私、久しぶりにしなかやか自分軸のおしゃべりカフェに参加しました。
7月のテーマは「思い」です。
テーマを知って私はちょっと困りました。
おふゃべりカフェのはじまりは、自分の近況と「思い」について
私が思っていることをしゃべることになっている。
「思い」といわれても私はピンとこない。
私、「・・・」ひねり出して「希望、望み、期待」のことで、なんかいいものと
思った。
私の近況は『息子の夕飯にふりまわされている感じがする。そして「思い」はピンとこない、、、』
(息子はバイト、大学の部活、車校で忙しい。)
と最初言いました。
みんなとおしゃべりしていたら
親の思いをうける子どもにとって
「呪い、呪縛、うざいもの」ということがでてきた。
私は、いいものだとおもっていたら、違う面もあるのに気づいた。
「思い」が明確に自覚すると、自分の原動力であり
「思いは目的になるよね」という話もありました。
思いを明確にするにはなにかがあるとき。
平和な時には思いを明確化しないのではないかとなりました。
なので、
私の近況「息子の夕飯に振り回されている」も平和だということになります。
だって、家族に対して私の思いがある。
結婚する前の家族は私、居心地が悪かった。夫婦ケンカ絶えないし
笑ってない。だからこそ今の家族は笑いあっている家族でありたい。
そして、カラダが資本だという私の価値観がある。体のために食事は大切で
息子の夕飯を作りたい私がいる。
その私の思いを私自身、自覚していない。
なので文句言っていても平和なんです。
「振り回されている」という
表現方法を変えるか、私の中で何が困っているのか
明確化しないといけない案件でした。