れていたことはおこらなかった。スケート人生は終わらない。勝ち続けるより追いかけるほうが楽なはず。切替ができた、と...これを迷いのない目と口調でいうんですから、ほんと、この師弟、よく似ていると思いました。メドベの意思の力はもともとの資質もあるんでしょうけど、エテリの影響を受け、そこから学んだのでしょう。


この番組は4月30日に放送されたもので、このときには見ることができませんでした。やっとみたのは5月6日の深夜に放送された再放送です。

この間に、メドベがエテリのもとを離れることになったというニュースが舞い込んでいます。ところが、この番組は二人の絆の深さを語っています。

たとえば最後のインタビュー「あなたにとってフィギュアとは?」という質問に対する答えが全く同じ。それもまったくの迷いなくでてきます。「命です」面白いのは、真顔のメドベに対してエテリは笑顔という「ちがいはあるのですが、まったく迷いがなく、まっすぐなまなざしで回答がでるのは同じです。

そして「二人のスケート人生は続いていく」で番組は終わります。

このドキュメンタリーを撮影した段階では、この二人がコンビを解消することなどありえない、という結論をドキュメンタリー作成者はだしたのでしょう。

実際、エテリはたいへん優秀な指導者にみえました。時間をくぎって、個々のスケーターの指導をしているように見えますが、一人一人へのアドバイスは、厳しいことはかわりはなくても、まるでちがうはず。トゥルソワやザギトワにメドベのような物語をつむぎだすことは求めますまい。一方、メドベへの指導はものすごいレベルでしたよね。あれぞ氷上の物語バレエの指導でした。振付師ぐらいしかできないだろう、いや、もっとすごいよ、というようなレベルのものを次々と。意味あいや伝わるものがまるでちがってくる腕の修正など思わずマネをして確認してしまいました(笑)

 

あの迷いのない指摘はどこからくるんでしょう。振付師とも打合せをがっちりやっているのでしょうけど、それにしても。あれより厳しい指摘はジャッジでもしないのでは。相当の研究を積んでるはず。ジャッジが100だしてくれるなら、エテリの指摘はそれこそ150なのかもしれません。あれだけ練習のときからジャッジ以上の指摘を受け続けて、言われたレベルに達するように努力しつづけたら、そりゃあ、本番でもできるでしょうし、GOEもとれるようになるんでしょう。

 

ただし、欠点もあります。メドベはともかくとして、17歳をこえた選手、つまり成長期を超えた選手を勝たせることができていません。あれだけ才能があったリプニツカヤも、シニア2年目以降、失速し、拒食症に悩んだあげく、引退してしまいました。コーチをウルマノフにかえても問題は解消されませんでしたし、ミーシン、ゴンチャレンコもこの問題を解消できていません。ブヤノワはオリンピックでソトニコワに金をとらせ、18歳のソツコワは回転不足という問題はかかえつつも、昨シーズンもふんばりましたし、ポゴリラヤのコーチのツァレヴァも、可能性は残しているのかもしれませんが。

このコンビが解消するにいたって、何があったかはわかりません。ある記事は、新ルールが影響を及ぼしたのでは、と類推しています。ある記事はより複雑な演技への挑戦を望むメドベに対して、ケガにつながるからと反対し、ケガが続けば、エテリ組の中での地位を落とすだけ、としたエテリの考えの違いが解消に至ることになった、としています。ロシア代表にこだわるのでなく、別の国の代表として競技を続けることも話しあわれた、という報道もありました。ロシアは15~16歳ぐらいがピークになっている国ですからね。メドベは例外的な存在ではありますが、現実的に考えれば、大いにありえる事態として考えておくべきものなんでしょう。

だけど、結局のところ、記事になっているのは類推にすぎないはずです。実際におこったことの一端をあらわしているかもしれないけど。二人ともおそらく真実は語りますまい。メドベが新コーチを発表したときに、新たな方針は口にする可能性はありますけど。そうなれば、北京、という言葉がでてくるかもしれません。それを実現するのであれば、エテリが示せなかった可能性をだしてくれるコーチが選ばれるのでしょう。仮に来シーズンにはまにあわないとしても、です。半年後とか、一年後とか。現在、一定の実績をあげている人かもしれないし、そうでないかもしれません。ただいえるのは、二人とも勝利をまっしぐらに目指すタイプです。そのめざし方が食い違ってきているのかもしれません。

たぶん、ですが、メドベの引退、というのはないんじゃないかというのはこのドキュメンタリーをみたかぎり、なさそうに思いますし、四年後は無理だとあきらめるということもないように思えました。まあ、単なる感想なので、実際にはどうなるかわかりませんけど。

というのが、番組終盤にでてきたインタビューで語った言葉が次のものだからなのです。

「フリーの時は自分の心と体が完全に一体となった感覚でした。いつもはいろんな思いであたまの中がいっぱいになるのですが、今回はそれがどこかへ行ってしまったんです。何の心配も恐怖もありませんでした。最後のポーズが決まった瞬間、私の中が空っぽになっていると感じました。完全にやりきったという感覚です。自分をコントロールできなくなって感情が噴き出してしまいました。何の後悔もありません。肉体的精神的にもすべての力を出し切りました。なので今は心を充電しようといろんなことに挑戦しています。音楽を聴いたり本を読んだり映画を見たり日記を書いたり料理を作ったり。何でもかんでもやって少しずつ力を充電しているんです。来シーズンもまた新たな自分を表現したいと思ってます。そしてもっとファンの方達を喜ばせるようなスケートをしていきたいです。」

稀代の物語の紬手は表現者、というだけでは満足しない存在にみえます。あのまなざしはアスリートとして勝利を求めるものなのでは。表現者であれば夢想家であってもいけますが、あの目は揺るぎなく頂点を狙う勝負師の目...からっぽで充電中、という中でもそれはかわりませんでした。ロシアスケート連盟が、使い捨て状態といわれる現状を打破したいと考えるのなら、もしかして地殻変動もあるのかもしれません。月曜に発表があるということです。どうなるのでしょう。今度の発表が今後のすべてではなく、来年あたりにエテリのところにもどっているのかもしれませんし...

 

最後に、オリンピックでのこの演技を掲載しておきます。上の言葉通り、来シーズンも演技が見られますように。そして、できれば、北京で、この数年間、ロシア女子が達成できなかった成熟した演技をみせてくれる存在となってくれますように。今もてる力をだしきった演技ではあっても、より深化していくことはできるはずですので。