きょうは…秋分の日
太陽が真西に沈む日だに
仏教では秋分の日を「お中日(ちゅうにち)」といって…
お中日の前後3日を合わせた7日間を、秋のお彼岸の期間と伝えられています。
きのうは明光寺のお彼岸法要があって…
こんな法話をしたで聴いとくれん
感謝の心
かつて、「世界一幸せな国」としてブータン王国の名を耳にしたことがあるかと思います。それも発展途上国ながら、世界の国の幸福度ランキングで上位にランキングされたことが理由となります。そして、国民が皆一様に「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と答える姿が報じられたのを覚えている方もいるかと思います。
しかし、年々ランキングが下がり、2019年度版で156カ国中95位にとどまって以来、このランキングには登場していません。
ブータン王国は幸福ではない国になってしまったのでしょうか。幸福度ランキングから急落した訳として、このような分析がされています。
「かつてブータンの幸福度が高かったのは、情報鎖国によって他国の情報が入ってこなかったからでしょう。情報が流入し、他国と比較できるようになったことで、隣の芝生が青く見えるようになり、順位が大きく下がったのです。」
それまで幸せを感じていても、人と比べ始めたとたんに幸福度が下がるということを表しています。
「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」という言葉があります。お釈迦さまの遺言とも伝えられる言葉でもあります。
「自らを灯火(ともしび)とし、自らを拠り所としなさい。法(ほう)の教えを灯火とし、拠り所にしなさい。教えのかなめは心を修めることです。」と弟子たちに語られたと伝えられています。
私たちは自分と人とを比較して自分の価値を求めようとします。しかしながら比較というものは使う物差しによって価値が変わってしまいます。5㎝の棒があるとします。10㎝の棒を持ってきて比較すると10㎝の棒は長いという価値になります。
でも、20㎝の棒があることを知り比較すると10㎝の棒は短いという価値になり、「10㎝しかないのか」と不足を感じることになります。
何を基準にするかによって瞬時に価値が変わってしまいます。自分が幸せかどうかを、何を基準にしますか?
ブータン王国のように他国と比較して、幸せと感じていた心を不幸せと感じる心に変えてしまいますか?
仏教では、この世は自分の思い通りにならない苦しみの世界であり、誰一人として、幸せな環境に置かれることなく、全ての人が苦しみの環境の中に置かれている…不幸せな存在だと説かれました。
そもそも四苦八苦という苦しみの環境の中に置かれていることを自覚して、他と比較して自分が幸せか不幸せかを求めるのではなく、こうして必要がありこの世に生まれることができたことそのものが有り難く、数えきれないほどのつながりの中で今この瞬間も生かされていることそのものが有り難いと受け止める…感謝の心を忘れずに心を育んでいくことを説いています。
「自灯明 法灯明」の言葉から、自分の心と向き合い、常に自分の心を観察して、今がすでに有り難い状態であることを忘れていないかと…心を修めていくことが大切であると教えられます。
それでは、数えきれないほどのつながりの中で、今この瞬間も生かされていることに感謝を込めて、今からお彼岸の法要をみなさんと一緒にお勤めしましょう。