音読を客観的に分析してみましょう。
私の場合、本を読んでいて、たまに音読をする場合があります。それはどういう場合かと考えると、一文字も読み飛ばさずに読もうとする場合です。意味理解というより、書かれている文字を一文字も間違えずに正確に読もうとする時です。読みにくい外来語などの場合などです。しかし、多少読み方が間違えていても問題ない場合は黙読のまま流すことの方が多いです。
逆に、意味を正確に読み取ろうとする場合は、声は出なくなります。その代わり、同じ場所を何回も読み返します。場合によっては前後のページに飛んだりもしますから音読では時間がかかる上に一度読んだ所を再度読むことになるので、ざっと目を通したいので黙読になります。
声に出す場合は、一文字ずつ正確に読みたい、または、覚えたいとう時に限定されると思います。
また、読書に取って大切なことは、本に書かれている文字を正確に一文字一文字読むことではなく、書かれている事を正確に理解することだと思います。
そういう意味では、読み方が分からない漢字があっても、その意味さえ分かっていれば、問題は全くありません。それが名前などの場合はなおさらです。
しかし、音読はそれを許しません。読み方が分からない=読めないとなってしまいます。しかも、音読をすればするほど、黙読の時でも頭の中で声にしてしまいます。その結果、読む速度は全く上がりません。
速読がちまたで流行っている中で、音読を強要することは、真逆の訓練をしているような物です。速読の理想は、頭の中で音にしないことです。
国語力は、読書量に比例すると言われています。沢山本を読むためには、早く読める方が有利です。しかし、音読ではもちろん早く読むことは出来ません。しかも、音読が染みつくと黙読も音読と同じ速度になってしまいます。
ということは、音読をすればするほど、早く読むことは出来なくなり、沢山本を読むことは、出来なくなります。結果、国語力は上がらないということになります。
本を早く読むために、速読を学ぶことは有効です。しかし、本格的な速読をする必要はありません。もともと、速読は、学ぶ為には使えません。ですから、本を早く読むことより、より適切に目を使う訓練をして、最小限の目の動きで本を読む訓練をした方が勉強には効果的です。
結論:音読によるメリットよりデメリットの方が遙かに多い。覚えるときとか、一文字単位で読みたい時は、意識しなくても声が出ます。それは音読とは異なり、声が出るのです。
朗読は音読とは異なります。はっきりって小学校低学年で音読=朗読はあり得ません。高学年、または、大人になってからでも朗読の勉強は間に合います。
その年齢で本当に有益な勉強は何なのかをもう一度考えて見ませんか?
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